1970年代奥の細道

岩手県南バス6(譲受車・日野観光車・帝国ボディ)

板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の岩手県南バスの写真を、カテゴリー別に掲載します。
日野の観光タイプの譲受車のうち、帝国ボディをまとめます。観光タイプというのは、メトロ窓であるかどうかという点で区別しています。また、譲受車かどうかという点については、登録年と年式との相違などから想像しています。

岩22か187
岩22か187

撮影:板橋不二男様(一関営業所 1976.5.4)

岩手県南バス 日野RC10P(1964年式)

元は前ドアの観光バスだった車両ですが、ドアを移設し、乗合のツーマン車に改造されています。
高出力・エアサスの標準尺車で、丸みのある斜めのメトロ窓や正面窓2枚ガラス、その上が明り窓になっているなど、バリバリの観光バスだったことが分かります。前照灯には何らかの飾りがついていた痕跡が残りますが、見た目はノーマルな4灯に改造されています。

岩22か226
岩22か226

撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1973)

岩手県南バス 日野RC10P(1964年式)

上の岩2く187とほぼ同じタイプで、中ドア車への改造内容もほぼ同じ。
中ドアとその後ろの斜めの固定窓が、前ドア車時代には1枚のメトロ窓だったはずです。そうすると、この狭い幅の固定窓はどこから持ってきたのでしょう。
岩手ナンバーでの登録は1972年。

岩22か231
岩22か231

撮影:板橋不二男様(江刺営業所 1976.4.19)

岩手県南バス 日野RC10P(1964年式)

上の岩2く226の中ドア改造前の姿と同形車と思われます。
前ドア車のまま路線バスに使用されており、正面明り窓の中には方向幕があり、「江刺バスセンター」と表示しています。

岩2く1604
岩2く1604

撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1976)

岩手県南バス 日野RB10P(1965年式)

上の写真の車両とよく似た観光タイプですが、こちらは短尺車。県南バスオリジナル車にも同じような車両はありましたが、こちらは登録が1970年頃であり、側面に県南バスマークがないことから譲受車だと推察します。ウィンカーの形状も異なり、日野エンブレムもありません。
明り窓に方向幕がセットされていますが白幕で、窓の中に「大船渡」と出しています。水沢〜大船渡間の路線に使用されているようです。

岩22か565
岩22か565

撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1976.3)

岩手県南バス 日野RC100P(1967年式)

このスタイルのボディでは最終期の年式ですが、正面2枚ガラス、明り窓付という観光バス仕様。明り窓には「岩手県南観光」という金文字が見え、まだ貸切バスとして使われていることが分かります。
岩手ナンバーでの登録は1974年。

岩22か162
岩22か162

撮影:板橋不二男様(大東営業所 1976.5.4)

岩手県南バス 日野RC120P(1966年式)
岩22か162

撮影:板橋不二男様(大東営業所 1976.5.4)

高速バスタイプの丸形の前後スタイルを持つ車両。正面窓上に方向幕があり、元は高速バスのようです。ほかにも、バンパーに組み込まれたフォグランプ、テール灯が丸形2灯などの特徴があり、元岩手急行バスの可能性があります。
大東営業所で近距離路線に使うにはもったいないような車両です。
RC120Pというのはあまり聞き慣れない型式ですが、RB10の長さの高出力タイプです。つまり短尺ということです。

岩22か99
岩22か99

撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1973)

岩手県南バス 日野RC100P(1967年式)

岩手県南バスが京浜急行から譲受したという観光タイプ。正面スタイルはREなどに見られるヒサシ付に変わっていますが、後ろの方はRBなどと同じ旧タイプという過渡期のもの。
正面窓上の横長の社名表示窓がチャームポイントです。ここに「岩手県南観光」と表示していますが、側面には「一般乗合」とペイントされており、書類上は乗合に格下げされた後のようです。
岩手県での登録は1971年。非冷房のため、早くに放出されたようです。

岩22か601・岩22か390
岩22か601・岩22か390

撮影:板橋不二男様(一関営業所 1976.5.4)

岩手県南バス 日野RC100P(1967年式)・日野RC300P(1968年式)

車庫の中に並ぶ2台の日野の貸切バス。
は1975年に富士急行から譲受したもので、後面は丸形の元高速バス。
はノーマルなボディからオリジナル車にも見えますが、譲受車です。同形車は岩22か385、岩22か395と合わせて3両があります。

ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”