その後の廃車体

他地域の会社

首都圏などの貸切バス会社の車両が岩手県内に廃車体となって存在する事例があります。多くの場合、送迎用などで流れてきたものが廃車になり、そのまま置かれているケースですが、一部には直接流れてきたものもあるようです。

廃車体
B905N

撮影:長谷川竜様(岩手県 2015.5.30)

自家用 三菱B905N

県内で自家用バスとして使用されていたバスだと思われます。元カラーは日野の中型バスRM100のカタログカラーで使われていたもので、自家用バスのカラーとしても普及したものです。
側面に方向幕とスピーカーがあることから、元高速バスではないかと思われます。この時期の車両でこういう仕様というと、富士急行あたりが浮かんでくるのですが、詳細は不明。
型式は推定です。

廃車体
RC300P

撮影:岩手県交通ファン様(岩手県 2005.1.5)

富士急行 日野RC300P(1972年式)
RC300P

撮影:岩手県交通ファン様(岩手県 2005.1.5)

自家用バスの廃車体ですが、側面に方向幕と車外スピーカーがあることから元は路線バスだったと推察できます。そして、リアウィンドウにはY1203という車番が残っていました。この車番の振り方と書いてある場所から富士急行だと思います。1972年式で、中央高速バスに使用されていた車両です。

廃車体
B806N

撮影:一関市民様(和賀町 2003.11.9)

ケイエム観光 三菱B806N
B806N

撮影:一関市民様(和賀町 2003.11.9)

東京のケイエム観光の廃車体がありました。
車体は1970年までの富士重工の観光タイプ。後面の窓がルーフラインまである観光タイプながら小さく,側窓の天地も小さい初期型です。後部のエンジン通気孔の形状は独特ですが,これは三菱B8系列の初期の富士重工製に見られた形です。多分1968年から製造された強力型のB806と推察しました。

廃車体
MS513R

撮影:終点横川目様(一関市 2007.11.3)

富士自動車 三菱MS513R
MS513R

撮影:終点横川目様(一関市 2007.11.3)

富士重工製R13型ボディでカーブドガラスを持つ貸切車両で、シャーシは三菱です。
後面に「富士自動車観光部」と書かれており、東京の富士自動車の車両であることが分かります。これ以降の車両では車体に「FUJI MOTOR CAR」と書かれており、その名前のほうが知れているかもしれません。

廃車体
MS512N

撮影:一関市民様(衣川村 2003.10.4)

日本観光興業 三菱MS512N
MS512N

撮影:一関市民様(衣川村 2003.10.4)

「サンホテル衣川荘」の送迎バス廃車体ですが,神奈川県の日本観光興業のカラーデザインとほとんど変わっていません。
車両は呉羽車体のセミデカーで,丸みのある呉羽独特のボディですが,三菱のB35型ボディと同じマスクを取り付けているため,比較的新しく見えます。1979年式くらいでしょうか。

廃車体
MS513N

撮影:終点横川目様(一関市 2007.11.3)

京浜急行 三菱MS513N

三菱のセミデッカーの廃車体です。元京浜急行から旅館の送迎バスを経て廃車になったのでしょう。
三菱ボディのB35型と呼ばれるこのボディは1977年以降の製造です。型式は推定です。
(この廃車体は、2003年に一関市民様から頂いていた写真を差し替えました)

廃車体
MS613N

撮影:終点横川目様(遠野市 2007.11.3)

富士急行観光 三菱K-MS613N
MS613N

撮影:終点横川目様(遠野市 2007.11.3)

遠野市内でサッカーの遠征車として使用されていた自家用バスの廃車体。カラーデザインから富士急行グループの富士急行観光の車両だったことが分かります。富士急行と同じグリーンベルトですが、窓周りだけが白いのが富士急行観光の特徴です。
三菱のパノラマデッカーで、パノラマ部分の窓が側面とつながっているのは1980年以降のボディスタイルです。
型式は推定です。
(コースター乗り様によると、2008年3月現在撤去済みです)

廃車体
RE101LF

撮影:キュービック様(岩手県 2009.5.26)

東京都交通局 日野K-RE101LF(1980年式)

岩手県内にある都バスの廃車体。
後部にG489という車番が残っていました。この年式だと、冷房車と非冷房車が並行導入されていたようですが、これは非冷房の車両です。
ブルー帯の通称“美濃部カラー”からこの色に塗り替えられる際、バンパーは黒色に塗られました。
まだ都営バスの中古車が地方のバス会社に流通する前の車両が、地方に存在するということに興味を引かれます。
(2007年に岩手県交通ファン様が撮影した画像を差し替えました)

廃車体
BU20KP

撮影:終点横川目様(北上市 2008.5.8)

はとバス いすゞBU20KP
BU20KP

撮影:終点横川目様(北上市 2008.5.8)

一瞬、国鉄バスかあるいは東日本急行かと思いましたが、どれとも違う塗り分けで、自家用に塗られたカラーのようです。
側窓の下にモールがありますので、岩手県交通にも来ていたはとバス中古のようです。そういう視点で見てみると、正面のライトの上の飾りも社名表示窓もついていません。はとバスから直接流れてきて企業の送迎バスなどに使われたのでしょう。
山の中の資材置き場にあるそうです。

廃車体
CRA650

撮影:一関市民様(一関市 2006.11.5)

はとバス いすゞCRA650

元はとバスのハイデッカー2型で、付近の温泉旅館の送迎バスとして使用されていたようです。カラーデザインはほぼはとバスのまま。
岩手県交通にも同じ形の車両が何両か入っていました。
(撮影者によると、2009年12月現在撤去済みです)

廃車体
CRA580

撮影:左党89号様(八幡平市 2007.8.16)

関東自動車 いすゞK-CRA580

関東自動車のカラーと切り文字がそのまま残る廃車体。社名がそのままということは、岩手県で自家用に使用されたということでもないようです。
リアの「V10S」マークなどから1980年式くらいと思われます。型式は推定です。

廃車体
LV217H

撮影:岩手人様(遠野市 2005.3.22)

内山観光バス いすゞP-LV217H

カラーデザインから東京の内山観光バスと思われる廃車体。自家用バスとして第2の働きをした後、このような廃車体になったようです。
いすゞが9mサイズの貸切車の草分けとして1984年に登場させたのがこの型式で、大型車並みのパワーとハイデッカー4型スタイルのボディで、中型観光バス市場に新風を吹き込みました。
(撮影者によると、2006年7月4日に撤去されたそうです)

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80s岩手県のバス“その頃”