“その頃”別の角度から

岩手県交通3(特急バス)

ここでは、1980年代に撮影した岩手県交通の頂き物写真を掲載します。
東北新幹線の盛岡開業に伴い、新幹線リレー特急バスの運行を開始した岩手県交通。当初は大きな看板をボディに付けていました。

岩22か1770
岩22か1770

撮影:板橋不二男様(北上駅 1982頃)

岩手県交通 三菱B806N(1975年式)

釜石からの特急バスが北上駅に到着しました。1982年に北海道の帝産(函館タクシー)から譲受したばかりの三菱車。
この後、「新幹線リレー特急」という大きな看板が取り付けられます。

岩22か1777
岩22か1777

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1983.8.21)

岩手県交通 いすゞBU20KP(1973年式)
岩22か1777

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1983.8.21)

1982年にはとバスから譲受した車両で、同形車は5両ほど入ったようです。同形車では一関〜気仙沼間の特急バスに投入されたものもあり、この時期、新幹線接続特急バスの充実が優先課題だったことが分かります。
写真の車両は河南営業所に配置され、早坂高原線に使われています。方向幕には「快速 竜泉洞」と出ており、県交通ではこの路線を快速という種別で呼んでいたことが分かります。
なお、このバスの仲間が出てくると同じことを書いているかもしれませんが、はとバスからの譲受車は、青色が薄かったり、社名が青帯の所に銀色で書かれていたり、他の車両とは違うところで施工した痕跡があります。

岩22か1778
BU20KP

撮影:53様(一関営業所 1983.8)

岩手県交通 いすゞBU20KP(1973年式)

一関〜気仙沼間の新幹線リレー特急バスには、はとバスから譲受の車両が複数投入されました。前面の看板には、うみねこのシンボルマークと「気仙沼特急」の文字が入ります。
もっとも、前面看板は、2年後に私が撮影した時には、「特急」とだけ書いた小さめの看板に変っていました。前面窓にかかっていたからでしょうか。

岩22か514
岩22か514

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1983.8.21)

岩手県交通 いすゞBU15KP(1974年式)

岩手中央バスが早坂高原線用に投入した観光タイプの冷房車で、ついこの前までは国際興業貸切カラーだったはずです。貸切バスの格下げ車やはとバスからの転入車に追われて、雫石営業所に転出した模様です。同時に岩手県交通カラーに塗り替えられ、正面方向幕も不格好なBOXに交換されています。

岩22か515
岩22か515

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1983.8.21)

岩手県交通 いすゞBU15KP(1974年式)

上の514の僚車が、同じ日にまだ原形のまま残っていました。国際興業貸切カラーで、「竜泉洞」の方向幕を出して待機しています。もっとも、このカラーはこの時点では旧カラーであり、新幹線に接続する花形路線からは早く追い出したかったというのが正直な気持ちだったのかも知れません。
隣りには「まきば号」。

岩22か1289
岩22か1289

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1983.8.21)

岩手県交通 いすゞCRA580(1979年式)

1979年に新造された貸切バスが、1983年に早くも早坂高原線用に乗合格下げされていました。盛岡と岩泉を結ぶこの路線は、高速バス運行がなかった岩手県交通にとっては、最も優先順位の高い路線だったのだと思われます。特に東北新幹線の開業は、陸中海岸方面への観光誘致には追い風だったはずです。

岩2く5065
岩2く5065

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1983.8.21)

岩手県交通 いすゞBU10(1969年式)

岩手中央バスのツーマン車で、1番違いの同形車もいるのですが、なぜかこちらの写真が多く見られます。
右端には岩山定期観光線のいすゞCCM410左端には元京浜急行のいすゞBU10Dも見え、“その頃”に時代が近づきつつあるのが分かります。
隣りの岩22か1287は、上の写真の車両とともに乗合格下げされた車両。

岩22か1543
岩22か1543

撮影:53様(水沢営業所 1984.8.6)

岩手県交通 いすゞK-CLA500(1980年式)

前ドアエアサスのオリジナル車。いわゆるワンロマ車のような使われ方の車両でした。
写真は側面に「水沢−大船渡」の大看板をつけたもの。右側面なので右書きにしており読みにくいですが「特急くろしお」と書かれています。

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80s岩手県のバス“その頃”