ガロ「GARO」(71)

 「学生街の喫茶店」で有名になってから歌謡曲路線になってしまったガロ。しかしこのデビューアルバムは全く別物です。というより、本来はこの手の音楽をやりたかったのでしょう。
まさに日本のC.S.N&Yです。あの名盤「DEJA VU」の日本盤ともいえます。「一人で行くさ」「地球はメリーゴーランド」など、サウンド、コーラスともそれまでの日本には無かったものです。ここからJ−AORが始まりました。

  シュガーベイブ「SONGS」(75)

 CDも再版されたので山下達郎ファンは当然聴いているでしょう。
写真は75年のLP、あえて帯を付けたまま紹介します。
そこには「すべての音楽の進むべき道がここに見えた」と書いてあります。
すべてかどうかはわかりませんが、確かにJ−AORの進む道は見えました。
「DOWN TOWN」「今日はなんだか」など、いい曲がいっぱい。
その後の達郎氏の活躍はご存知の通りです。
  ルウ「LOU」(76)

 林哲司も見事なAORサウンドを聴かせてくれる一人です。その林哲司がプロデュースしたグループがルウです。
特に作曲もしている3曲はまさにJ−AORでした。
ジグソー「スカイハイ」をソフトにしたようなアレンジ、綺麗なメロディ、その後の哲司サウンドの原型がここにあります。

「日曜日の朝」「灰色の街角」「レター」とどれもステキです。
  林 哲司「バックミラー」(77)

 大好きな林哲司のアルバム。ボーカルは別として、その作曲センスの良さは群を抜いています。
大橋純子に作った「RAINYSATURDAY & COFFEEBREAK」も歌っています。この曲を聴いて、私は林哲司の作った歌を追いかけるようになりました。
ルウに書いた「レター」も選曲されています。

  愛奴「愛奴」(75)

 浜田省吾、伝説のグループ愛奴のファーストアルバム。
「二人の夏」「恋の西武新宿線」など、個人的に青春していた時期と重なって、私には大切な歌になってます。
浜田省吾はこの後ソロとなりました。
愛奴はもう一枚アルバムを出していますが、やはり浜田省吾抜きは、ちときつかったみたい。

  浜田省吾「生まれたところを遠く離れて」(76)

 浜田省吾ソロとしてのデビューアルバム。
オープニングの「路地裏の少年」は、後に新録音もされています。
実は、私はバラード「悲しい夜」を聴いて作曲センスを再確認した次第。まだ荒削りながら才能を感じさせた一枚でした。
ソロファーストコンサートにも行きました。良かったよー!

帯には「独りぼっちのロック詩人」と書かれていました。
  オフコース「僕の贈りもの」(73)

 何と全曲譜面付きだったこのデビューアルバム。
当然のように、ギターを弾きながら歌っていました。
バンドを組んで、学園祭でオフコースの曲も歌ったけれどその頃はほとんど誰も知りませんでした。
73年に、このコーラスやサウンドはすごい。
しかし小田さんの声、変わらんなぁ〜。
  センチメンタル・シティ・ロマンス「1」(75)

 75年になると、こんなにのびのびと「洋楽」を作り出してしまうバンドが現れました。
なんの気負いもなくごく自然に湧き出てきた音楽が、聴いているこちらまでリラックスさせてくれました。
日本語を音にしてしまうような曲作りも、当時は新鮮でした。
(♪へのへのもへじのへそまがり〜♪)
  惣領智子「やさしく愛して」(76)

 惣領智子の作る優しいメロディと、旦那さんである惣領泰則の見事なアレンジが一体となったデビューアルバム。
「やさしく愛して」は思わず、おぅおぅドンドン愛しちゃうぜ〜と言いたくなるようなステキな曲。
私、一回何かの集まりでナマ智子さんとお会いしてるんですよね〜。いい人だったなぁ、、、今、なにしてる??
  鈴木慶一とムーンライダース「火の玉ボーイ」(76)

 これをJ−AORに入れていいのかわかりません。つまり、いろんな要素が詰まったアルバムなのです。
鈴木慶一の作り出すサウンドは、はっきり言ってクセがあります。まぁ、天才なのかなぁ、、やっぱり。
「シネマ」というバンドのプロデュースもしていて、こちらもオシャレなアルバムに仕上がっていました。後日紹介いたします。

     J−AORの素
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