その後の廃車体

岩手県交通11(譲受車)

岩手県交通が譲受した路線タイプ車両のうち、国際興業以外からのものをまとめてみます。

廃車体
RB10

撮影:一関市民様(岩手県 2007.4.21)

岩手県交通 日野RB10

帝国ボディの日野RB10で、恐らく元京浜急行。県交通にはそれなりに両数のあったタイプです。ただ廃車体として残っているとの報告はこれが初めてのような気がします。

廃車体
RB10

撮影:一関市民様(一関市 2006.11.5)

岩手県交通 日野RB10

岩手県南バスカラーの富士重工ボディ。県南バス時代に譲受した車両で、元が神奈川中央交通なのか京浜急行なのかは外見ではよく分かりませんでした。今回、部品が外れた跡から明るいブルーのカラーが見えているので、元京浜急行との想像がつきます。
(撮影者によると、2009年12月現在撤去済み)

廃車体
RB10

撮影:一関市民様(一関市 2006.11.5)

岩手県交通 日野RB10
RB10

撮影:一関市民様(一関市 2006.11.5)

上の車両と同型車ですが、県交通カラーになっています。やはり元京浜急行。
ところで、県交通では少数派であるはずの富士重工ボディが廃車体で残存する確率がなぜか高いということがまた立証されたような気がします。
(撮影者によると、2009年12月現在撤去済み)

廃車体
RB10

撮影:KT100様(岩手県 2020.6.5)

岩手県交通 日野RB10

ゲートボール場の休憩所として使われている富士重工ボディの日野RB10。車内の座席は向かい合わせになっていて、歓談できるようになっているそうです。
この手のスタイルは元京浜急行だと思われますが、富士重工ボディの同型車は、過去に発見された廃車体と合わせて3台に上ります。

廃車体
RB10

撮影:終点横川目様(岩手県 2009.4.18)

岩手県交通 日野RB10
RB10

撮影:終点横川目様(岩手県 2009.4.18)

富士重工製ボディの廃車体。撮影者によると車内は青色の三方シートとのこと。白いHゴムであることと考え合わせて、元京浜急行で間違いないと思います。
使わない後面の方向幕は白く塗りつぶされています。そういえば1960年代後半、合理化のためか首都圏のバス会社で後面方向幕をこのように塗りつぶすケースがありました。

廃車体
RE100P

撮影:左党89号様(西和賀町 2008.12.21)

岩手県交通 日野RE100P

正面が重機か何かに押されたように歪んでいる廃車体です。金産ボディのメトロ窓車で、反対側は見えませんが2ドア車(前中折り戸)とのことですので、県交通が岩手県北バスから譲受したと推定される車両のうちの1両と思われます。
車体裾から赤い色が見えてきています。

廃車体(岩22か1106)
RE100P

撮影:岩手県交通ファン様(千厩営業所 2005.6.18)

岩手県交通 日野RE100P(1968年式)

千厩営業所構内にある廃車体のうちの1台。“その頃”廃車になったばかりだった車両で、20年間同じ場所で過ごしているようです。

廃車体
RE100

撮影:一関市民様(岩手県 2008.4.6)

岩手県交通 日野RE100

正面の系統幕の中途半端な幅から元神奈川中央交通か元京浜急行の車両であることは分かります。
もっとも、後になって分かってきたことですが、両社の廃車時期にはずれがあり、RE100が1977年頃に廃車になって岩手県交通に譲渡されていたのは神奈川中央交通だけだったようです。
なお、タイヤのホイールが赤いのですが、これは県交通時代に県南バス色のタイヤを履いていた車両もあるので、ヒントにはなりません。

廃車体
RE100

撮影:岩手県交通ファン様(釜石営業所 2004.4.24)

岩手県交通 日野RE100

釜石営業所構内にあるという日野車の廃車体。こちらは元神奈川中央交通の車両で、県交通にはかなりの数見られた車両です。

廃車体
RE100

撮影:終点横川目様(岩手県 2008.4.29)

岩手県交通 日野RE100

ガラスもかなり割れ、ボディも痛めつけられ、無残な姿になってしまっている廃車体です。車内は薪の置き場になっているようです。
後部に赤とカラシ色の旧カラーが見えているため、元神奈川中央交通であることが分かります。後面の方向幕が割れた内側に丸みのある窓が見えますが、通常内側から方向幕を覗く小窓になるところが、神奈中はこの形の窓が特徴でした。

廃車体
BU05

撮影:岩手県交通ファン様(岩手県 2005.2.12)

岩手県交通 いすゞBU05(1967年式)
BU05

撮影:岩手県交通ファン様(岩手県 2005.2.12)

北村製作所製ボディの廃車体。恐らく前中折戸の元常磐交通の車両です。県交通に在籍していたのは数両ですが、そのうちの1両です。
車両の破損や塗装の劣化もなく、かなり良好な状態の廃車体です。北村製作所のよき時代を残した姿です。

廃車体(岩22か1155)
RE120

撮影:岩手県交通ファン様(釜石営業所 2004.4.24)

岩手県交通 日野RE120(1970年式)
RE120

撮影:岩手県交通ファン様(釜石営業所 2004.4.24)

釜石営業所の片隅にある富士重工製車体の日野車。正面視野拡大窓という珍しい顔立ちで、現役時代も2台しかいなかったはずですが、そのうち1台がよく残っていたものです。
富士重工製車体というのは、日野車はもちろんいすゞ車でも県交通では少数派ですが、なぜか廃車体としてはそれなりの数が残っているような気がします。
なお、下の廃車体の登録番号が判明したので、こちらは岩22か1155であると思われます。

廃車体(岩22か1156)
RE120

撮影:岩手県交通ファン様(岩手県 2004.12.11)

岩手県交通 日野RE120(1970年式)

富士重工製ボディの日野車。上の写真の車両と同型で、元茨城オートです。
撮影者によると現役時代の登録番号は岩22か1156。このタイプは現役時代にも2両しか確認できていませんので、希少な車が2両とも廃車体として残っているということになります。

廃車体
BU10D

撮影:一関市民様(岩手県 2007.5.3)

岩手県交通 いすゞBU10D(1971年式)
BU10D

撮影:一関市民様(岩手県 2007.5.3)

元神奈川中央交通。盛岡地区にまとまった数が転入していた富士重工製ボディですが、細部の特徴に違いがあるため、よく観察すると現役時代の登録番号が分かるかもしれません。
廃車体として残っているのはこれ以外は見つかっていません。

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