約束 2






× × ×


 ルクスの意見を聞いたキリルはきょとりと目を丸くした。
 何を言われたのか分かっていないような表情だ。
 そう思いながらキリルの表情を眺めたルクスは、え、とキリルが疑問を短い音で示したのを聞いてもう1度同じ説明を繰り返した。
「一度メルセトの辺りまで戻る事を提案したい。」
 ルクスが同じ事を繰り返したが、キリルはやはりきょとりとしている。
 不思議そうな顔をしたまま隣に座っているコルセリアと目を合わせ、彼女と2人で首を傾げた。
 キリルとコルセリアが焚火の傍で話をしている所にルクスが来た。
 一緒に交じらないかとコルセリアが声をかけたがルクスは首を横に振り、それでもこちらに真剣な顔をしながら来るので何事かと思えば、突然のこの提案。
 頭が追いつくまで少し時間が必要だった。
「………、メルセト?」
 ようやくキリルがそう聞き返す。
 イスカスを追って皇都を出て、彼の行方と彼の持っている紋章兵器の在処を追って移動している最中。
 そこで何故急にメルセトなのかキリルもコルセリアも分からなかった。
 イスカスが向かったと報告のあった方角と全く違うわけではないが、彼の行き先がそこではないので行く意味が分からない。
 同じ言葉を繰り返してもキリルの様子は変わらず、自分の説明不足を理解したルクスは落ち着いて話をしようとキリルの隣に座り、真中にいるキリルに持っていた地図を渡した。
 ここのところずっと使っていたので随分と見慣れたクールークの地図を、焚火の明かりで全員がちゃんと見えるように広げた。
「現在来ている報告ではイスカスの行き先は皇都の南の方角。」
「うん。」
「地図では特にこの辺りに町や村はない。」
「はい。」
 ルクスに目を向けられてコルセリアが間違っていないと頷いた。
「居所の正確な場所はまだ分からないとしても、この国にやけに拘っている所を見ると、あまり皇都からは離れ過ぎず群島側にも近寄り過ぎないように思う。だからきっとメルセトからもそんなに距離はない。」
「うん…、それで?」
「正直に言うとクールーク内での物資補給は不安定だ。」
 ルクスの言葉にコルセリアが悲しそうに目を伏せた。
 群島諸国との戦争やクールーク上層部の対立や混乱はこの国に色々な影響を与え、物資補給の難しさもそのうちの1つなのは何度か実感した。
 それでも国の中心である皇都ではそれなりに何とかなったが、コルセリア誘拐や皇王の暗殺という事実無根の手配に加え、追手を追い払うために散々暴れたというこちらは間違いない事実があり、今から引き返すには辛い状況を作ってしまった。
 基本は野営なので自然の中の物だけを使って移動し続ける事は難しくはないが、やはり物資不足はどうしても問題になる。
 食料もそうだが薬品や消耗品や武器に防具といった戦闘に必要な物まで、心許無い物の名前を挙げていけば随分な量になる。
 今は敵に誘われているとも敵と追い詰めたとも言える状況。
 装備も体調も完璧に近付けておくべきだ。
「メルセトまでは船で入れる。今は途切れているけれど以前は交易もあったから群島側の船も入れなくはない。」
 ルクスがメルセトを指差し、それから真直ぐ対岸の方へと地図をなぞる。
「だからメルセトの対岸まで戻りたい。群島から必要だと思う物を届けてもらうよう、勝手だけれど手筈はもう済ませてある。」
「え?」
「ごめん。」
 驚いたキリルを見てルクスが本当に申し訳なさそうな顔をした。
 バタバタしていた上にキリルの様子が最近おかしかったので余計な手間は取らせたくなかった、という理由が一応はあるものの勝手な行動をしたのは間違いない。
 怒られる覚悟は最初からしていた。
 けれど意見を変えるつもりもない。
「そうは言っても、早く行かないと…。」
 キリルが困惑した様子で呟く。
 ルクスとキリルの意見が対立する事は滅多にない。
 キリルの意見をルクスは出来る限り最優先にしてきたので当然と言えば当然。
 でも今回ばかりはどうしても時間が必要だ。
 キリルの意見よりも、今は仲間達の体調を万全にする事と、何よりキリルの無事を確保する事が最優先。
 その為なら他の事は全て、キリルの意見ですら、切り捨てる事をルクスは選んだ。
「向こうの目的の1つにコルセリアがある。クールークのクーデターに関しては彼女がこちらにいる限り短期間で大きな変化はない。」
「紋章兵器の方は?」
「向こうはこちらを待っていると言った。おそらく今すぐに大規模な移動は出来ない兵器なんだろうと思う。変化があればすぐ報告が来るようにはしてあるけれど、向こうと決着をつける時を決める決定権は現在こちらにあると思って大丈夫だと判断した。」
 こういう時のルクスはとてもしっかりと喋る。
 普段は言葉が少ないのに、こういう時ばかりはとても分かりやすくて必要な言葉は欠けなくて、だから反論に酷く困る。
 そもそも反論なんてするべきではない。
 ルクスはとても大切で必要な事を言ってくれている。
 キリルが最近の慌ただしさにかまけて気付けなかった事を、彼も忙しかった筈なのに裏でフォローしてくれていた。
 今キリルがルクスに伝えるべきはお礼とメルセトに向かおうという彼の意見への同意だけ。
 そうと分かっているのにキリルはなかなか頷けなかった。
 早く先に進みたい、という気持ちがキリルの中にはとても強く存在する。
 ルクスのように周りを納得させられる理由なんて何もなく、キリルの個人的な我儘でしかないが、どうしてもその気持ちが強い。
 この我儘を押し通すというのなら、ルクスの気遣いを無下にして仲間達に無理を押し付けなければいけない。
 流石にそんな事は出来ないと思っていても諦め悪く頷かないキリルに、ルクスは自分の説明が足りないと思ったようで改めて地図を見た。
「本当はいっそ群島側まで戻りたいけど…。」
「それはいくらなんでも距離があるよ。」
「分かってる。」
 ルクスとしても出来るだけ最短の方法を選んだつもりだ。
 後はもう混乱覚悟で皇都に戻るか、無茶を覚悟で敵陣に突っ込むくらいの選択しかない。
 でもその2つはあまり選びたくない。
 しっかりと休む時間に確実な物資補給、とにかくそれだけは確保したかった。
「あの…、メルセトに行くのはダメなんですか?」
 先程ルクスが指した場所を見ながらコルセリアが言う。
 メルセトに行くのとメルセトの対岸に行くのと、今から進路を変えればそう変わらないように見える。
 それなら折角なので町で休んだ方がいいのではないかとコルセリアは思ったが、ルクスは首を横に振った。
「正直キミの護衛の面で厄介だ。」
「私?」
「今までがどうでもよかったというわけじゃないけど、皇王と継承権のあったキミの父親が亡くなった今、周りの反応を見るに次に王位に近いのはキミなんだろうと思う。」
「………。」
「そのキミを連れて町に入るのは神経を使う。それに何かあってキリル君の責任にされたらたまらない。」
「ご、ごめんなさい…。」
「何で謝る?確かにマイナスの部分はあるけれど、キミの存在は確かに有益だ。勝手に1人で行動なんてしなければ謝る必要はない。」
「えっと…。」
「ルクス…。」
「………、変な事を言った?」
 何と返せばいいのか困り顔のコルセリアと少し咎めるような顔をしたキリルに、ルクスが不思議そうに少し首を傾げた。
 何を間違えたのだろうかと真剣に悩むルクスを見て、悪気はないんだよ、とキリルは苦笑しながらコルセリアにこそっと耳打ちした。
 コルセリアも苦笑しながらキリルへと頷いた。
 2人の様子を見てルクスは更に不思議そうな顔をする。
 その表情が何だか可愛らしく見えてキリルはつい笑ってしまった。
 出会ったばかりの頃は無表情ばかりだと思っていたのに、いつからかルクスはよく表情を変える人だと気付いた。
 気付いた理由はよく覚えていない。
 一緒に過ごすうちに小さな変化が見えるようになり、今となっては以前この変化に気付けなかったのが不思議なくらいだ。
 この先も一緒にいれば他に色々と知る事が出来るのだろうか。
 まだまだ知らない事はいっぱいある筈だから、例えばルクスが笑ってくれていると気付いた時はとても嬉しかったように、この先があればそんな嬉しさを重ねていけるのだろうか。
 そんな事を考えたキリルの表情から段々と笑みが消えた。
 胸の辺りに鈍い痛みを感じて小さく息をつく。
 そんな事を考えても無駄だ。
 この旅はおそらくもう少しで終わって、その時にはルクスと別れる事になる。
 残っている時間はもう僅か。
 その間にどれだけルクスの事を知れるのか、ルクスと一緒にいられるのか。





 


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