盛岡−東京間高速バス開通(1988.7.21)

高速バス新時代へ
盛岡−東京線 この時、私は既に岩手県を去ったあとでしたが、盛岡と東京を結ぶ高速バスが難産の末誕生する瞬間を見るため、4ヶ月ぶりに盛岡を訪ねました。
名乗りをあげた会社が多くて一時はその調整に手間取っり、「フローラ号」などより後発になってはいましたが、それだけに準備万端のスタートとなりました。
ただ、これまでの高速バスに比べると「○○号」という愛称がないのが残念でした。もっとも、リーフレットやポスターに使用されていた印象的なイラストと「らくちん」というコピーが、強烈な印象を作り出してはいました。
1988年7月21日、これまで弘前、秋田と続いてきた東京行き夜行バスが、とうとう盛岡でもスタートしました。
盛岡側は岩手県交通とJRバス東北、東京側は国際興業とJRバス関東、というグループ企業同士によるダブルトラックでの運行です。
これまではどちらかといえば乗り換えにより不便さを感じていた都市からのバスでしたが、今回は東北新幹線と真っ向から競争することになる区間を運行し、しかもその運行にはJRバスが加わってダブルトラックでの運行になるというのも、これまでにない話題性の高い路線であるといえます。
また、4社での運行になることから、夜行便だけでなく昼行便も設定され、選択に幅を持たせています。
盛岡駅前には予告看板

東北新幹線で4ヶ月ぶりの盛岡駅に降り立つと、バスロータリー内には高速バス盛岡−東京線の運行開始を予告する大きな建て看板がありました。
左は駅舎側のJRバスのりば付近、右は円形ホームにある案内所前です。それぞれJRバス東北と岩手県交通が同じ原稿を元に別々に作成した感じです。

看板

撮影:盛岡駅(1988.7.21)

JRバス東北の新車
JRバス東北

撮影:盛岡支所(1988.7.21)

以前は行き慣れていたJRバス盛岡支所に足を運ぶと、高速バス東京線用の新車が2台スタンバイしていました。JRバス東北では、共同運行の国際興業グループに合わせてか、いすゞのスーパークルーザーを専用車として用意していました。これは、東京側のJRバス関東も同様でした。
出発式用に既にヘッドマークを取付けています。

岩手県交通の新車
岩手県交通

撮影:松園営業所(1988.7.21)

次に岩手県交通の松園営業所へ行ってみました。
岩手県交通も続行便を想定して2台を用意しています。国際興業グループということで当然いすゞスーパークルーザーの導入ですが、カラーデザインはこれまでのカラーを基本にしつつも、夜行高速バス用にアレンジされた新しいものでした。正面には「東北道高速バス」の文字が入っています。

出発式

昼行便の出発に合わせて、盛岡バスセンターで出発式が行われました。
共同運行4社の合同によるもので、JRバス東北と岩手県交通の車両が並べられてのセレモニーでした。

出発式

撮影:盛岡バスセンター(1988.7.21)

出発式

撮影:盛岡バスセンター(1988.7.21)

両社の代表者からあいさつがあります。
最近の夜行高速バスでは共同運行会社がカラーデザインを合わせる例が多かったのですが、今回は2グループ会社による運行ということで、それぞれ自社グループのカラーデザインを踏襲しています。それでも、同一車種で揃えるというのは粋な計らいだと思いました。

出発式

撮影:盛岡バスセンター(1988.7.21)

乗務員への花束贈呈です。
ミスさんさなどの女性たちから贈られます。

出発式

撮影:盛岡バスセンター(1988.7.21)

テープカットです。
4社の関係者が集まっての出発式なので、かなりの人数になりました。

リーフレット類

車内のご案内
車内のご案内

各車両に用意されていた車内案内のリーフレットです。
ゆったりと寛ぐ女性のイラストと「らくちん」のコピーが、この高速バス路線の統一イメージとして使われていました。
リーフレットの内部を見ると、3列独立シートの座席配置図を中心に、4chマルチステレオ、化粧室、セルフサービスのお茶、ひざかけ、スリッパ、公衆電話(自動車電話)などの説明が記されています。

パンフレット

盛岡側、東京側とも共通のパンフレットが用意されました。1980年代も後半になると、高速バスのパンフレットのデザインも急激に洗練されていきます。
この高速バスには愛称がなかった分、「らくちん」のコピーを前面に押し出します。「すわり心地」から「おサイフ」まで「らくちん」ということだそうです。
まだ高速バスそのものの名前は「東北道高速バス」ですが、結局この先、「らくちん」のコピーがバスの愛称へと自然に進化していくことになります。

パンフレット
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80s岩手県のバス“その頃”