北天の星、三陸鉄道
私が岩手県での生活を始めたのと、三陸鉄道が走り始めたのとは、ほとんど同じ時期でした。そんな縁から、開業の4月1日を皮切りに、何度か沿線を訪ねました。男性的な隆起海岸に沿って走る北リアス線は、残念ながらトンネルが多く、窓から海をゆっくり見ることはあまり出来ません。それでも、海、山、鉄橋という3点セットの撮影名所が何か所かありました。
国鉄の赤字ローカル線を引き継いだ初めての第三セクター鉄道が,様々なアイデア経営や地元の支持により、毎年黒字経営を続けていた頃です。
真新しい鉄路を行く
撮影:田野畑駅(1984.4.1)
田野畑駅を出るとすぐにトンネルに入ります。新規開業区間はほとんどこのように駅とトンネルの繰り返しです。
白いバラストが新規開業区間を物語ります。
36-105号ほか。
田植え
撮影:小本−摂待(1984.5.27)
北リアス線を行く三陸鉄道。
単行列車の通過に、田植えの手も一休み。
古代から息づく伝統と近代美が同居している原風景。これが岩手県全域で感じる事の出来る不思議な魅力でもあります。
117D。
国鉄山田線への乗り入れ
撮影:浪板−吉里吉里(1984.5.27)
開業から2か月弱の5月末。南リアス線の盛(さかり)から国鉄山田線を通って北リアス線久慈まで直通する「三陸縦断列車」が早くも実現しました。国鉄線内は国鉄の定期列車に併結される形になり、珍しい混結編成が見られました。
撮影:宮古−磯鶏(1984.5.27)
36-110ほか6両編成。1631D。
首都圏色のキハ52形やキハユニ26形が時代を物語ります。
夏萌える
撮影:一の渡−宮古(1985.8.21)
36-105+36-103。
112D。
カルボナード島越駅
撮影:島越駅(1986.8.8)
三陸鉄道の各駅は、それぞれ趣向を凝らした駅舎と、個性豊かな愛称が特徴でした。
中でもカルボナード島越駅は、宮沢賢治の童話をイメージさせる愛称と外観が秀でていました。
こういった工夫も、後発の第三セクター鉄道に大きな影響を及ぼしました。
海の見える駅
撮影:堀内駅(1987.3.23)
“義経の祈り”という愛称のつく堀内(ほりない)駅からは、すぐ近くに海が望めます。
36-105。
112D。
隆起海岸
撮影:野田玉川−堀内(1987.3.23)
北リアス線とはいうものの、宮古以北は隆起海岸の断崖が続きます。トンネルの間には目もくらむ橋梁があり、一瞬太平洋を望むことができます。絡みつくように走る道路は国道45号線。
5114D。
春を待つ三陸海岸
撮影:堀内−普代(1987.4.1)
開業からちょうど3周年を迎えた三陸鉄道です。
春の遅い岩手県ですが,ようやく雪も消えました。
祝賀列車のいろいろ
開業祝賀列車
撮影:宮古駅(1984.4.1)
三陸鉄道開業の日の北リアス線祝賀列車。久慈から宮古へ到着した所。
36-101号ほか3連。
盛−久慈間163km「三鉄開業記念号」
撮影:宮古駅(1984.5.27)
盛から久慈まで国鉄山田線を介して運行された「三鉄開業記念号」。本当の意味で三陸鉄道が全通したということでのネーミングのようです。確かに、三陸鉄道の南北リアス線を通しで運行する初めての試みでした。
撮影:宮古駅(1984.5.27)
36-110号の側面には記念の切り文字が貼られています。
「お世話になって3周年」号
撮影:久慈駅(1987.4.1)
1987年4月、三陸鉄道は無事開業3周年を迎えました。
単行運転の36形におなじみのデザインのヘッドマークが付けられました。
撮影:宮古駅(1987.4.1)
主要駅にも大型看板が掲げられていました。