“その頃”別の角度から

oyan様(1979年撮影)1・・・盛岡

oyan様からいただいた1979年の写真です。
1976年の岩手県交通成立から間もない時期で、まだ岩手中央バスの初期のワンマンカーが現役です。国際興業カラーの中古車がほぼ出揃った頃で、青と銀の岩手県交通カラーはまだそう多くはないようです。
まずはそんな盛岡駅前からご紹介します。

岩2く344
岩2く344

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩手県交通 いすゞBA30(1966年式)
岩2く344

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

帝国ボディですがいすゞシャーシ。1966年式の、前中引き戸になったワンマンカーのうちの1台ですが、このときのいすゞ車は、川崎ボディ、北村製作所と並んで帝国ボディも導入されました。日野車でも帝国ボディと金産ボディがあり、見た目は非常ににぎやかでした。
車番のM66344が見えます。

岩手県交通 三菱MR490(1966年式)
岩2く371

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩2く371

1966年式のワンマンカーで、三菱シャーシですがボディは北村製作所製です。北村製作所ではこの年にモデルチェンジを行い、前後が角張った当時としては近代的なボディに生まれ変わりました。三菱純正のボディが丸っこかった時代、このボディで投入された三菱車は斬新だったものと想像します。

岩手県交通 いすゞBR20(1966年式)
岩2く5053

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩2く5053

1966年式の前中引き戸のワンマンカーですが、これは花巻電鉄から合併で岩手中央バスになり、色も岩手中央バスカラーとなったもの。ワンマン化されていなかった花巻電鉄がどうしてワンマン仕様を導入したのかは分かりません。
なお、これと同仕様の車両を同時期に岩手中央バスも導入していた事実もあり、結局盛岡市内で一緒に活躍していました。

岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
岩22か160

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩22か160

国際興業から譲受した丸型BU10ですが、岩手中央バスカラーに塗り替えられている車両は、国際興業グループ入り直後の1971年に転入した車両。まだ6年落ちでの譲渡ですので、グループ会社の車両更新を目的に早めの譲渡が行われたのだと思われます。

岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
岩22か803

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩22か803

これも同形車ですが、1976年に転入してきたグループ。今回は国際興業でも廃車の順番がまわってきた車両だと思いますが、カラーは塗り替えられずに就役しました。この時期、盛岡市内は国際興業カラーがかなり目立ったはずです。
国際興業時代の社番2088が見えます。

岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
岩22か1265

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩22か1265

丸型に続いて国際興業から岩手県交通に大量転入してきた角型のBU10。転入は1978年で、この時期は引き続き国際興業カラーのままで使われています。撮影は転入し立ての頃で、中古車といえども塗装面はまだきれいです。
この車両、国際興業時代にテールライトを上方に移設した際、後面のエンジン蓋も交換したらしく、年式より新しいタイプのものをつけています。
国際興業時代の社番2237が見えます。

岩手県交通 日野RE100(1968年式)
岩22か983

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩22か983

神奈川中央交通からの譲受車で、1977年の登録です。同じようなスタイルの新車が投入されていた時期ですので、一般の方には新車に見えたと思います。
まだ盛岡地区に日野の中古車が入ってきていた頃です。

岩2く434
岩2く434

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩手県交通 いすゞBA30(1970年式)

国際興業グループ入りに伴い新車で導入されたいすゞBA30。それまでの雑多なメーカー構成から、いすゞに統一されての導入です。
この5年後、私が岩手県での生活を始めた頃には、この車両は旧形の部類に入っていましたが、この写真ではまだ新しい車両に見えます。

岩22か1217
岩22か1217

撮影:oyan様(盛岡駅 1979.1)

岩手県交通 いすゞBU10(1978年式)

多分、このとき岩手県交通で最も新しい車両だったと思われるオリジナルのいすゞBU10。まだ新車の輝きが見て取れます。
方向幕には「盛岡駅−茶畑」と出ていますので当時の中央線。

岩2く376
岩2く376

撮影:oyan様(盛岡車庫 1979.1)

岩手県交通 いすゞTSD40(1966年式)

「銭掛」の方向幕を出した岩手中央バスカラーのボンネットバスは、4輪駆動が買われてこの時期まで現役だったもの。この後、1982年の東北新幹線開業に際しては、観光輸送に抜擢され「まきば号」に生まれ変わります。
場所は盛岡駅前広場の南側にあった車庫。元の盛岡営業所と思われますが、新幹線開業に伴う区画整理で姿を消したはずです。
まだ新幹線開業前の面影を残した時代だったようです。

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80s岩手県のバス“その頃”