1970年代奥の細道

岩手中央バス2(元花巻電鉄)

板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の岩手中央バスの写真を掲載します。
ここでは、元花巻電鉄の車両をまとめます。花巻電鉄は、花巻市に本社を置き、花巻温泉に至る鉄道線と鉛温泉に至る軌道線を運行するかたわら、路線バスも運行していました。終点の花巻温泉も系列会社で経営していました。しかし、利用者の減少により1969年に鉛線(軌道線)を廃止、1970年に花巻温泉ともども国際興業グループ入りしました。1971年には同じ時期に国際興業グループ入りした岩手中央バスと合併、1972年には花巻温泉線(鉄道線)も廃止となり、バス専業となりました。
花巻電鉄のバスは緑色のストライプ塗装でしたが、岩手中央バスカラーに塗り替えられたり、中央バスエリアの盛岡地区に転じたりしていたようです。

岩2く5046
岩2く5046

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1974頃)

岩手中央バス いすゞBU10P(1966年式)

花巻電鉄が1966年に新車で4両を購入したメトロ窓の貸切車。横ストライプの花巻電鉄カラーと相まって、長く見えます。
1970年に岩手中央バスと合併したため、窓下の緑帯の所に「IWATE CHUO BUS」と社名が書き換えられています。正面についているのは花巻電鉄の社紋で、かつてあった電車にもついていました。

岩2く5066
岩2く5066

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1974頃)

岩手中央バス いすゞBU10P(1966年式)
岩2く5066

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1974頃)

上の岩2く5046と同形車ですが、中ドア車に改造されています。
県交通家族会様から以前にいただいていた情報によると、この車両は元の岩2く5049で、事故復旧の際に中ドアに改造され、登録番号も変わったとのこと。改造は1969〜70年の間です。
前ドア車と異なり、社名は日本語で書かれています。

岩2く5054
岩2く5054

撮影:板橋不二男様(花巻温泉 1974頃)

岩手中央バス いすゞBA30(1967年式)

花巻電鉄が1967年に新車で購入した中ドアツーマン車。車齢が新しかったせいか、岩手中央バスカラーに塗り替えられています。
方向幕には「台温泉」と表示しており、かつて花巻電鉄だった路線で運行されているようです。

岩2く5055
岩2く5055

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1974頃)

岩手中央バス いすゞBA30(1967年式)

上の岩2く5054と同一ロットの同形車で、やはり岩手中央バスカラーに塗り替えられました。岩手中央バスオリジナル車両と異なり、側面の方向幕を使用しています。この部分だけを見ると、岩手県内では花巻電鉄が一歩先んじていたことになります。

岩2く5062
岩2く5062

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1974頃)

岩手中央バス いすゞBU10(1969年式)
岩2く5062

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1974頃)

1969年に5両を新車で購入したもので、そのうち2両が北村製作所製ボディでした。以前県交通家族会様から頂いた情報によると、この5両は廃止になった花巻電鉄鉛線の廃止代替用として購入したものだそうです。収容力のある標準尺車が選択されました。
方向幕には「高村山荘」と出ています。花巻駅〜高村山荘を結ぶ太田線です。

岩2く5063
岩2く5063

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1974頃)

岩手中央バス いすゞBU10(1969年式)
岩2く5063

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1974頃)

岩2く5061〜5065の5両のうち、前半2両が北村ボディ、後半3両は川崎ボディで導入されました。
同形車の岩2く5064・5065は盛岡地区に転じて、岩手中央バスカラーに塗り替えられた姿も報告されています。
方向幕には「鍋倉経由一本杉」と出ています。花巻駅〜観音堂〜一本杉を結ぶ鍋倉線です。

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