春まだ遠い弘南鉄道(大鰐線編)
弘南鉄道大鰐線は、弘前市の中心部にある中央弘前駅から奥羽本線の大鰐駅までを結ぶ路線です。弘南鉄道の本線格である弘南線とは接していません。車両は、弘南線から押し出されてくる車両が使用されており、この時期は、東急からの譲受車が弘南線に入り、大鰐線には押し出された国鉄形や買収国電が使用されていました。その結果、撮りたい車両は大鰐線に集結しており、もっぱら大鰐線沿線での撮影が多かったのです。
津軽平野を行く
撮影:石川−津軽大沢(1987.3.21)
緩やかな勾配を行く2両編成。先頭に立つのは、元旧型国電の中でも製造年の古いモハ1120号で、大鰐線では同世代でもある元富士身延鉄道のクハ2251号と組んで使用されていました。
平川を渡る
撮影:石川−鯖石(1987.3.22)
大鰐線は、大鰐を出た後しばらく国鉄奥羽本線の対岸を走った後、平川を渡って再び奥羽本線に近づきます。その先は奥羽本線をオーバークロスして弘前市中心部に向かいます。
国電同士が手をつなぐモハ1121+クハ1610の2両編成。
快速電車
撮影:石川−鯖石(1987.3.22)
畑仕事の脇を2両編成の電車が通り過ぎます。前面に何か札がついていますが、「快速」と書いた札を下げて走る快速電車です。
こちら側は元国電のクハ1613号ですが、編成を組むのは元西武鉄道のモハ
2233号。
国電の面影
撮影:石川−鯖石(1985.3.20)
モハ11形+クハ16形の2両編成。
既に大鰐線に転じて余生を過ごしている風情ですが、戦前の省電の良き時代の面影を残す張り上げ屋根車は、全国でもこれ1両だけの存在でした。経歴としては戦災廃車後に西武鉄道に引き取られ、原形を生かして復旧されただけに、標準化されてしまった国電より原型に近いというのも皮肉な結果です。
コンクリート橋を行く
撮影:津軽大沢−石川(1985.3.20)
こちらは見るからに古めかしい2両編成ですが、それも昭和初期に作られた鋼製電車。
左の電動車は富士身延鉄道の生まれ。国鉄買収後、飯田線などで使用されてから弘南鉄道入りしました。右の制御車は西武鉄道の生まれ。深い屋根とお椀型のベンチレーターは、川崎造船の初期鋼製車の大きな特徴です。
雪の大鰐駅
撮影:大鰐駅(1986.12.27)
昭和初期の香りの残る電車に、手動ドアを開けて乗り込む人々。
屋根に付けられた水切りや御椀形のベンチレーター、さらに前方のモハ2250形は木製ドア、木製窓枠を残しています。
りんごの木
撮影:石川−津軽大沢(1987.3.21)
冬のりんご畑の向こうを行く大鰐線電車。春が来るのはまだ先のようです。