“その頃”別の角度から

大兄貴様(1981〜83年撮影)

『大兄貴.com』(現在リンク切れ)大兄貴様から頂いた写真です。
1981〜83年の間に撮影したもので、岩手県交通の成立から5年程が経過した頃の県南部。元岩手県南バスの特徴ある車両が最後の活躍をしています。

岩2く368
岩2く368

撮影:大兄貴様(河南営業所 1982)

岩手県交通 三菱MR490(1966年式)

元岩手中央バス。北村製作所製ボディの三菱車です。北村製作所がこのスタイルにモデルチェンジした最初期の車両で、まだ前後ヒサシ形状のバスが珍しい頃の生まれです。
隣にいるのはまだ最新車の部類だった1979年式のオリジナル車。

岩2く5053
岩2く5053

撮影:大兄貴様(河南営業所 1982)

岩手県交通 いすゞBR20(1967年式)

元岩手中央バスですが、生まれは花巻電鉄。ワンマン化が遅れていた花巻電鉄になぜか導入されていたワンマンカーのうちの1台です。1970年の岩手中央バスとの合併により盛岡地区へ移動となり、色も塗り替えられました。
ところが岩手中央バスのオリジナル車にもこれとそっくりな車両があり、正面方向幕上の標識灯の有無以外は見分けがつきません。

岩2く1537
岩2く1537

撮影:大兄貴様(水沢営業所 1981.1.2)

岩手県交通 日野RB10P(1965年式)
岩2く1537

撮影:大兄貴様(水沢営業所 1981.1.2)

金産ボディの観光タイプで、前ドアを中ドアに移設してツーマン路線車に生まれ変わっています。岩手県南バスにはこのような改造車が数多く存在したとの話です。「岩2」ナンバー(つまり1970年まで)で登録されていますが、譲受車のようです。冷房がないなどで、前所有者が早めに手放した模様です。
(注1)

登録番号不詳
RC100P

撮影:大兄貴様(千厩営業所 1981〜83)

岩手県交通 日野RC100P

金産ボディの流線形スタイルを持つ貸切車です。前ドアのまま使用されているようです。
正面がよく見えませんが、おでこに明かり窓を持つスタイルで、社名表示は窓下にあるようです。

岩22か569
岩22か569

撮影:大兄貴様(水沢営業所 1981.1.2)

岩手県交通 日野RC100P(1967年式)

2枚ガラスのフロント窓上に明かり窓のつく元デラックス観光バス。どこかの会社からの譲受車です。登録番号から譲受は1974年。
側面のメトロ窓は傾斜していますが角のRが小さいという、このボディスタイルでは末期のもののようです。
(注2)

廃車体
RC100P

撮影:大兄貴様(江刺営業所 1981〜83)

岩手県交通 日野RC100P(1967年式)

恐らく上の写真と同型と思われる車両。正面窓上の明かり窓が1枚物で「岩手県交通」の文字が入っている点など相違点があるので、同一車両ではありません。
これは廃車になった後の姿ですが、窓の中に「江刺バスセンター」の張り紙が残っており、最後は路線バスに使用されていたものと思われます。

廃車体(岩2く1478)
岩2く1478

撮影:大兄貴様(水沢市 1981〜83)

岩手県交通 日野RB10P(1966年式)

廃車になって1年目の廃車体だそうです。
現役時代の登録番号からして、この車両は岩手県南バスオリジナル。同型車は何両かあったようです。
この廃車体は、その後も長らく同じ場所にあり、2004年に一関市民様も撮影しています。

岩22か683
岩22か683

撮影:大兄貴様(江刺営業所 1981.1.2)

岩手県交通 日野RB10(1965年式)

首都圏からの譲受車で前中引き戸。正面の系統幕が横長であることから、前所有者が想像できます。車内に見える座席が赤であれば神奈川中央交通なのですが、青く見えるので京浜急行だと思います。
なお、年式は以前山本様よりご教示いただきました。

岩22か681
岩22か681

撮影:大兄貴様(江刺営業所 1981.1.2)

岩手県交通 日野RB10

右側は富士重工製ボディを持つ日野RB10。左の車両は同型式ですが帝国ボディです(上の写真の車両で岩22か683)。
やはり車内の様子などから元京浜急行のようです。

岩22か858
岩22か858

撮影:大兄貴様(千厩営業所 1981〜83)

岩手県交通 いすゞBU15P(1968年式)

富士重工製ボディの貸切車です。前所有者では路線バスだった可能性もあり、正面に方向幕があります。県交通ではそのガラスをそのまま社名表示に使っています。前ドア脇にエアサスのプレート付。屋根上のラジオアンテナも特徴的。
登録は1977年で、その時塗られた県交通カラーがまだピカピカです。正面の塗り分けがちょっと変わっています。
(注3)

岩22か1020
岩22か1020

撮影:大兄貴様(千厩営業所 1981〜83)

岩手県交通 日野RB10(1966年式)

上の富士重工製ボディと同型ですが、こちらは岩手県交通が成立してからの転入車で、色も県交通カラーになっています。やはり元京浜急行。

岩22か99
岩22か99

撮影:大兄貴様(水沢営業所 1981.1.2)

岩手県交通 日野RC100P(1967年式)

帝国ボディの貸切車で、RB10などと同じ世代ながら正面のみ次世代顔になった合いの子スタイル。幅広の正面方向幕の窓が社名表示になっています。1971年ごろの譲受車です。
(注4)

岩22か53
岩22か53

撮影:大兄貴様(一関営業所 1981〜83)

岩手県交通 日野RE100(1971年式)

1971年にある程度の数が新造されたツーマン車のうちの1台。この年式のツーマン車があるということは、県南バスのワンマン化が通常より遅れていたことを示します。
同年式でも金産ボディの車両は前ドアを増設してワンマン改造されましたが、こちらの帝国ボディはどうなったのでしょう。私が岩手県入りした1984年には既に姿を消していました。

岩22か62

日野車、三菱車と同時に入ったいすゞのツーマン車。後ろの窓の中に「フリーバス」の表示板が置いてありますが、車掌乗務でフリーバスを運行していたのでしょうか。

岩手県交通 いすゞBU05(1971年式)
岩22か62

撮影:大兄貴様(江刺営業所 1981〜83)

岩22か59
岩22か59

撮影:大兄貴様(江刺営業所 1981〜83)

岩手県交通 いすゞBU05(1971年式)

上の車両と元は同じ形でしたが、前ドアを増設してワンマンカーになっています。改造と同時に中ドア後ろに方向幕を増設しています。
よく見ると窓の中にあるワンマン灯を畳んでいますが、ワンツーマン兼用車として使用されているのでしょうか。

(注1) 撮影者によると、この車両かどうかははっきりしないが、塗装の下に日本交通(東京)の桜のマークが見えたとのこと。
(注2) 年式、型式の情報は、以前に山本様、あそびにん様より頂いていたものを参考にしている。
(注3) 板橋不二男様からの提供資料によると、元常磐交通。
(注4) 鈴木文彦(2004)「岩手のバスいまむかし」によると、元京浜急行の特注貸切バス。また、同型車に岩22か103があった。
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80s岩手県のバス“その頃”