その後の廃車体

岩手県交通6(岩手県南バス1)

岩手県南バスは県南部の内陸から沿岸部までかなり広いエリアで営業していたため、廃車体も数多く見られます。現役時代から車両の種類が豊富だったこともあり、廃車体についても興味が尽きません。
ここでは日野の車両のうち帝国ボディをまとめます。

廃車体(岩2く1280)
岩2く1280

撮影:終点横川目様(北上市 2003.11.24)

岩手県交通 日野BK32(1960年式)
岩2く1280

撮影:終点横川目様(北上市 2007.5.12)

中ドア専用シャーシのセンターアンダーフロアエンジンの車両の廃車体です。帝国車体の丸型ボディで,後面の中央部は非常口になっています。
撮影者によると、車内はドアより前がロマンスシート、後方が三方シートになっているそうです。
2007年に撮影者が再調査をしたところ、年式と登録番号が判明しました。残念ながらシャーシ銘板は失われていましたが、型式は年式から推察させていただきました。

廃車体
RB10

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.5.5)

岩手県交通 日野RB10

後面が丸い日野RB10の廃車体。かなり荒廃が進み、フロントガラスもなくなっていますが、私も“その頃”に撮影していたこの廃車体です。正面窓中央のアンダーミラーが特徴です。

廃車体
RB10

撮影:二枚橋好摩様(岩手県 2010.8.10)

岩手県交通 日野RB10

上の廃車体の3年後です。周りの物がなくなったので、側面がよく見えるようになりました。
側面の下のほうに明るいブルーが覗いています。正面付近にも特徴があり、運転席横の窓に日よけがあり、正面窓上のヒサシ上の部分にも水切りのような細材がついています。正面の日野エンブレムの下にある丸い錆びも、かつて何らかの社紋のようなものがついていたものと想像できます。
(注1)

廃車体
RB10

撮影:終点横川目様(大船渡市 2007.5.19)

岩手県交通 日野RB10
RB10

撮影:終点横川目様(大船渡市 2007.5.19)

帝国ボディの日野RB10ですが、後面窓は2枚窓です。いすゞではよく見かける2枚窓ですが、日野では珍しいと思います。
また、この車両は窓ガラスが青いとのことです。屋根上の様子から冷房車ではないようですが、貸切車など何か特殊な要素があったものと想像できます。いずれにせよ元は前ドア車だったようで、県南バス時代にドアを移設してツーマン車になったようです。運転台正面についたアンダーミラーが特徴。

廃車体
RB10

撮影:終点横川目様(水沢市 2005.1.29)

岩手県交通 日野RB10
RB10

撮影:終点横川目様(水沢市 2005.1.29)

後ろの丸い帝国ボディが次々に発見されてきます。
これはノーマルな2ドア車に見えますが、県南バスオリジナルならば元は1ドア車のはずです。前か中かどちらかのドアは増設したものと推察できます。

廃車体
RB10

撮影:岩手県交通ファン様(沢内村 2004.7.25)

岩手県交通 日野RB10P
RB10

撮影:岩手県交通ファン様(沢内村 2004.7.25)

私も見覚えのある廃車体。丸型の後面スタイルを持つ帝国ボディです。正面窓が大きめなので1962〜63年式です。リアエンジンバスなので後面に非常口はありません。
正面窓上の明かり窓や窓下のモール,4灯のヘッドライトなどから,元は前ドアの貸切車だったことが分かります。

廃車体
RB10

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.11.3)

岩手県交通 日野RB10
RB10

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.11.3)

帝国ボディの日野RB10ツーマン車両です。下の車両と同様、前ドアの貸切車だったものを中ドア車に改造したようです。ただし、前照灯4灯、五角形ウィンカーなどの点は下の車両と異なります。
撮影者によると、下地に青い色が見えるとのことで、どこかからの譲受車かも知れません。

廃車体
RB10

撮影:海さん様(一関市 2007.8.26)

岩手県交通 日野RB10
RB10

撮影:海さん様(一関市 2007.8.26)

帝国ボディの日野RB10ツーマン車両です。恐らく、前ドアの貸切車だったものを中ドア車に改造したものと思います。
県南バスではそう珍しくないタイプだと思われますが、廃車体はあまり発見されていません。

廃車体(岩2く1478)
RB10P

撮影:一関市民様(水沢市 2004.4.24)

岩手県交通 日野RB10P(1966年式)

キャブオーバー車と隣り合わせの場所にある観光タイプ前ドア車。県南バスでは類似タイプが多数あったようで,廃車体も各所で見られます。ヘッドライト4灯です。
なお、廃車になって間もないこの廃車体を大兄貴様が撮影しており、現役時代の登録番号などが判明しました。1981年ごろの姿はこちら

廃車体(岩2く1514)
RB10P

撮影:一関市民様(平泉町 2003.9.6)

岩手県交通 日野RB10P(1967年式)
RB10P

撮影:一関市民様(平泉町 2003.10.11)

義経堂近くにある廃車体。元県南バスの前ドア車です。“その頃”からありましたが,錆が進んだからか,前部が白く塗り直されているようです。
なお,撮影者が所有者の許可のもと車内を確認したところ,現役時代の登録番号が「岩2く1514」であることが分かりました。
(撮影者によると,2004年5月現在撤去済み)

廃車体
RB10P

撮影:一関市民様(和賀町 2003.8.23)

岩手県交通 日野RB10P(1966年式)

岩手県南バスから引き継いだ観光タイプの前ドア車。帝国ボディの正統派スタイルを持つこのグループは,現役時代にはまとまった両数があったようです。中ドア増設準備車とも思える窓配置と,「ワンマン出入口表示窓」の存在が特徴です。
現在では,民家の奥で静かな余生を送っているようです。
(撮影者によると、2009年4月現在撤去済み)

廃車体
RB120

撮影:一関市民様(和賀町 2003.9.14)

岩手県交通 日野RB120
RB120

撮影:farewell song様(和賀町 2007.5.4)

元岩手県南バスの路線タイプで,RB120という形式はRB10をロングサイズにしたもの。このサイズで強力型がRC100になるという図式です。
写真の車両は,ロングサイズでありながら生まれつきの中ドアツーマン車で,輸送力を要する路線に投入されていたことを想像させます。中ドアの後ろに「岩手県南バス」の文字が見えていますが,これは上に書いた「岩手県交通」の文字が消えた後に浮き出てきたものでしょうか。
(撮影者によると、2009年12月現在撤去済み)
(注2)

廃車体
RB120

撮影:一関市民様(胆沢町 2003.11.24)

岩手県交通 日野RB120
RB120

撮影:farewell song様(胆沢町 2007.5.4)

元岩手県南バスの路線タイプで,RB120です。上の写真の車両と同型のようです。
後面に方向幕を持つことから,首都圏からの譲受車であることが想像できます。よく見ると側面の方向幕は県南バスオリジナル車にはなく,この車両もそれを使わずにサイド板を入れていた形跡があります。
(一関市民様によると、2009年4月現在撤去済み)
(注2)

廃車体
RB120

撮影:一関市民様(一関市 2006.6.10)

岩手県交通 日野RB120

長尺の中ドアツーマン車。メーカーエンブレムがないので、上の2両と同じく元東武鉄道ではないかと思います。
一旦青色に塗りつぶされたようですが、県南バスカラーが見えてきています。

廃車体
RB120

撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2007.5.2)

岩手県交通 日野RB120

長尺の中ドアツーマン車。後部に方向幕があるなど、元東武鉄道のようです。

廃車体
RE100

撮影:一関市民様(金ヶ崎町 2003.8.23)

岩手県交通 日野RE100
RE100

撮影:一関市民様(金ヶ崎町 2003.11.24)

岩手県南バスから引き継いだ車両です。金産車体のツーマン車に前ドアを増設した車両です。ライトベゼルをいすゞと同じ物に交換している点が特徴で、岩22か48かも知れません。
(撮影者によると、2009年現在撤去済み)

廃車体
RE100

撮影:長谷川竜様(大船渡市 2014.6.21)

岩手県交通 日野RE100(1973年式)

県南バスカラーのまま残るRE100は、県南エリアに配属されていた1973年式。物置として使用されているようで、破損も少なく、状態は良好です。もっとも、リアガラスは割れていて、波板でふさがれた状態でした。

廃車体
RE100

撮影:一関市民様(一関市 2006.11.5)

岩手県交通 日野RE100(1973年式)
RE100

撮影:一関市民様(一関市 2006.11.5)

県南バスカラーのRE100。同じような外観でも、1976年式の車両は県交通カラーに塗り替えられてしばらく活躍、1973年式はこのカラーのまま廃車になりました。
(撮影者によると、2009年12月現在撤去済み)

廃車体
RE100

撮影:岩手県交通ファン様(大槌町 2008.4.27)

岩手県交通 日野RE100(1973年式)
RE100

撮影:岩手県交通ファン様(大槌町 2008.4.27)

窓の部分に虫除けのような網を張ってある廃車体。色あせてはいますが岩手県南バスカラーが見えます。このタイプは1973年式と1976年式がありましたが、後者は県交通カラーに塗り替えられていたので、1973年式だと思います。

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」という趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1) 満田新一郎ほか(2006)「続・昭和30年代のバス黄金時代」の「日本交通(東京都)」のページ(P39)に、これと似た特徴を持つ車両が写っている。
(注2) farewell song様が2007年5月に現地調査を行い、2両とも東武鉄道からの譲受車である形跡が発見されている。なお、東武バス時代は緑色の三方シートだったとのこと。
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