“その頃”別の角度から

53様2(1984〜85年の廃車体)

53様からいただいた写真です。
1984〜85年といえば、私も岩手県での生活を始めていた時期ですが、同時期に撮影した廃車体の写真を頂きました。私も目にしていながら、撮影していなかった場面や、私が気付かなかった廃車体などを、撮影していて頂いたことには感謝しかありません。

廃車体(岩2く1613)
岩2く1613

撮影:53様(千厩町 1984.8.8)

岩手県交通 日野RB10P(1962年式)
岩2く1613

撮影:53様(千厩町 1984.8.8)

千厩営業所の近くにあったという廃車体。方向幕両脇の通風機や正面窓下のモールなど、独特の外観です。中ドアツーマン車ですが、元は前ドア車ではないかと思います。
登録番号、年式は撮影者が確認した車内のメモ書きによります。この登録番号は1969〜70年ごろのものですので、譲受車だと思われます。また、同様に撮影者が確認した情報ですが、この車両は1978年まで現役だったようです。
なお、この廃車体は2003年夏から2004年夏までの間に姿を消したそうです。

廃車体
BU10

撮影:53様(黒石野営業所 1984.8.9)

岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)

黒石野営業所にあったという元国際興業の廃車体。車体には国際興業時代の車番2076が残っています。
このグループが完全に姿を消してから1年くらいのものですが、初期に廃車になったものなのか、前面にはかなり錆が出ています。
そういえば黒石野営業所の奥にはこんなものが転がっていた記憶もよみがえりました。

廃車体(岩22か1305)
岩22か1305

撮影:53様(花巻営業所 1984.8.7)

岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
岩22か1305

撮影:53様(花巻営業所 1984.8.7)

花巻営業所にあった国際興業カラーの廃車体。撮影者によると、現役時代の登録番号は岩22か1305で、元々は黒石野営業所の配置だったそうです。最後は花巻営業所に貸し出されたまま廃車になったものだそうです。
正面の「後ろのり」看板をはずしたあとからKKKのロゴが出てきました。国際興業時代の車番は2205と読めます。

廃車体(岩2く1488)
岩2く1488

撮影:53様(矢巾営業所 1984.8.5)

岩手県交通 いすゞBA741(1966年式)
岩2く1488

撮影:53様(矢巾営業所 1984.8.5)

矢巾営業所に置いてあった県南バスのワンマンカー廃車体。2台並んでいたうちの1台です。
恐らく部品取りに使われたと思われ,バンパーなどが取り外されています。

廃車体(岩22か998)
岩22か998

撮影:53様(矢巾営業所 1984.8.5)

岩手県交通 いすゞBU10(1968年式)
岩22か1013

撮影:53様(矢巾営業所 1984.8.5)

元日立電鉄のBU10群。盛岡市内線にも相当数がありましたが,1984年に集中的に淘汰されました。後ろ姿を見ると,尾灯が内側に寄っているのが特徴です。
撮影者によると,並んでいる写真は左から岩22か1013,1000,1001,1282(元国際興業)。いずれの車両も,現役時代末期に私も出会っています。
矢巾営業所でのこの光景は私も同じ頃見ていますが、形式写真のような写真が撮れないほど過密に並んでいたため,1枚も撮影しませんでした。最近思い出して後悔していたのですが,53様が撮影していたことに敬意を表します。

廃車体(岩22か1017)
岩22か1017

撮影:53様(矢巾営業所 1984.8.5)

岩手県交通 いすゞBU10(1968年式)
岩22か1017

撮影:53様(矢巾営業所 1984.8.5)

富士重工ボディのいすゞ車で,一見1970年式以降のサッシ車に見えますが,先代ボディをサッシ仕様で導入した変りダネ。後面スタイルや中ドア部分で下がった雨樋,側面最後部の小さな三角窓などが,初期のR13型を表わしています。
日立電鉄では各ボディメーカーでサッシ窓仕様を導入しており,こういった珍しい“茨城県スタイル”を後年まで岩手県で見ることができました。
この同型車に岩22か1012がありましたが、いずれも1984年の夏前に廃車となりました。

廃車体
BXD30E

撮影:53様(大槌町 1985.8)

岩手県南バス いすゞBXD30E(1963年式)

いすゞのキャブオーバーバスの廃車体で,車体は川崎製です。
車体側面の社名は「岩手県南バス」となっていますので,岩手県交通成立前に廃車になったものと思われます。

廃車体
BR20

撮影:53様(大槌町 1985.8)

岩手県南バス いすゞBR20
BR20

撮影:53様(大槌町 1985.8)

海岸沿いの崖の上にあった廃車体。ほぼ1ヵ月違いで私も撮影していた車両です。前側は私は撮影しませんでしたが,運転台窓が片側R付なのが特徴のボディです。
なお撮影者から,現地の方から聞いたという興味ある話を教えていただきました。この地区の漁港では,漁船を海から陸に揚げるためのウィンチの動力源として,廃車のバスのエンジンを使っていたそうです。
バスの廃車体の利用法には色々ありますが,そういう利用法は初めて聞きました。どおりで,エンジン部分が空洞になっているわけです。必要なのは車体ではなくてエンジンだったわけですね。
(撮影者によると1990年時点でこの廃車体はなくなっていたそうです)

廃車体
R270

撮影:53様(大槌町 1985.8)

岩手県南バス 三菱R270
R270

撮影:53様(大槌町 1985.8)

上のBR20の崖下にあったという廃車体です。残念ながら,私は当時こんなものがあったとは気付きませんでした。
車体は新三菱(後の三菱)製で1956年以降のモデルです。正面窓上のヒサシや,R付の側窓が特徴のボディです。
後部のエンジン通気孔は横長のものが2個並んでいるように見えますので,恐らく三菱R200系列。窓配置は,中ドア前にバス窓3個,中ドア後ろにバス窓5個(最前部窓と最後部固定窓を除く)なので、R270と推察しました。
なお,新三菱ボディであることや後部方向幕付であることなどから,譲受車である可能性もあります。
(撮影者によると1990年時点でこの廃車体はなくなっていたそうです)

廃車体(岩22か808)
岩22か808

撮影:53様(一関営業所 1985.8)

岩手県交通 日野RB10(1967年式)

元神奈川中央交通のRB10で、岩22か808の廃車体だそうです。撮影者によると,このタイプで方向幕上の標識灯がついているのはこの車両だけということですが,言われてみればこれがついている車両は初めて見ました。

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80s岩手県のバス“その頃”