絵葉書でめぐる日本バス紀行(沖縄県)
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沖縄県 沖縄県は、九州の南側に位置する県で、東シナ海と太平洋に挟まれた南西諸島と呼ばれる地域に、沖縄本島と多数の島で構成されています。沖縄本島を含む沖縄諸島、宮古島を含む宮古諸島、石垣島や西表島を含む八重山列島、そして尖閣諸島などがあります。
県庁所在地は中部地域の那覇市です。地域区分では、名護市などの山原(やんばる)地域(北部地域)、沖縄市などの中部地域、那覇市などの南部地域、久米島などの南部離島地域、宮古市や石垣市を含む宮古・八重山地域に区分されます。
沖縄県は1945年の太平洋戦争の「沖縄戦」で戦場となり、その後、米軍の支配下となり日本の施政権は停止となり、沖縄県は一時消滅しました。戦後1952年に米国が琉球政府を設置、朝鮮戦争やベトナム戦争の前線基地となるなど、米国の支配下として20年を過ごしました。
1972年に日本に施政権が返還され、沖縄県が復活しました。さらに1978年には交通方式が日本の左側通行に変更されています。

琉球政府の時代

糸満町(島尻郡)
糸満町

撮影時期:1950年代後半

沖縄本島の南端にある糸満町の広場に停車中のバス。

白に赤線のバスは琉球バスでしょうか。日野「ブルーリボン」BD30系列です。

那覇のメインストリート
那覇のメインストリート

撮影時期:1950年代後半

那覇のメインストリートというタイトルですので、国際通り。
手彩色で、タクシーがすべて黄色に塗られているなど、結構乱暴な色付けです。

バスはいすゞBA351(川崎ボディ)のようです。塗り分けは東陽バスのようにも見えます。

琉球政府の表玄関 那覇市
那覇市

撮影時期:1960年代前半

琉球政府とは、沖縄が日本に返還されるまで、米国政府の下部組織としての沖縄の統治名。1952〜1972年に存在しました。

左ハンドルのバスは、塗り分け線と菱形の社紋から、首里バスです。色は手彩色で実物とは異なるようです。
日野ブルーリボンBD系。

那覇バスターミナル
那覇バスターミナル

撮影時期:1960年代前半

那覇のバスターミナルに集結する沖縄のバス。右側通行なので、ドアが右側にあり、この角度だとドアのない側が見えています。
ターミナルの開業が1959年とのことですので、この写真は1959年以降の撮影。

左端は銀バスと呼ばれた那覇交通、いすゞBA351(川崎ボディ)。
その隣の紺色のボンネットバスは首里バスです。たくさん見える裾の赤いボンネットバスは恐らく琉球バス、中央奥の緑系のバスは東陽バスだと思います。

那覇の国際通り
国際通り

撮影時期:1960年代前半(1962年以降)

国際通りを行き交うバス。右側通行でバスやタクシーが行き交います。
2代目トヨペットコロナや初代日産ブルーバードのタクシーが多数見えますが、東陽バスの横に横4灯のタクシーが見えますので、2代目トヨペットクラウン登場後の1962年以降の撮影と想像します。
首都那覇市の中心街を縦断する長さ1粁の直線道路で世界各国の一流品を扱う多数の商社が軒を連ね沖縄随一の繁華街である。

一番手前の白地に赤ラインのバスは琉球バスのいすゞBA351(川崎ボディ)でしょうか。
その後ろに多数見えるのは銀バスこと那覇交通、後ろ姿の一番手前の那覇交通もいすゞBA351(川崎ボディ)あたりのようです。
後ろ姿の手前から2台目は東陽バスで、いすゞBA551(1960年式、川崎ボディ)あたりと思われます。

国際通り
国際通り

撮影時期:1960年代後半(1965年以降)

沖縄県隋一の繁華街である国際通りを行き交う車の列。沖縄がまだ右側通行だった頃の光景です。
奇跡の1マイルと呼ばれる国際通りは、那覇市の中心街を縦断するショッピングストリートである。
3代目トヨペットコロナ(1964〜70年)のタクシーが多数走っていますが、一番先頭に2代目ニッサンセドリック(1965〜71年)が見えるので、1965年以降の撮影です。

手前の銀色のバスは通称「銀バス」と呼ばれる那覇交通、いすゞBA351(川崎ボディ)あたり。
その前は多分琉球バスで、いすゞBC(川崎ボディ)。
一般車を挟んで3台目はクリーム色基調に緑のラインが入る東陽バスです。日野ブルーリボン(帝国ボディ)です。

那覇市 国際通り
国際通り

撮影時期:1960年代後半(1964年以降)

国際通りを行き交うバス。右側通行です。
車両画像を拡大

左車線の先頭は琉球バスの日野ブルーリボン、2台目は東陽バスの日野RB20(帝国ボディ)、3台目は那覇交通のキャブオーバーバス。
右車線の後ろ姿は那覇交通の日野RB20(帝国ボディ)。

那覇の国際通り
国際通り

撮影時期:1960年代後半(1964年以降)

国際通りを行き交うバスやタクシー。やはり右側通行です。
後ろ姿が見えているのは「銀バス」こと那覇交通。

銀バスは日野RB20(帝国ボディ)。中央に扉がありますので、ツーマン車でしょう。日野車の場合は、左ハンドルになると型式が変わるそうです。
帝国ボディのこのスタイルも、手前のタクシーの3代目コロナも1964年にモデルチェンジしているので、撮影も1964年以降です。

日本復帰後

那覇市 国際通り
国際通り

撮影時期:1970年代(1978年以降)

国際通りを行く那覇交通のバス。1978年に車が左側通行になった、いわゆる730の後の画像です。
県庁前から安里三差路まで約1マイル(1.6キロ)の商店街。その名の如く初めは外国商品の店が多かったが、今は観光土産の物産展やデパート、遊技場などが立並ぶ“国際的地方都市”のメインストリート。

那覇交通のバスはいすゞBU04(1978年式、川崎ボディ)で、ナンバーは沖22か1144

作成:NBC、撮影:Toshiaki Tanji
沖縄ショッピングストリート
国際通り

撮影時期:1970年代(1978年以降)

那覇市のメインストリート国際通りは約1キロ半にわたる賑やかな通りで、ファッショナブルな表通りと下町の暖かさ漂う路地が同居している。また平和通はテント張り小屋から発展したマチグワー(町の市場)である。

国際通りを行くのは、左側通行になった1978年導入の新車。那覇交通のいすゞBU04(1978年式、川崎ボディ)に琉球バスの日産デU20H(1978年式、富士重工ボディ)などが大量に行き交う光景です。

作成:不明
エキスポ・ニューシティ・カー(海洋博KRT)
海洋博

発行年:1975年

南ゲート・北ゲート間を走る電車でもなく自動車でもないコンピューターでコントロールするあたらしい交通システムである。
1975年7月20日〜1976年1月18日の間開催された沖縄国際海洋博覧会の会場内交通。神戸製鋼所が開発した新交通システムで、KRT(Kobe personal Rapid Transit)と呼ばれます。

作成:絵はがき紙工芸品協会
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80s岩手県のバス“その頃”