“その頃”別の角度から

岩手県交通2(オバQ)

ここでは、1980年代に撮影した岩手県交通の頂き物写真を掲載します。
川崎ボディの丸形観光ボディ、通称“オバQ”の色々です。出自はいろいろあり、細かいスタイルの違いも興味深いものがあります。

岩22か269
岩22か269

撮影:大兄貴様(一関営業所 1981)

岩手県交通 いすゞBU15P(1966年式)
岩22か269

撮影:大兄貴様(一関営業所 1981)

岩手県南バスカラーの“オバQ”です。
このオバQ、写真では見たことがありましたが、屋根上に並んだ標識灯やフロント窓下のモール、社名表示窓がない代わりに貼り付けられた「岩手県交通」という大きな切り文字、と変わった点だらけの車両です。今回、後ろ姿の写真も頂きましたが、これもリアウィンドウが普通より大きく、エンジン点検蓋の丈も低いなど初期車の特徴を持っています。
前歴は定かではありません。

岩22か323
岩22か323

撮影:板橋不二男様(一関営業所 1982頃)

岩手県交通 日野RC100P(1967年式)

1973年に岩手県南バスが譲受した日野のオバQ。
日野RC100PのオバQというのはそう多くはありません。これといった特徴はありませんが、前ドア脇に日野のマークがついています。また、側面最後部の窓の外に手すりが見えます。(注1)
社名表示には岩手県交通の文字が入り、側面には一般貸切と記載されていることから、県南バスカラーのまま貸切として使用されてきたのだと思われます。一関営業所でのこの場所は、廃車車両の置場なので、このまま廃車になるのでしょう。

岩22か362
岩22か362

撮影:53様(都南車庫 1981.8)

岩手県交通 いすゞBU15EP(1969年式)

元東京タワー観光と思われるオバQ。1973年に岩手中央バスに転じ、撮影の時点では県交通カラーに塗り替えられています。
左端に写っているのは、翌年に「まきば号」に改装されるボンネットバス。

岩22か364、岩2く334
岩22か364

撮影:53様(盛岡バスセンター 1981.8.5)

岩手県交通 日野RC300P(1968年式)
岩22か364

撮影:53様(盛岡バスセンター 1981.8.5)

元岩手中央バスのオバQ。社名表示窓は無地で、その上に行き先板入れをつけています。同じ仕様の同期車両が何両がありますが、364は日野車で、その上県交通カラーに塗り替えられています。
盛岡バスセンターの車庫で待機中の光景で、隣にいるのは元岩手中央バスの日野RB10(1966年式)。年式的にはワンマンカー登場後ですが、前面窓内の「ワンマン」表示がありません。中ドアの部分がよく見えませんが、初期ワンマン仕様車をツーマンとして使用しているのでしょうか。

岩22か368
岩22か368

撮影:53様(雫石営業所 1983.8)

岩手県交通 いすゞBU15EP(1968年式)
岩22か368

撮影:53様(盛岡バスセンター 1983.8)

国際興業カラーのオバQです。
登録番号からして,1973年に岩手中央バスが譲受したものですが,前所有者の特定には苦労した車両です。新造後5年で放出するというのは親会社の国際興業であることが濃厚ではありますが、続き番号で同形の日野車もあり、国際興業が東京タワー観光から引き継いだ車両だと思われます(注2)
正面の社名表示窓には「ワンマン」と記載、その上に行き先表示板があり、小岩井駅線のフリーバスに使用されているのが分かります。

岩22か1269
岩22か1269

撮影:53様(矢巾営業所 1983.8)

矢巾営業所でナンバーを外された廃車車両が留置されています。こういう写真を見ると、その時代に何が廃車になっていったのかがよく分かります。
から、国際興業から来たばかりのBU04(1973年式)、丸型BU10(1965年式)岩22か793、オバQBU15EP(1969年式)岩22か362、オバQBU15EP(1969年式)岩22か366、北村ボディMR490(1966年式)岩2く370、国際カラーBU10(1966年式)岩22か1269
まず、国際興業カラーの3世代、これから来るものと去るものの並びが印象的です。
そして中央付近の2両のオバQですが、同形車でありながら色が違います。県交通カラーの362がいつ何のために塗り替えられたのかが気になります。また、上のほうにある岩22か368とは年式が1年異なり、そのため後面窓が若干小さくなり、テール灯が上に上がっているのが分かります。

岩22か918
岩22か918

撮影:53様(雫石営業所 1983.8)

岩手県交通 いすゞRC300P(1968年式)
岩22か918

撮影:53様(雫石営業所 1983.8)

岩手県交通成立後の1977年に譲受したオバQです。阿武隈様によると元日本交通(東京都)だそうです。
正面の社名表示窓の所に行き先表示板入れがつけられています。日野のウィングマークが青色に塗られているのは、県交通カラーに塗り替えた際に、褪せた赤色を手持ちのペンキで修復したからでしょうか。
この車両は、1983年のうちに廃車になったそうです。

(注1)
日本バス友の会(1987)「消えゆく名車オバQバス」の巻末表を見ると、東京タワー観光にRC100Pが存在する。側面最後部の手すりという特徴は、同じく1973年に岩手中央バスに転入した5両のオバQ(元東京タワー観光)と共通する特徴であり、この車両も東京タワー観光だと思われる。
(注2)
側面最後部窓に手すりのようなものがついており、この一連の譲受車は同じ特徴を有する。日本バス友の会(1987)「消え行く名車オバQバス」によると、1968〜69年式のオバQで、いすゞBU15EPと日野RC300Pの両方を所有しているのは、東京タワー観光のみ。
東京タワー観光は、国際興業(1992)「国際五十年史」P.126によると、1969年に国際興業傘下に入り、1972年に国際興業に吸収合併されている。
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80s岩手県のバス“その頃”