保存車の世界

鉄道車両

秩父鉄道の保存車

秩父鉄道では、1989年に創立90周年を記念して「秩父鉄道車両公園」を作り、その時期に廃車になった車両を保存しました。その後に車両の追加はなく、屋外保存だったせいもあり、2019年に公園のリニューアルに合わせた車両の全解体を発表、2019年5月までにすべての車両が解体されました。
一民間企業が車両保存などの文化事業を続けることの難しさが分かる事例としては、2018年に閉園した近江鉄道ミュージアムに続くもので、残念な話です。
秩父鉄道の車両は、沿線に廃車体の流用が多いのも特徴。恐らく保存と並行して、廃車車両の売却にも積極的に取り組んだ時期があったのでしょう。
そんな秩父鉄道の保存車(一部は廃車体も)です。

秩父鉄道車両公園の保存車両(2019年にすべて解体済み)

保存車
デハ107

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 デハ100形(107号)

秩父鉄道が戦後に日本車輌東京支店で新製(または鋼体化改造)した18m級半鋼製車いわゆる100系の電動車。当初は両運転台の特徴のない電車でした。その後の更新により、運転室が拡張され、同時に中央の運転台正面窓が広くなったため、秩父鉄道にしか見られない独特の顔つきになりました。現地の説明看板によると、運転台はタブレット収受の関係で中央にあったとのことです。

保存車
クハニ29

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 クハニ20形(29号)
クハニ29

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

100系の中でも特徴的だった荷物室合造車。乗務員扉の次の扉が荷物扉です。車内も見学可能なので、ニス塗の懐かしい車内も撮影してきました。前のほうに荷物室との仕切り板があります。
ところで説明板によると、この車両は国鉄から譲り受けた元南武鉄道の車両を改造したことになっていますが、どうやら真相は違うようです。
(注1)

保存車
デキ1

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 デキ1形(1号)

米ウェスチングハウス(WH)製の凸形電気機関車。乗務員扉を設置するためボンネットが片側に寄っているのが外形の特徴。秩父鉄道電化時に用意された5両のうちの1両です。

保存車
ED381

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 ED38形(1号)

国鉄から譲受した電気機関車で、国鉄時代の形式のまま使用されました。元々は阪和電鉄の新造した大型電気機関車で、戦時買収により国鉄籍となっていたもの。
正面窓の上側にRがあるなど優雅なスタイリングです。

保存車
ワフ51

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 ワフ50形(51号)

セメント輸送が核になっている秩父鉄道だけあり、ここの保存車にも貨車がたくさんあります。
この車両はスチール製有蓋車を改造した緩急車。タネ車はスム4000形だと思われます。緩急車への改造は1979年で、車端にデッキをつけるなど立派な緩急車に仕上がっています。
結局、貨物列車に車掌が乗務する制度がなくなり、1987年に廃車となりました。

保存車
ヨ15

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 ヨ10形(15号)

2軸ボギー緩急車。記号からすると車掌車ですが、見ての通り緩急車。セメントの原石輸送用の「鉱石車」ヲキを改造した車両だそうです。

保存車
トキ502

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 トキ500形(502号)

石灰石輸送に使用された無蓋車。国鉄外房線まで乗り入れていたということで、国鉄のトキ25000形とほぼ同型のようです。アオリ戸のリブの有無や車体色が異なりますが。

保存車
スム4023

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 スム4000形(4023号)

鉄側有蓋車で、国鉄のスム1形とよく似ています。スム1形は大正期から製造された国鉄貨車ですが、こちらは同じ外観で1963年製。生産数の少ない車種なので設計変更をしなかったのか、或いは国鉄に乗り入れる上での制約があったのでしょうか。
袋詰めセメントを運ぶ目的で使用されたようです。

保存車
テキ117

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 テキ100形(117号)

2軸ボギーの鉄製有蓋車で、やはり袋詰めセメントを運ぶ目的で使用されたようです。
国鉄には存在しなかったスタイルで、セメント輸送を主力とする鉄道会社ならではの存在と言えそうです。

保存車
ワキ824

撮影:秩父鉄道車両公園(2006.3.4)

秩父鉄道 ワキ800形(824号)

2軸ボギーの有蓋車で、解説板によると東武伊勢崎線や上信電鉄などへ乗り入れていたとのこと。やはり袋詰めセメントを運ぶ目的。
国鉄のワキ8000形とほぼ同形です。

沿線に散見される廃車体

利用(電車バンガロー)
デハ102

撮影:長瀞町(2006.3.4)

秩父鉄道 デハ100形(102号)

「電車バンガロー」になっているデハ100形で、この系列の草分けである1950年製の1両。車体だけになっていますが、子供が喜ぶバンガローとして余生を送ります。
(敷地外より撮影)

利用(電車バンガロー)
クハニ20

撮影:長瀞町(2006.3.4)

秩父鉄道 クハニ20形

「電車バンガロー」のもう1両。やはり車体だけになっていますが、利用されているだけにきれいに残されています。周りには元国鉄の車掌車ヨ8000形も何両か同じ目的で使用されています。
形式は窓配置から分かるのですが、車番は不明。
(敷地外より撮影)
(注2)

利用(飲食店)
クハニ24

撮影:熊谷市(2006.2.18)

秩父鉄道 クハニ20形(24号)
クハニ24

撮影:熊谷市(2006.2.18)

100系の荷物合造車としては3両目の残存車。
スナックとして使用されていますが、スペースの関係か途中で切断されて直角につながれ、さらに貨車とつながれてコの字型に配置されています。赤く塗装され、窓枠が薄色になっているなど、古い電車をかっこよく見せる術を知っているようです。ドアが荷物ドアなので木製なのも味を出しています。
貨車のほうは国鉄のワム80000形に見えます。
(注3)

保存車
デキ3

撮影:熊谷市(2006.3.21)

秩父鉄道 デキ1形(3号)

沿線で保存されているデキ1形です。一応レールの上に置かれて保存車の体をなしてはいるのですが、車号が消されているなど、ちょっと気になる点も。

保存車
デキ4

撮影:熊谷市(2006.3.21)

秩父鉄道 デキ1形(4号)

デキ3号同様に保存か保管か難しい状態です。やはり車号は消されています。

過去の車両

利用(児童公園)
クハ859

撮影:行田市(2006.2.18)

秩父鉄道 クハ850形(859号)

児童公園で利用されているクハ850形。1985年からの黄色いボディカラーを残しています。
800系と称されるこの系列は秩父鉄道が小田急電鉄から譲受した車両で、元を正せば運輸省が終戦直後に大手私鉄各社に割り当てたモハ63形。その生き残りですから貴重です。
また、小田急好きとしては、長く中間に挟まっていたため貫通扉が昔のままなのが嬉しい点です。
(2007年時点でこの廃車体は撤去されています。)

小田急電鉄 デハ1800形(1809号ほか)
デハ1809
小田急時代

小田急時代の末期に撮影した1800系です。既に秩父鉄道への譲渡が始まり、早く撮らないと消えてしまうという段階での撮影です。 先頭がデハ1809号ですので2両目がクハ1859号、つまり上にある秩父鉄道クハ859号になったという事です。

撮影:海老名(1980.11.1)

利用
デハ801

撮影:群馬町(1998.10)

秩父鉄道 デハ800形(801号)

こちらは私有地内で事務所として利用されていたデハ800形。スカイブルーに白い帯に塗り替えられています。上の車両と異なり、小田急時代、秩父時代を通じて4両の先頭に出ていたため、貫通扉の窓が上に大きく、行き先表示が方向幕となっています。
(この場所からは撤去されましたが、保存されているそうです)

秩父鉄道 800系
800系
現役時代

探してみたら秩父鉄道時代の写真もありました。車番は分かりませんが、800系4両編成で荒川橋梁を渡る旧塗装時代です。
この後1986年ごろから黄色にマルーンの新塗装に塗り替えられています。

撮影:上長瀞−親鼻(1984.8.26)

利用(ラーメン急行)
デハ3003

撮影:寄居町(2007.4.30)

秩父鉄道 デハ3000形(3003号)

JR東日本から譲受した急行用の3000系でしたが、西武鉄道からの後継車の転入により廃車となり、そのうち1両がラーメン屋さんとして再デビューしました。車体は半分にカットされていますが、残された部分はほとんど手付かずで、愛称窓に店名を表示しています。
(撮影時には休業しており、その後撤去されたそうです)

秩父鉄道 デハ3000形(3003号)
デハ3003
現役時代

鉄道車両公園を訪ねたとき、現役時代のデハ3003号を撮影していました。元を正せば国鉄の急行形電車165系ですが、秩父鉄道でも急行形として活躍していました。

撮影:三峰口(2006.3.4)

廃車体
デキ5

撮影:熊谷市(2006.3.4)

秩父鉄道 デキ1形(5号)

通りすがりの道の途中にデキ1形の仲間が置いてありました。バスならともかく、鉄道車両がこんな感じで置いてあるというのは、ちょっと珍しいのではないでしょうか。
(その後撤去されたそうです)

参考文献
  1. 柴田重利(1971)「秩父鉄道(下)」(私鉄車両めぐり特選)P68-78
  2. 澤内一晃(1998)「秩父鉄道車両のあゆみ」(鉄道ピクトリアル1998-11)P50-55
(注1) 文献2によると、元南武鉄道(つまり買収国電)モハ108号は秩父鉄道クハ21号となった後、1954年の鋼体化に伴いクハニ30号となり、1981年に廃車となっている。
一方、保存車両のクハニ29号(二代目)は、これを逆に辿ると文献2によると1973年にクハユ31号から改造されたと書いてある。このクハユ31号は1953年に鋼体化で誕生した車両で、それ以前はクハユニ31号を名乗っていたと言うから、それは1922年の電化開業時の車両のうちの1両ということになる。
つまり、クハニ29号クハニ30号という1番違いの車両の混同による誤記と考えられる。
ちなみにもう1両紛らわしい車両が過去に存在する。それは初代のクハニ29号で、1973年に廃車になっているが、元は国鉄の木造車サハ25形を終戦後に譲受したもの。秩父鉄道が国鉄から譲受した4両のうちの1両である。時期が同じであることから、この辺との混同も考えられる。
いずれにせよ1953年の鋼体化でまったく違う車両に生まれ変わっているため、車歴を論じることに何の意味もないかもしれないが。
(注2) 「電車バンガロー」のうちデハ102号のほうは、白川淳(1994)「全国保存鉄道2」に記載があるが、クハニ20形のほうは記載がないので車号が不明。
(注3) クハニ24号の車号については、「臨鉄情報館」(現在閉鎖)を参考にした。
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80s岩手県のバス“その頃”