その後の廃車体

国鉄バス4(いすゞ車)

国鉄バスは東北地方に幅広く分布していますが、ここでは岩手県にあるものを取り上げます。
東北自動車部には、いすゞ車と日野車がバランスよく配置されていました。
いすゞ車でありながら、国鉄バスでは帝国ボディ(→日野ボディ)との組み合わせが多く、遠目では日野車との区別が困難でした。

廃車体
BR351P

撮影:左党89号様(岩手県 2021.3)

日本国有鉄道 いすゞBR351P(1961年式)
BR351P

撮影:左党89号様(岩手県 2021.3)

林の中に置かれた国鉄バス旧カラー。後面は丸みのある2枚窓で、方向幕付です。
車番は431-1683が残されていますが、撮影者が得た情報によると、製造当初は513-1683だったものを、1964年の称号改正で改番したものだそうです。
また、型式、年式も同じく撮影者が得た情報によります。

廃車体
BA741

撮影:長谷川竜様(岩手県 2015.5.30)

日本国有鉄道 いすゞBA741(1963年式)
BA741

撮影:長谷川竜様(岩手県 2015.5.30)

山間部の屋敷の庭先に2台の国鉄バス旧塗装車がありました。2両は同形車と見られます。
431-3005という車番が見えますが、は読みとれません。
後ろの丸い帝国ボディで、後面窓は3枚窓。このボディスタイルで、側面最後部の窓が固定式の扇形なのは一部のいすゞ車の特徴です。

廃車体
BA01N

撮影:キュービック様(岩手県 2008.8.27)

日本国有鉄道 いすゞBA01N(1968年式)
BA01N

撮影:キュービック様(岩手県 2008.8.27)

国鉄バス岩泉営業所には何両か配置されていた7mサイズのナロー車いすゞBA01Nの廃車体は、キュービック様の撮影時点では、下の2両を含めて3両は存在したとのことです。
この写真の車両は旧塗装のまま廃車になっており、テールランプの形状と合わせて、1968年式だと思われます。
これらの形状の違いは、1970年代奥の細道>国鉄バス2で現役時代の写真を比較できます。

廃車体
BA01N

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.6.8)

日本国有鉄道 いすゞBA01N(1969年式)
BA01N

撮影:岩手県交通ファン様(岩手県 2005.1.5)

いすゞBA系の中でも最小の7mサイズの中ドア車で、ナロー車。今で言えば小型バスが選択されるクラスです。山間部の狭隘路線用に、いすゞにしかなかった車型ですが、国鉄バスでは帝国ボディを架装していました。丸みのあるボディですが、帝国ボディではこの型式のみ1972年までこのスタイルを製造していたそうです。
車番は231-9006ですので1969年式。短尺の中型車に与えられる2型です。
岩泉に配属されていたことは聞いていましたが、廃車体が現存するとは思ってもいませんでした。2005年に岩手県交通ファン様に第一報を頂いたあと、2013年に現存が確認されましたが、状態は良好です。

廃車体
BA01N

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.6.8)

日本国有鉄道 いすゞBA01N

上の廃車体と同型のBA01Nがまだありました。こちらは、釣堀の受付として使用されていたものですが、今では釣堀の営業も終わっています。
こちらの廃車体は、非常口側をお見せします。

廃車体
BU10

撮影:岩手人様(遠野市 2002.7)

日本国有鉄道 いすゞBU10
BU10

撮影:岩手人様(遠野市 2002.7)

国鉄バスの廃車体で,“その頃”私が撮影した廃車体の現在の姿です。車両の痛みはそれほど進んではいないようです。
(撤去済み)

廃車体
BU05

撮影:一関市民様(一関市 2003.9.6)

日本国有鉄道 いすゞBU05
BU05

撮影:一関市民様(一関市 2003.9.6)

国鉄バスのいすゞ車の廃車体。車体は帝国車体製です。1970年式くらいだと思われます。
系統幕付,中ドア引き戸,後部方向幕付になっています。側面の方向幕は,中ドア戸袋前の窓の所にあるようです。なお,このようなドア,方向幕の廃車体は岩手県内には少なくありません。ワンマン化当初はこの仕様で東北地方に新製配置されていたのでしょうか。
(撮影者によると、2009年4月現在撤去済み)

廃車体
BU10P

撮影:キュービック様(岩手県 2008.11.22)

日本国有鉄道 いすゞBU10P
BU10P

撮影:キュービック様(岩手県 2008.11.22)

帝国ボディのいすゞ車の中ドアツーマン車。
型式は、参考文献に掲載の同形車からの推察です。
冬になって雪が降る時期にならないと見えないところにある廃車体。撮影者はこれらを「雪物」と呼びます。言い得て妙、というところでしょうか。

廃車体
BU10

撮影:左党89号様(一戸町 2003.11.15)

日本国有鉄道 いすゞBU10

帝国車体のいすゞ車です。前中折戸車のようです。
ウィンカーの形や,縁のないフェンダ形状から1970年前後のものと思われます。系統幕があります。
(撮影者によると2021年時点で撤去済み)

廃車体(岩22か943)
BU10

撮影:左党89号様(軽米町 2005.3.21)

日本国有鉄道 いすゞBU10(1976年式)

帝国ボディのバス窓のいすゞ車。撮影者によると、車番は521-6002で、北福岡(のち二戸)所属だったそうです。
(撮影者によると、2009年5月現在撤去済み)

廃車体(岩22か1271)
BU10

撮影:長谷川竜様(岩手県 2015.6.5)

JRバス東北 いすゞBU10(1977年式)

帝国ボディのいすゞ車。サッシ窓ですが車掌台窓が雨樋まで届いていない1977年式。車番は521-7002。この社番であれば、現役時代のナンバーは、以前左党89号様から岩22か1271であると教わっていました。沼宮内営業所所属車両だったそうです。

廃車体
BU10

撮影:キュービック様(岩手県 2009.6.3)

JRバス東北 いすゞBU10(1977年式)
BU10

撮影:一関市民様(岩手県 2007.5.3)

2台並んで置いてある国鉄バス。手前のサッシ車はいすゞのBU10です。前のバス窓車は日野のRE100です。
キュービック様が撮影した際に、銘板を確認したところ、年式が分かりました。日野ボディのサッシ窓車ですが、車掌台窓がバス窓時代のスタイルのままの1977年式です。
(左党89号様が2005年に撮影しておりましたが、画像を差し替えました)

廃車体(岩22か2182)
BU10

撮影:左党89号様(一戸町 2004.9.4)

JRバス東北 いすゞBU10(1978年式)

日野ボディのいすゞ車の廃車体。
車番は531-8002です。現役時代は二戸営業所所属だったそうです。
いすゞのBUは、同じボディの日野車とは窓割が異なります。
(撮影者によると、2007年10月現在撤去済み)

廃車体(岩22か1441)
BU04

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.5.25)

JRバス東北 いすゞBU04(1979年式)

牧場の一角で重機などとともに置かれた国鉄バス。日野ボディのいすゞ車です。
車番は521-9004。以前に左党89号様から頂いていた情報によると、登録番号は岩22か1441です。新製時から岩手県の配置で、その後の経過は分かりませんが、最終的に岩手県内で余生を送っています。

廃車体(岩22か2241)
CLM500

撮影:左党89号様(岩手県 2003.11.15)

JRバス東北 いすゞK-CLM500(1980年式)

日野車体のいすゞ車では末期の頃の車両です。二戸営業所に配属されていた前中折戸車で,廃車になった時にはJRバスになっていました。
撮影者によると現役時代の車番は531-0007だったそうです。

廃車体
CLM500

撮影:左党89号様(二戸市 2004.5.5)

JRバス東北 いすゞK-CLM500(1980年式)

上の2台と同型車で,撮影者によると現役時代の車番は531-0011。角田営業所から久慈営業所に転入後,廃車になったそうです。
末期には国鉄ならではの組み合せだった「いすゞ+日野車体」ですが,東北管内には数多く,珍しいと言う気もしませんでした。現在はそれが廃車体になって点在しているようです。
(撮影者によると、2012年現在撤去済み)

廃車体(岩22か1654)
CLM500

撮影:左党89号様(二戸市 2021.3)

JRバス東北 いすゞK-CLM500(1981年式)

3台まとめて置いてあった国鉄バスのうち、1台は残存していました。
531-1007です。

廃車体
CLM500

撮影:左党89号様(二戸市 2004.5.3)

JRバス東北 いすゞK-CLM500(1981年式)ほか

廃棄物処理業者の敷地内にあるという廃車体3台。撮影者によると車番等は以下の通りです。
手前(右端)531-1007(K-CLM500,岩22か1654)
真中531-0008(K-CLM500,岩手22き383)
奥(左端)537-2077(K-RC381,岩手22き702)
見ての通り車体はほとんど同じですが、手前2両はいすゞ,奥の1両は日野です。
(撮影者によると、2005年4月現在、撤去済み)

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80s岩手県のバス“その頃”