バス住宅
撮影:大阪くらしの今昔館(2014.9.20)
バスを住宅にする。これは普通のことではありません。恐らく、緊急避難的に行われた過去の事例があるのみだと思います。従って、そこに住んでいた人は、好んで住んでいたわけではありません。やむを得ない仮の住まいだったのです。近年では、災害時に仮設住宅というものが用意されます。また、災害時に自宅や避難所ではなく、自家用車の中で過ごすという事例もあります。後者は積極的な意味での住宅ではありませんが、居住空間として自動車をやむなく使うという点では、過去のバス住宅に通じるものがあります。
終戦後のバス住宅
画像:トヨタ自動車工業(1958)「トヨタ自動車20年史」P272
敗戦後の日本には、食糧不足による飢餓が訪れます。そして、生活難、住宅難を反映して、バスの廃車体を利用した「バス住宅」が出現します。
写真は、愛知県に見られたバス住宅。
城北バス住宅(大阪くらしの今昔館 模型)
撮影:大阪くらしの今昔館(2014.9.20)
大阪市の大阪くらしの今昔館では、終戦直後に焼け出された人のために作られた仮設住宅の一つである「バス住宅」を模型で再現しています。
大阪市旭区豊里町(当時)に作られた城北(しろきた)バス住宅がそれで、26台のバスをめがね形に配置し、中央の空き地に炊事場や洗濯場、便所などの共用施設を設けたとのことです。
撮影:大阪くらしの今昔館(2014.9.20)
バス住宅は、戦時中に薪・木炭車に改造されていた昭和10年前後のボンネットバスが使われました。
模型では、タイヤやボンネットが撤去された姿を再現していますが、メーカーや年式による相違点も作り分けられています。前面窓の大きさや枚数、側面窓の幅、腰板のリブの位置など、1両1両の違いを見出すことができます。
撮影:大阪くらしの今昔館(2014.9.20)
1948(昭和23)年に作られたこのバス住宅は、1951(昭和26)年まで使われたそうです。
バスの中は約2坪半と狭いため、各人が建て増しするなど、居住性には工夫をしていたとのことです。
撮影:大阪くらしの今昔館(2014.9.20)
上のミニチュアの一部を拡大したジオラマ。屋根と壁の一部がなく、内部が見えるようになっています。
手前の増築部分は玄関と炊事場、火を使うのは車両の外のようです。別の角度から見ると、ボンネットのあった部分や、後輪のタイヤがあった部分などは、薪置き場となっています。
バス住宅の写真・資料が出ている本
LIXIL出版(2017)「西山夘三のすまい採集帖」
建築学者・建築家の西山夘三氏(1911-1994)は、小さいころから漫画を描いていたこともあり、様々な住居をスケッチにより採集しており、それをダイジェストしたのが本書です。
京の町屋、大阪の長屋から飛騨の合掌造り、岩手の南部曲り家、山谷のドヤなどを経て、公団アパートや建売住宅まで、あらゆる住まいの俯瞰図や風景が描かれています。
バス住宅(大阪市)
この本の中で、大阪市のバス住宅と京都市の電車住宅が取り上げられています。
バス住宅は、建て増しされた台所のイラストと、それを含めた俯瞰図が掲載されています。バス本体は4畳ほどの広さで、バスのドアにつながった建て増し部分は土間と上がり框になっています。
バス本体が狭いため、また共同炊事場まで行くのが不便なため、建て増しの台所を作ったそうです。
(注1)
朝日新聞社(1961)「アサヒグラフ 1961.11.3」
「バス」つき住宅(神戸市)
住宅難に一役の廃棄バス 不況の荒波をつっぱしって欲しいというのだろうかとのキャプションがつきますが、それ以外の説明は一切ありません。
神戸市では、不法占拠住宅の代替にバスによる住宅を提供したとのことで、これがそれである可能性があります。(注2)
なお、神戸市では、1961年6月に土砂崩れ災害が発生し、相当数の住居が失われていますが、それとの関係性は不明。
車両は初期のいすゞBXで、帝国ボディのようです。側窓にHゴムが使われていないので、1952〜53年式と思われます。右隣にも同じフェンダが見えます。
バスの左右に板やトタンで増築されているというのも、バス住宅の常道です。
暮らしの手帖社(1964)「暮らしの手帖77」
バス団地(新潟市)
1964年の新潟地震で家を失った社員のため、新潟交通が新潟市河渡物見山に古いバスを集めて住居に仕立てた新潟交通応急住宅を「バス団地」と題して取り上げています。
ここに写っているだけでも15台以上あり、ほとんどがキャブオーバーバスです。新潟交通が好んで使用していた天然ガス車で、これらがそろそろディーゼルエンジンの車両に置き換わり始める時期だったのでしょう。
よしずの屋根を付けたものが多い中、トタンでちゃんとした屋根を付けたものも見えます。
人間はよくしたもので、どんなところでも工夫して、少しでも住みよくする。運転席がプロパン置場になり、網ダナは小物をのせるだけでなく洋服かけにもってこいである。
(中略)床を少し上げたためもあるが、バスの天井がこんなに低いとは、じつは毎日乗務していて気がづかなかった。
寒くなって一つだけありがたいのは、窓や戸の建てつけがいいことだろう。(同書より)
こどもは新しい環境にすぐなれてくれる、それがせめてもの救いであった。幼稚園で、ボクの家はバスなんだぞ、といばったというのである。うらやましがる友だちをつれてきて、「発車オーライ」などとバスごっこをする。手すり棒を鉄棒がわりにして、忍者ごっこをやる、こどもにとっては、むしろたのしい家らしい。(同書より)
共同の井戸を掘り、洗濯や炊事をしながらの文字通り井戸端会議が開かれます。
その左側に見えるのは、風呂で、前の家にあったものを持ってきて、やはり共同で使っているそうです。柱に葭簀(よしず)が立ててありますが、風呂を使う時にはこの葭簀で囲いをします。
後ろのバスは川崎ボディのキャブオーバーで、5061 本との車番が見えます。
現在の仮設住宅
近年でも、災害の発生後に被災した住民が生活する場所として、行政機関が仮設住宅を建設する場合があります。このような場合、採用されるのは、プレハブ住宅をはじめとした建築物です。バスや電車が調達されることはまずありません。その理由の一つは、プレハブ住宅などの建設技術が向上し、短時間かつ安価に建物が建設できるようになったこと。また、もう一つは、プライバシーの考え方が変化し、トイレや風呂、炊事場などを各世帯に組み込むことが必須となったからです。
プレハブ型仮設住宅
撮影:長野市(2021.10.23)
阪神大震災や東日本大震災の際の仮設住宅でも見られたプレハブ型。予め完成させた部材を現地で組み立てるため、建設にかかる時間が短縮できるメリットがあります。
写真は長屋形式で、1棟に4世帯ほどが入っています。手前には物置も設置されています。
木造仮設住宅
撮影:長野市(2021.10.23)
こちらは、2019年の水害に際し、長野市が全国木造建設事業協会に依頼して、県産木材を使用して建設した木造の仮設住宅。仮設住宅のイメージを少しでも向上させる工夫の一つです。
やはり長屋方式です。
トレーラーハウス型住宅
撮影:長野市(2021.10.23)
やはり長野市が地元のトレーラーハウスメーカーから調達したもので、予め完成したものを設置するため、建設時間が短縮できるほか、移動が容易というメリットがあります。
戸建方式になっています。