80s岩手県のバス“その頃”裏サイト

小説

小説「陽だまりの犬」(人間語訳版)


1


「最近、幸太郎のやつが、ちょっと偉そうなんだよ。勘違いしてるんじゃないかな」
庭の犬小屋の前に寝そべりながら、シロは小さなコンクリートブロックの上で丸くなっているミケに向かって言った。
「どうして」
ミケは眠そうに目をほとんど閉じたまま、興味なさそうに訊いた。
「幸太郎のやつ、俺に食事を出すとき、いきなり皿を引き戻したりするんだよ。昨日なんか、食おうとして口を突っ込んだタイミングだったんで、皿の縁に鼻をぶつけちまって、痛かったの何の」
シロは鼻をちょっと持ち上げながら、眠そうなミケを見上げた。
「そん時、幸太郎、『おあずけ』とか言ってなかったか?」
「なんか言ってたけど、痛くて聞こえなかったな」
ミケは細くした目をちょっとだけ開けて、軽くあくびをしながら、
「他にもあるだろ。『おて』とか『おまわり』とか言われたことないか?」
シロはちょっと首を傾げて見せてから、
「あれか? 幸太郎とか息子とかが手を出すやつか? 手を出すんで、俺がその手に前足を載せてやると、やつら偉れえ喜ぶんだよ。ホント、単純なやつらだよ」
と言いながら、ちょっと笑った顔をした。
ミケはヒゲをひくつかせながら、
「で、それが何で勘違いだったんだっけな」
と言った。
「自分の立場、分かってねえんじゃねえかと思ってな」
シロは後ろ足を前のほうに伸ばしながら、耳の後ろを二三回こすった。
「お前、気付いてないようだけど、教えてやろうか」
ミケがブロックの上で1回座りなおしてから、シロを見下ろすようにして口を開いた。
「幸太郎はお前より偉いと思ってると思うよ。偉いとかそんなんじゃなくて、お前を飼っていると思っている」
それを聞いて、シロは首を上のほうに向けて、怪訝そうな顔をした。ミケは続けた。
「つまり、幸太郎や幸一君は、当然お前より偉いんだ」
「馬鹿言うなよ」
シロは露骨に不機嫌な顔をし、半身を入れていた犬小屋からのそのそと外に出ると、何回も掘り返した地面を再び前足で引掻き始めた。
「毎日ちゃんと3回、あいつらは俺にご飯を作って誠実に届けに来るだろ。それに夕方近くなると、俺は毎日欠かさず幸太郎を散歩に連れて行ってやってるんだ。俺が歩いてると、幸太郎はとぼとぼとついてきやがるが、時々ぼんやりしてるから、俺が歩き出すと、慌てて走り出したりするんだ。どんくせえ」
「だからさ」
ミケはちょっと面倒くさそうな感じで、自分の前足をなめた。
「それも幸太郎がお前を散歩に連れて行ってやってるって感覚なんだ」
「なわけねえだろ、タコ! じゃなくてネコ! あいつら散歩しながら縄張りのマーキングさえ出来ないで、俺のマーキング、小便だけど、ぼんやり待ってるしか出来ないんだぜ。それに、俺が大のほうやると、スコップで有難そうに拾って、そのままナイロン袋に入れて、大事そうに持って歩くんだよ。俺より偉いやつが、俺の排泄物を一生懸命掃除するか?」
シロは余計不機嫌になったのか、熱心に地面を掘り続けた。
「それにな。この家だって、俺には専用の家が用意されているが、幸太郎やその息子やあとあまり愛想のない女と、あとお前とかは、この大きな倉庫みたいな所に一緒くたに入って生活してんだろ」
それを訊いて、ミケはちょっと言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。
「彼らはお前の家を『犬小屋』って呼んでるよ。母屋の方は冷房も暖房も効いて、居心地はすごくいいんだけどな。お前には分かるかな」
「馬鹿にするなよ」
シロは今度は後ろ足で土を掘り、その一部を半分わざとミケにかけた。
「てめえらは自然の空気とかに触れるのが怖いんだろ。臆病者め。外で自然に任せて強く生きろよ」
それを訊いて、やってられないと言う感じで、ミケは腰を上げた。
「その臆病者の台所から、秋刀魚を焼く匂いが漂ってきたな。ちょっくら、分け前をもらうかな」

>> 動物語版の次セクションに戻る


2


「ようやくいなくなりましたね」
電線の上にいたスズメがシロの脇に舞い降りてきた。
「どうもあいつがいると、身の毛もよだつ」
シロは横目でスズメを見たが、何も言わずに、またのそのそと犬小屋に下半身を入れ、黙り込んだ。ただ、尻尾は左右にゆっくり揺れ始めていた。
「いつものように、残ったご飯粒をちょっと頂きますね」
スズメはシロのエサの入っていた皿の縁にちょこんと止まり、縁の辺りに何粒か残っていたご飯粒を、ちょんちょんとつついた。
「全部食っていいぞ」
シロは媚びない感じで言った。
「やっぱ米だなあ。それも日本のお米がおいしいなあ」
スズメは一生懸命残り物の米をつついている。それを横目で見ながら、シロがつぶやくように言った。
「いいな、スズメは気楽で。腹が減ったら人の余りもの食って、気が向いたら自由に空飛んで・・・」
するとスズメがひょいと顔をシロに向け、
「馬鹿言っちゃいけませんよ。自由とかって言うけど、空飛ぶのも大変なんですからね」
と言いながら、羽を少し広げて見せた。
「大体、皆さんは地上を歩くだけだから、周囲360度、二次元で警戒していれば済みますよね。でも、私たちは四方八方どころじゃない、三次元で警戒していないと、どこから敵が襲い掛かってくるか分からないんですよ」
それを聞いてシロが気のない声で返した。
「その代わり、逃げ道も四方八方あるじゃないか」
「そう言いますけどね、逃げる先にも高圧電線はあるし、変な鉄塔はあるし、ビルの陰とかに回り込もうとするとですね、その陰からいきなり猛禽類が襲ってくるんですよ」
「モウキンルイ?」
シロがちょっと興味を引いたように顔を上げた。
「ええ、モズとかフクロウとかハゲワシとかですよ。あいつらに襲われて命を落とした仲間もいます」
「鳥同士、もっと仲良くしたらどうだ」
シロがちょっと大人ぶって言うと、スズメは遠慮しながら、
「地上の皆さんにもお返ししますよ。その言葉」
と言って、最後の米粒を飲み込んだ。
そのとき、さっき家の中に入っていたミケが玄関の脇あたりから顔を覗かせているのを、スズメは瞬時にキャッチしたらしく、
「物騒なやつが戻ってきたんで、これで帰りますわ」
と言い終わらないうちに空へと飛び立った。

>> 動物語版の次セクションに戻る


3


「ふん。気の弱い奴だ」
ミケが植え込みの脇に置かれたレンガに沿って戻ってきた。
「おいしくはないが、秋刀魚代わりにあいつを頂いてもよかったんだが」
ミケがそういうと、シロはスズメの臭いのついたエサの皿を鼻先で押しながら、
「結局サンマは食わしてもらえなかったのか」
と小ばかにしたように言った。
ミケはそれには何も応えず、またお気に入りらしいブロックの上に座り込んだ。
シロはしばらくミケが何か言うのを待っていたが、ミケがまた細い目を閉じてしまい、起きているのか寝ているのかわからない状態になったため、待ちきれなくなって口を開いた。
「さっきの話だけど、やっぱり、幸太郎たちが俺より偉いと考えているなんて、ありえないと思うんだよ」
ミケは押し黙ったまま何も言わない。
「だってさ、俺のために円盤投げたりしてくれるし、俺が車に乗るときは代わりに運転までしてくれるし、大体見てみろよ、この首輪と鎖。こんなものまで俺につけて、俺の後ろをいつまでもついてくるんだぜ」
相変わらずミケは黙っている。
「寝ちまったのかよ」
シロはミケの脇腹に前足を突っ込んだ。ビクッとミケが震えた。
「くすぐっちゃうぞ。ここ好きだろ」
シロが前足をごそごそと動かした。
「やめろよ・・・」
ミケが目を閉じたままボソッと言った。シロの手は停まらない。
「やめてくれよ」
ミケはそう言うと、そのままブロックから崩れるように下に降りてしまい、地面に仰向けになった。
「くすぐったいだろ」
「もうちょっと下・・・」
「なんだい、それ。俺を使って気持ちよくなっちゃったのか」
「なんだか、雌ネコとじゃれ合いたい気分になってきたよ」
ミケはそう言いながら立ち上がり、いきなり大声を出した。
「お〜い、この辺に暇な雌ネコいないか〜」
「何だ、本当に盛りがついちゃったのか。単純な野郎だな」
シロは一、二歩後ずさりをし、ミケの急な変化を見守った。
「お〜い、雌ネコ〜。雌ネコ〜」
すると塀の向こう側で、声がした。
「私ならここにいるわよ。あんたは誰?」
「俺だよミケだよ。お前は誰?」
「三軒隣のブンスケよ」
塀の外の雌ネコはブンスケという名前だった。雌なのに、その家の子供にブンスケという名前を付けられたのだ。ただ、ネコの世界では雄でも雌でもあまり名前は関係ないようだった。
「何だブンスケか」
「何だは失礼ね」
「でもいいや雌ネコなら、ブンスケでも何でもいいや。ちょっと待ってろ」
ミケは急に身を翻して、狭い庭を横切り、ブロック塀の上に駆け上がった。そしてそのままあっという間にブロック塀の向こうに消えた。
「さ、ブンスケ。待たせたな」
「キャッ、いきなり上から落ちてこないでよ」
「だから待ってろって言ったろ」
「いやよ。私はあっち行くわよ」
塀の外の声を聴きながら、シロはやってられないという風に、犬小屋の中へ頭を突っ込んだ。

>> 動物語版の次セクションに戻る


4


「本当にやかましい奴らじゃねえか」
真っ黒なカラスがシロの犬小屋の近くに舞い降りてきた。
シロは犬小屋から逆向きに出てきて、くるりと向きを変えた。その尻尾が意思に反して左右に振られていた。
「お前、これ食うか」
カラスはくわえていた胡桃をシロの前に放り投げた。
「これ好きだろ」
「胡桃か? 特に好きでもない」
それを聞いて、カラスはもう一度胡桃をくちばしにくわえ、シロの近くに放り投げた。
「食ってみろよ。おいしいぞ。でも、食うためにはその固い殻を割らなけりゃならない」
シロは不思議そうに投げられた胡桃を見た。尻尾は激しく左右に振られている。
「奥歯にそれを挟んでな、ガリッと行けばいいんだ」
カラスは言った。
シロは仕方なく、その胡桃を左の前足と口の先ではさみ、そのまま左の奥歯の所に押し込んだ。胡桃は二、三回シロの歯から外れて地面に落ちたが、ようやくガリッと音がしてうまく割れたようだった。
「いててて」
シロは驚いて割れた胡桃を吐き出し、犬小屋の後ろに後ずさりした。
カラスは割れた胡桃の殻を器用にどけると、中の実だけを自分のくちばしに挟み、勢いよく飛び立った。
しばらくの間、シロはカラスの後ろ姿と目の前に残された割れた殻を眺めていたが、ようやく気付いて立ち上がった。
「畜生。カラスの奴。俺に胡桃の殻を割らせて、結局中身だけ持っていきやがったな。ふざけるんじゃねえぞ」
そのときカラスは既にかなり向こうの高圧鉄塔の所まで行ってしまっていた。
「シロ〜ありがとな〜」
と言っているように聞こえた。
「おい! 戻って来い。ヒトを馬鹿にするにもほどがあるぞ」
シロの声は、カラスの所まで届いているのか分からなかったが、シロはしばらくの間、怒りの矛先をそれ以外の方向に向けることが出来なかった。
「今度お前を見かけたら、お前をこの牙で噛み切ってやるからな」
暮れかけた空に、何羽もの鳥が横切って行った。もう、さっきのカラスがどの群れの中にいるのか、いないのかなど、見分けることが出来なくなっていた。
町の遠くの方を、消防車のサイレンが横切っていくのが聞こえた。
「ん? 仲間の声が聞こえなかったか?」
シロは高圧鉄塔の方から右45度に向きを変え、耳を左右に動かした。一瞬また尻尾が激しく振れた。
消防車のサイレンは少しずつその位置を変えていた。
「お〜い、誰だ〜、誰か俺の仲間が呼んでいるのかあ〜」
シロは大きな声で、遠くの音に向かって声を上げた。
「お〜い、俺はここにいるぞ〜。ここまで来られるかあ〜」
シロは精一杯、遠くまで届くように声を張り上げた。
「さっきからうるさいぞ!」
いきなり近くの窓が開いて、幸太郎の怒鳴り声が響き、同時に窓からバケツの水がシロの全身に降りかかった。

>> 動物語版のTOPに戻る

80s岩手県のバス“その頃”裏サイト
ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”