80年代のバス・・・そのあと

岩手観光バス

岩手観光バスは国際興業グループの貸切専業会社でした。同じ国際興業グループの岩手県交通とは、車両の仕様等にも微妙な違いがありました。
その岩手観光バスも、2001年9月には岩手県交通に統合され、車両もそのまま県交通へ移籍しています。これは,元岩手観光バスのその後の姿です。
なお、解説文は撮影時点での状況に基づいています。

岩22か1899(廃車体)
岩22か1899

撮影:左党89号様(一関営業所 2000.2.27)

岩手観光バス いすゞK-CSA650(1983年式)

岩手観光バスで廃車になった後、岩手県交通に譲渡され、一関営業所に留置されているハイデッカーⅣ型。両社が統合される前年のことで、統合時の移籍以外に両社間で車両の譲渡が行なわれた珍しい例です。
側面には南部あねこのマークが張られたままです。
このときこの場所には、同型車の3両(岩22か1899〜1901)が留置されていたそうです。

岩手200か209
岩手200か209

撮影:左党89号様(盛岡駅 2000.10.14)

岩手県交通 いすゞK-CSA650(1983年式)

2000年に岩手観光バスから岩手県交通に移籍し、同年に運行を開始した千厩〜盛岡線に使用されているハイデッカーⅣ型。撮影者が上記の廃車体撮影の際に車台番号を控えていたことから、元岩22か1901であることが判明しています。
地道な記録の大切さが分かります。

岩手200か255
岩手200か255

撮影:左党89号様(盛岡バスセンター 2000.10.11)

岩手県交通 いすゞK-CSA650(1983年式)

上の車両とともに岩手観光バスから岩手県交通に移籍し、交互に千厩〜盛岡線に使用されている同型車。
撮影者によると、岩手観光バスからは3両の同型車が一関営業所に運び込まれているものの、県交通で就役したのは上記209(←1901)とこの2両のみ。この車両が岩22か1899岩22か1900のどちらであるかは分かりません。残り1両は、何らかの理由でそのままスクラップされたようです。

岩22か2291
岩22か2291

撮影:岩手県交通ファン様(滝沢営業所 2003.5.2)

岩手県交通 いすゞP-LV219S(1986年式)

岩手観光バスが新造した貸切車です。2001年9月の岩手県交通・岩手観光バス統合により岩手県交通に移籍しました。岩手県交通の滝沢営業所が、旧岩手観光バスの営業所へ移動した今も古巣に残って活躍中のようです。
側面のローマ字はイタリック体に書き換えられていますが、切文字ではなくペイントのようです。また、「一般乗合」の表記がありますが、用途は何でしょうか。

岩手22き519
岩手22き519

撮影:カレン様(盛岡バスセンター 2004.2.5)

岩手県交通 いすゞP-LV219S(1987年式)

岩手観光バスが1991年に静岡県の大富士開発から譲受したハイデッカⅤ型。私は出会っていない車両です。
現在では,急行バス盛岡−大船渡線に使用されているようです。岩手県交通には“その頃”にも大富士開発からの譲受車がおり,時代はめぐるという感じです。
折戸,正面2枚ガラス,逆T字窓(上段引き違い)という仕様。いすゞのハイデッカーシリーズはT字窓(上段固定)が標準だったため,国際興業グループ各社では標準仕様が多く導入されていました。しかし,一般的にはこの時期の貸切車には逆T字が多く導入されていたようです。

岩手22き595
岩手22き595

撮影:岩手県交通ファン様(滝沢営業所 2004.9.10)

岩手県交通 いすゞP-LV719R(1988年式)

富士重工製HD-1型ボディを持つ貸切車。岩手観光バスが1992年に西東京観光バスから譲受したそうです。
県交通に移籍してから塗り替えが行われたようで、以前は正面窓下が黒、ライト周りとバンパーが白という塗り分けでした。

岩手22き218
岩手22き218

撮影:岩手県交通ファン様(滝沢営業所 2003.6.8)

岩手県交通 いすゞP-LV719R(1989年式)

私が去った後に岩手観光バスが新車で導入したスーパークルーザー。スーパーハイデッカーが看板車両として各社に入り始めた時代でした。
登場時は、スーパークルーザーのカタログカラーに近い、つまり正面窓下が黒でライトまわりが白というデザインでしたが、岩手県交通移籍後に塗り直されたようです。側面の切文字によるローマ字社名も、旧社名のものを生かしたようで、「Iwate kenkotsu」という区切り方になっています。

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