1970年代奥の細道

岩手県南バス2(観光バス・自社発注車)

板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の岩手県南バスの写真を、カテゴリー別に掲載します。
ここでは、岩手県南バスが新車で購入したと思われる貸切車をまとめてみます。県南バスには譲受車も多く入っており、その区別は難しいのですが、登録番号と年式との一致と、側面の県南バスマークの存在などが、オリジナル車であるかの決め手になります。
なお、ここではメトロ窓の車両を貸切車という位置づけで掲載します。県南バスでは、1964年購入の貸切車からメトロ窓を採用しているようです。

岩2く1461
岩2く1461

撮影:板橋不二男様(江刺営業所 1976.4.19)

岩手県南バス 日野RB10P(1964年式)

正面明り窓付、前照灯4灯、傾斜メトロ窓という観光タイプを、中ドア車に改造したもの。登録番号から、岩手県南バスが新車で購入したものと思われます。
正面の明り窓を埋めて、Hゴム支持の方向幕を新設しているところが、同タイプの他車とは異なります。

岩2く1463
岩2く1463

撮影:板橋不二男様(南気仙沼駅 1975頃)

岩手県南バス 日野RB10P(1964年式)
岩2く1463

撮影:板橋不二男様(南気仙沼駅 1975頃)

正面明り窓付、前照灯4灯、傾斜メトロ窓という観光タイプを、中ドア車に改造したもの。上の岩2く1461とは同一ロットで1456〜1463の8両があった模様。
中ドア次位の1枚窓は前ドア車時代からあったものでしょう。岩2く1461とは改造後の車掌台位置が異なります。側面の社名文字が黒色で書かれています。
方向幕は「真滝経由気仙沼」を示しており、一関〜気仙沼間にこのようなツーマン車が運行されていたことが分かります。

岩2く1466
岩2く1466

撮影:板橋不二男様(遠野営業所 1975頃)

岩手県南バス 日野RB10(1965年式)

岩手県南バスが貸切バスとして新車で導入したもの。メトロ窓は斜めではなくなりました。また、リーフサスで、前照灯は2灯となり、前年度からグレードが下がったように思います。
側面中央部にハーフサイズの窓を持ってきたあたり、将来の中ドア増設による路線バス格下げを意図していたのかもしれません。

岩2く1467
岩2く1467

撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1976.3)

岩手県南バス 日野RB10(1965年式)

このグループは岩2く1466〜1475の10両があり、前半4両が帝国ボディだったようです。
釜石では、正面の通風器を紙やテープでふさいだ車両が多数あったようです。隙間風対策だと思いますが、スマートではありません。

岩2く1470
岩2く1470

撮影:板橋不二男様(江刺営業所 1976.4.19)

岩手県南バス 日野RB10(1965年式)

前ドア車として1965年に10両が製造されたもののうち、金産ボディの車両。リーフサスで前照灯2灯です。
この車両は中ドアツーマン車に改造されました。
「金沢ボデーのアルバム」巻末表によると、この年金産ボディは6台になっています。恐らく1470〜1475が金産ボディのようです。

岩2く1471
岩2く1471

撮影:板橋不二男様(江刺営業所 1976.4.19)

岩手県南バス 日野RB10(1965年式)

金産ボディ6両のうち、1473を除く5両は中ドア化改造が確認されています。ただし、その細部には相違があります。この車両は、増設した中ドア前位の窓が横引き窓で、助士席側の横引き窓の上側にRがありません。

岩2く1472
岩2く1472

撮影:板橋不二男様(江刺営業所 1976.4.19)

岩手県南バス 日野RB10(1965年式)

続き番号の同形車。1470と同じく、増設した中ドアの前の窓が固定窓です。ただし、助士席側面の横引き窓の四隅が角張っているという相違点があります。

岩2く2143
岩2く2143

撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1976.3)

岩手県南バス 日野RB10P(1965年式)

東部バスに2両導入された貸切車で、同年式の岩手県南バスと似た仕様ですが、エアサスになっています。
県南バスの車両が中ドア車に改造されたのに対し、こちらは前ドアで残されています。エアサス車は前ドアで残して長距離路線で使用していたということでしょうか。

岩2く2144
岩2く2144

撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1976.3)

岩手県南バス 日野RB10P(1965年式)

上の車両との連番で、やはり前ドア車のまま残されています。
方向幕の「松倉」は釜石営業所の少し先にあり、ここを終点とする路線は多数あります。

岩2く2145
岩2く2145

撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1976.3)

岩手県南バス 日野RB10P(1965年式)

東部バスは登録番号2000番代が与えられていました。
この車両は、日野のウィングマークが変な風に赤く塗られているのが特徴。上の金産ボディと同じくエアサス車で、前ドアのまま残されています。

岩2く2146
岩2く2146

撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1976.3)

岩手県南バス 日野RB10(1965年式)

上の車両とほぼ同形車ですが、これはリーフサス車。東部バスではエアサス(岩2く2143〜2145)とリーフサス(岩2く2146〜2147)の両方が入っています。理由は分かりません。
この車両は中ドア改造されています。新設された中ドアは、中ドアサイズのメトロ窓の所ではなく、その1スパン前になっています。
正面屋根上の標識灯はありません。

岩2く1477
岩2く1477

撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1976)

岩手県南バス 日野RB10P(1966年式)
岩2く1477

撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1976)

1966年式は、エアサスで前照灯4灯に戻りました。
中ドア幅の窓の脇に、出入口表示窓がすでに用意されています。やはり中ドア増設を前提にした車両だったようです。
一般貸切と書いてありますが、方向幕には白紙が貼られ、窓の中に「水沢」と行き先を書いた紙が貼られており、路線バスとして使用されています。

岩2く1481
岩2く1481

撮影:板橋不二男様(南気仙沼駅 1975頃)

岩手県南バス 日野RB10P(1966年式)

1966年式の観光タイプは、岩2く1476〜1482の7両があり、すべて帝国ボディだったようです。
方向幕には「本郷経由気仙沼」とあります。一関と気仙沼を結ぶ路線です。

岩2く1482
岩2く1482

撮影:板橋不二男様(南気仙沼駅 1975頃)

岩手県南バス 日野RB10P(1966年式)

上の車両と同じロットですが、この車両のみ、前面スタイルが次世代のRE100などと同じスタイルになっています。これだけ試作的にこの顔になったのか、何らかの事情で改造されたのか、その辺は不明です。

岩2く1510
岩2く1510

撮影:板橋不二男様(一関営業所 1976.5.4)

岩手県南バス 日野RB10P(1967年式)

前ドア車として1967年に9両が製造されたもののうち、金産ボディの車両は4両ありました。恐らく1509〜1512が金産だったものと思われます。
エアサスで4灯になっています。窓配置は、帝国ボディと同じく、中央部分に狭い幅のメトロ窓が配置されており、1965年式の金産とは窓配置が違います。

岩2く1511
岩2く1511

撮影:板橋不二男様(南気仙沼駅 1975頃)

岩手県南バス 日野RB10P(1967年式)

上の車両と同形の金産ボディ。
この年度は、側面の県南バスマークの位置が下がっていますが、恐らく銀色ベースにブルーの帯が入る新しい貸切カラーを採用した車両だったものと思われます(注1)

岩2く1516
岩2く1516

撮影:板橋不二男様(南気仙沼駅 1975頃)

岩手県南バス 日野RB10P(1967年式)

1967年式の観光タイプのうち、帝国ボディ。前年度製にあった出入口表示窓はなくなりました。
そういう細部はともかくとして、1965〜67年の3年間は、ほぼ同形の貸切タイプが導入されたことになり、その両数は約30両に上ります。

岩2く1631
岩2く1631

撮影:板橋不二男様(南気仙沼駅 1975頃)

岩手県南バス 三菱B805K(1970年式)

1970年代に入って岩手県南バスが少数ですが新車で増備した観光バスらしい観光バス。ただし冷房はありません。
岩2く1631・1632の2両が三菱で導入されました。

岩2く1642
岩2く1642

撮影:板橋不二男様(遠野営業所 1975頃)

岩手県南バス いすゞBU15P(1970年式)

1970年の新車のうち、いすゞ車。いすゞですが帝国ボディを選択しています。
岩2く1641・1642の2両がこのタイプ。

岩22か11
岩22か11

撮影:板橋不二男様(一関営業所 1976.5.4)

岩手県南バス 三菱B805K(1971年式)

1971年にも前年度と同型の貸切車が増備されています。
岩22か10・11の2両があります。

(注1)
岩手県南バスの貸切カラーについては資料は少なく、坂田哲彦(2010)「昭和30年代のバス」P.123に、イラストが掲載されており、1966年から採用されたと書かれています。
また、岩手放送の「いわてアーカイブの旅 第62回出稼ぎの時間」(1970年の映像)に岩2く1480,1513の2両が映っていました。
しかし、該当年式車両は、本稿でも1975年には赤と白の通常の県南バスカラーに変わっていますので、1970〜75年の間に、通常カラーへの塗り替えが行われたものと思われます。
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80s岩手県のバス“その頃”