記事タイトル:リアウインドウ上部の広告看板 |
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私も記憶違いかもしれません。何せ15年以上前の話ですし。 明月館の広告看板は記憶にないですね。店自体の名前は,先輩に連れて行かれて大辛の盛岡冷麺を食べさせ られた場所として,今も鮮明に残っていますが。 考えてみれば,BU06以降,国際興業からの中古はしばらくあのサイズの方向幕が続くことは分かっていた のですから,広告サイズ自体を横長にしてしまえば,ガラスも隠れるし広告料金もアップできるし,一石二 鳥だったかもしれません。 あと,他県では方向幕のガラス部分をそのまま広告にしているものもありました。枠を付けなくて済むので すが,交換は大変だったと思います。原型を崩さないので,バス好きにとっては良いんですがね。 後面大型幕の車両などは,この方法をとれば,広告効果の大きい大型広告になったと思います。[2004年11月14日 22時46分9秒]
盛岡地区で「関山」の広告看板を取り付けた車があったのかもしれませんが、 見た記憶は無いですね。“その頃”以前は盛岡へ行く機会も少なかったですし。 花巻所属の車にも無かったと記憶しています。 花巻市内で目撃したのは北上から乗り入れている車だったと思います。 盛岡市内ではメジャーだった広告看板は花巻地区で見かけることはほとんど無く、 他地域(旧社エリア?)へ転入の際には枠だけを残し看板は取り外して いたのかもしれません。 花巻に導入されたBU06にも広告看板が取り付けられていて「焼肉レストラン 明月館」 だったのをはっきりと覚えているのですが、盛岡にも店があったためか同じ看板を 盛岡市内で見たような気がします。もしかすると記憶違いかもしれませんが・・・。 やはり「右寄り」で取り付けられていました。金具の取り付け方を工夫すれば なんとか表示窓を隠すことが出来たかもしれません(笑)。[2004年11月10日 1時27分11秒]
恐らくボンネットバス時代からの後ろのおでこの丸いスタイルは,元々は後部方向幕を前提にしていない形 だと思います。なので、方向幕が出っ張ったようになり,逆にそれがポイントになって印象深いんだと思い ます。 方向幕付を見慣れていると,それがないのはのっぺりした感じで物足りないですね。 BU06などの広告枠は,多分サイズを変えると,広告料にも変化をつける必要が生じてくるので,旧型車 に合わせたのでしょう。それなら真中に付けて,両側が均等にはみ出す方がいいのでは・・・などと昔のこ とに幾らケチをつけても始まらないですね。 そして「関山」。覚えています。盛岡地区の車両にもありませんでしたか?それともあれは県南地区からの 転入車だったのでしょうか。[2004年11月5日 21時6分59秒]
確かに、フロントだけでなくリアもバスの「顔」といえますね。 “その頃”以前の車は各メーカー非常に個性的な「顔」を持っていたために、 広告看板や後面方向幕の有る無いで表情が随分と違って見えました。 顔でいうと「額」にあたる部分の丸みの強いBU10や呉羽ボディーでは、看板や方向幕が あるものが引き締まった表情に見えて好きでした。 BU06・04の広告看板は、悩んだ末にあのような取り付け方になったのでしょう(笑)。 今思い出すと当時の広告看板はラブホテルものも結構多かったと記憶しています。(^_^;) 「高級清酒 関山」は今も昔も県南地区の名物看板と言ってもいいと思いますが、 花巻市内を走っていた県南バスカラーの車にも確かに取り付けられていました。[2004年11月3日 22時50分45秒]
(こちらでは)ご無沙汰しております。 特に昔の場合はリアウインドウ上部の広告看板はその車の「顔」とも言えるのか、 表情が引き締まって見えたり逆におかしく感じたりと意外に記憶に残っています。 印象に残っている上部看板は花巻地区だと「みつわパン」「イチノベパン」、一関 地区だと「高級清酒 関山(現在も同じデザインで使われています)」といったところ でしょうか。 余談ながら上部広告ではありませんが、「その頃」の盛岡地区でよく見かけた(こち らも現在でもありますが)「戸田久」の大判広告も岩交・中央バスオリジナルのBU10との 組み合わせも大きなリアガラスと絶妙に?マッチしていたと思います。 また、確かにBU04・06の系統幕部分がはみだした広告を見ると「何とかならないのか なあ」と思ってしまったものです。夜になるとむき出しの蛍光灯が点灯しているのが 少し見えてしまっていた車もありましたからね。[2004年11月2日 0時17分42秒]
こちらこそご無沙汰です。 私の場合は,BAやBUなど初期の川崎ボディは(似たような三菱ボディも)方向幕がない方がりりしく感じ ていました。 元々首都圏のバスを見慣れていたので,方向幕のないバスは貸切バスや長距離バスと言うイメージが強かっ たのかもしれません。地方へ行くと,後部方向幕がないバスが多く,それはそれなりに好きでした。 BU06やBU04の広告看板は,系統幕がはみ出した感じなので,好きではなかったですね。きちんと全部隠す か,隠さないなら方向幕としてちゃんと使えばいい、などと思っていました。 まあ,今思うと,当時広告看板にあった戸田久や岩姫荘,ホテル○○など私の記憶にちゃんと残っているの で,方向幕部分の広告というのはそれなりに効果があるみたいです。[2004年11月1日 20時50分13秒]
お久しぶりです。 今回更新された「車両ギャラリー>別館“その頃”別の角度から」を見ると、偶然にも ほぼ全車のリアウインドウ上部に広告看板が取り付けられていますが、子供の頃は この広告看板付きのバスが好きでした。リアが引き締まって見えたので。 (管理人様はお気に召さなかったようですが・・・(^_^;)) 花巻所属の丸型BU10の全車には看板が取り付けられていたと記憶していますが、盛岡で 看板の無いBUを見たときはその締りの無いリアビューに嫌悪感を覚えたものでした(笑)。 県庁所在地で依頼主も多いためか盛岡地区のバスに広告看板を取り付けた車が多くて 実に羨ましかったです。 その後、BU06での右寄りの取り付け方に驚いたものの、それ以上に驚いたのは スケルトン車でルーフラインまで延長したリアガラスを持ちながらもこの部分に看板を 取り付けていた国鉄バスを見たときでした。岩泉所属の富士2ドア車(P−LV314) だったと思います。随分と強引に取り付けたものだと関心して見てました。 尤も、県交通K−CJM470で大型後面方向幕に看板を取り付けている車が現在でも多数 存在するのですが、これまたよくまぁ取り付けたものだと見ています。 この広告看板、県交通だけだと思っていましたが全国各地(といっても地方都市が 多いでしょうか)でも見られると知り嬉しくなったものでした。[2004年10月31日 12時54分39秒]
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