絵葉書でめぐる日本バス紀行(桜島)
トップバー

桜島 桜島は、鹿児島県にある火山で、鹿児島湾(錦江湾)南部にある半島です。
姶良カルデラと呼ばれる火山の南縁にあり、カルデラ自体は海水が流入して今の鹿児島湾(錦江湾)になりました。またその時のマグマが火砕流となり、鹿児島県を広く覆うシラス台地になっています。
桜島は、北岳、中岳、南岳の3つの主峰から成る複合活火山で、1914(大正3)年の大正噴火で瀬戸海峡が埋まり、大隅半島とつながりました。山麓は熔岩の流出で形成された熔岩原で、噴煙を上げる生きた火山であることと合わせて、観光客が多く訪れます。
霧島錦江湾国立公園の一部であり、鹿児島県名勝に指定されています。

桜島の奇勝
桜島の奇勝

撮影時期:1950年代

桜島を背景に、まだ未舗装の熔岩道路を走ります。
神社附近の熔岩道路
遊覧バスの疾走する神社附近の景

バスは恐らくトヨタBMだと思われます。

桜島・溶岩道路
溶岩道路

撮影時期:1950年代

噴煙を上げる桜島を横目に、観光客を乗せたボンネットバスが砂煙をあげて走ります。
和銅元年以来幾多の爆発により噴出した溶岩は山麓の各所を埋め此の溶岩原を貫くドライブウェーは大隈半島の重要な交通路となっている。

溶岩道路を行くボンネットバスは西桜島村営バスのいすゞBX91(帝国ボディ)でしょうか。

溶岩の間を縫うて走る桜島観光道路
桜島観光道路

撮影時期:1950年代中盤(1953年以降)

「観光の鹿児島市」という絵葉書。溶岩の間を縫って走る桜島観光道路。まだ未舗装の道を国鉄バスが行きます。
 車両画像を拡大

バスは、正面窓上に日よけのついた新日国ボディで、ナンバープレート上に古い三菱エンブレムが見えますので三菱R21(新日国ボディ)と思われます。

桜島溶岩道路
桜島溶岩道路

撮影時期:1950年代中盤(1953年以降)

桜島の噴火による溶岩が積みあがった上に設けられた溶岩道路を、桜島に向かって走るバス。
六百億屯といはれる溶岩原其の上に設けられたバス道路壮観奇観な眺めは万人の目をうばう。

茶色とクリーム色のツートンカラーは国鉄バスです。バスは、リアの屋根上にある大きなダクトや、小さめな後面窓など特徴ある外観です。恐らく三菱R21(新日国ボディ)。

桜島溶岩道路
桜島溶岩道路

撮影時期:1950年代中盤(1953年以降)

走り去るバスは紺色のラインの西桜島村営バスに見えましたが、上の国鉄バスを見てから見直すと、国鉄バスにも見えてきます。

バスは、リアの屋根上にある大きなダクトや、側面最後部から後面にはみ出したような通気孔の形状から、三菱R21(新日国ボディ)。恐らく上の絵葉書の車両と同じタイプです。

熔岩道路と観光バス
熔岩道路と観光バス

撮影時期:1950年代後半

西桜島村観光協会発行の絵葉書。観光PR用の撮影らしく、車掌さんがドアのところに立ってこちらを見ています。

西桜島村営バスで、三菱R380(1958〜60年式、新三菱ボディ)のようです。
手彩色ですが、バスの色はしっかり再現されています。

桜島の溶岩原
桜島溶岩原

撮影時期:1950年代後半(1956年以降)

鹿児島県観光連盟作成の絵葉書で、桜島を背景にごつごつした溶岩の間を国鉄バスが走ってきます。
車両画像を拡大

バスは、三菱R270(1956〜58年式、新日国ボディ)ではないかと思います。正面窓は連続窓風になった後の新日国ボディで、後部屋根上のダクトは2本あります。

桜島熔岩道路
桜島熔岩道路

撮影時期:1960年代

熔岩道路が舗装されました。
桜島を世界的に有名にしたのは大正3年の大爆発で、熔岩流は大隅半島との間を地続きにした程である。現在ではその上を、自然の脅威を眼のあたりにしながら快適なドライヴウェイが走っている。

国鉄バスは、三菱MAR470(1960〜62年式、富士重工)。

熔岩道路より鹿児島を望む
桜島熔岩道路

撮影時期:1960年代

舗装された熔岩道路にガードレールがつきました。
火の島桜島は大正3年の大爆発によって大隅半島に接する瀬戸海峡を埋没し、今では大隅半島に連なる半島となり、桜島は大隅から宮崎への交通路として、大きな役割を果たす。

国鉄バスは、三菱R280(新三菱ボディ)だと思われます。

桜島熔岩道路
桜島熔岩道路

撮影時期:1960年代(1964年以降)

噴煙を上げる桜島を背に、溶岩道路を行く観光バス。

観光バスは南国交通の三菱MR470(1964〜66年式、呉羽ボディ)の前ドア車です。

アンダーバー
ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”