1970年代奥の細道

弘南バス3(三菱・貸切バス)

板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の弘南バスの写真を掲載します。
ここでは、三菱車の中で、貸切バスタイプを紹介します。貸切バスは、当初はバス窓の路線バスタイプの車両を高出力、エアサスにして使用していたようですが、メトロ窓のデラックスタイプも加わっています。


青2く1970
青2く1970

撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)

弘南バス 三菱B805L(1968年式)
青2く1970

撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)

バス窓の前ドア車ですが、ハイバックシートを持つ貸切車。正面窓は2枚ガラスで、若干の差別化が図られています。
この時点では、「木下大サーカス」の広告エプロンをつけ、側面に「乗合」の札が入っていますので、路線バスに使われているようです。
後ろ面のエンジン通気孔の形状などから、B8系列であることが分かります。奥にいるMRとは、側面の通気孔の大きさも異なります。型式はエアサスであろうとの推定です。
車番は3852-3

青22か58
青22か58

撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)

弘南バス 三菱B805L(1971年式)

汎用貸切バスも、この年式からはメトロ窓になりました。エアサスですが、冷房はありません。また、正面窓は2枚ガラスになっていて、この部分は路線車と差別化されているようです。
車番は3102-3
なお、おでこには「弘南観光」とありますが、窓の中に「五所川原」の文字が見えるなどツーマンの路線バスとして使用されています。

青22か60
青22か60

撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)

弘南バス 三菱B805L(1971年式)

路線マスクの貸切バス。
1971年から登録番号が青2から青22に変わりました。
車番は3104-3。4桁部分の固有番号である下2桁は、1970年代になると01から始まるようになり、10年前の生き残り車両と重複しないように付けられているようです。

青22か479
青22か479

撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)

弘南バス 三菱B805L(1973年式)

冷房付で正面観光マスクの貸切バス。隣りに停車中の路線マスクの貸切バスとは、グレードに差をつけていたようです。
車番は3302-3

青22か869
青22か869

撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)

弘南バス 三菱B805L(1975年式)

路線マスクの貸切バスで、ボディメーカーのマイナーチェンジでヒサシ付のスタイルに変わりました。仕様では、正面窓が一般的な4枚ガラスに変わりました。この時点でも「弘南観光」と正面にある通り、貸切バスとして使われています。
車番は3501-3

青22か1111
青22か1111

撮影:板橋不二男様(十和田湖子ノ口 1977頃)

弘南バス 三菱B805L(1976年式)

路線マスクでメトロ窓の観光車の増備車。やはり冷房はありません。
車番は3611-9。和徳営業所の所属車です。
おでこには「弘南観光」とありますが、窓の中に「急行十和田湖」の紙が貼られており、弘前からの十和田西線に使用されています。

青22か1117
青22か1117

撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)

弘南バス 三菱B805L(1976年式)

路線マスクでメトロ窓の観光車。
車番は3617-3
新製後間もない貸切バスですが、窓の中に「五所川原」の紙が貼られており、路線バスに使用されています。
全国的に貸切バスのグレードアップが始まった時期で、路線バス顔の貸切バスでは商品力が急速に劣るようになったことも理由でしょうか。

青22か1307
青22か1307

撮影:板橋不二男様(1977.8)

弘南バス 三菱MS512N(1977年式)

観光マスクで冷房付のデラックスタイプの観光バス。撮影時は納入したての新車だったようです。
車番は3712-9。和徳営業所の所属車です。

青22か697 弘南バス 三菱MAR470(1974年式)ほか
青22か697

撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)

五所川原営業所に並ぶ観光タイプ。五所川原営業所はすべてが三菱車でした。
左端が表題のMAR470で、メトロ窓車ですがこれだけは路線車。
その隣の左から2台目青森22か627で、1968年式の冷房付貸切車。1974年に譲受しており、ヘッドライト間を直線で結んだグリルが特徴。
その隣の左から3台目青森22か1118左から4台目青森22か877、同じような呉羽ボディの路線マスク貸切車B805Lです。

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80s岩手県のバス“その頃”