保存車の世界

保存鉄道車両

レールバスと言うのは小型の気動車で、鉄道車両でありながらバスのような小型の車両ということでこのように呼ばれています。レールバスは1950年代に国鉄が導入し、その後1960年代と1980年代に富士重工業が更にバスに近いスタイルのものを製造しています。いずれも閑散線の少量輸送のために作られましたが、逆にその特性が仇となり、鉄道車両としては比較的早く廃車になっています。
ここでは、そんなレールバスの保存車を並べることで、その歴史を辿ってみます。
(このページは、年式順を基本に並べてあります)
参考文献
  1. 千葉雄一(1996)「わたらせ渓谷鉄道」(鉄道ピクトリアル96-4増)174-177
  2. 岡田誠一(2000)「国鉄レールバスその生涯」ネコパブリッシング
  3. 高田圭(2000)「近江鉄道」(鉄道ピクトリアル00-5増)44-55
レールバスについて

1.レールバスの定義
レールバスと言うのはまさにレールの上を走るバスと言う意味で付けられた和製英語ですが、レールの上を走るからには鉄道車両です。主に二軸の小型気動車のことを指す用語です。日本で製造されたレールバスのほとんどがバスの部品を多用しており、見た目はかなりバスに近いスタイルになっています。多くが二軸車ですが、1980年代に富士重工で製造されたLE-Carの末期には二軸車と同じコンセプトでボギー車も製造されているため、ここではそれも含めてレールバスと捉えます。

2.レールバスの時期的分類
日本のレールバスはその登場時期から3期に分類できます。まず第1期は1950年代、第2期が1960年代、そして第3期が1980年代です。第1期のレールバスは1954〜56年の間に約50両が製造された国鉄のレールバスです。第2期のレールバスは1959年(羽幌炭鉱鉄道)と1962年(南部縦貫鉄道)に製造された富士重工製のレールバス。第3期は1984年の樽見鉄道、名古屋鉄道以降相当数が製造された富士重工製LE-Carです。

3.レールバスの辿った運命
レールバスは閑散路線の合理化を目的に、車両を小型化し製造コストと運行コストの削減を図った画期的な車両でした。それは3つの時代どれにも共通して言えることです。しかしそのコンセプトはまた同時に裏腹な欠点も抱えていました。車両の小型化は確かに閑散時間帯には燃料効率の点においてメリットがあるかもしれませんが、朝の通勤通学時間帯には閑散路線でもそれなりの乗車があり、輸送力不足も発生しました。その結果重連運転を行うケースも生じ、大型車なら1両で済むところを2両必要になるというデメリットを生んでしまいました。更にバス並みのボディで製造コストを下げたものの、耐用年数もバス並みの10年くらいしかなく、20年以上使える鉄道車両に比べるとコスト削減効果は結果的に発揮できませんでした。

4.面白い記号形式の付け方
これは第3期のレールバスにのみ当てはまることですが、ハイモ180形ナガラ1形など変わった記号や形式のものが多く見られます。このきっかけを作ったのは特定地方交通線を第三セクターに転換した最初のケースであった岩手県の三陸鉄道だと思われます。三陸鉄道では車両形式を社名の「さんりく」にかけて36(さんりく)形としました。続いて樽見鉄道が記号をハイモとし、北条鉄道が記号をフラワとするなど変わった記号をつけるのが第三セクター鉄道の常識のようになってゆきました。それ以降は社名を記号にしたり、年式を形式番号にするなどの例が多くなり、伊勢鉄道のイセ1形、真岡鉄道のモオカ63形、わたらせ渓谷鉄道のわ89-1000形、天竜浜名湖鉄道のTH1形など、枚挙に暇がありません。

レールバスが多く保存されている理由
今回レールバスの保存車をまとめてみましたが、その数が意外に多いことに驚きました。特に1980年代の富士重工製LE-Carは各スタイルの車両が残されており、その生い立ちを振り返るには好都合でした。これらが多く保存されている理由は、その多くが特定地方交通線の第三セクター転換路線に使用されていたことにあると思われます。当時国鉄が廃止したものを地元が引き受けると言うことで、「マイレール意識」などという言葉も生まれたほど、鉄道を残す地元の意欲には強いものがありました。そのマイレールの最初の車両であるだけに、地元の愛着もひとしおなのだと言うことができるでしょう。

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