バスカタログ聖地巡礼

日野RV100P(1969)


高速道路の整備が進むにつれて、高速走行、長距離走行に最適化した観光バスの需要が増し、「ツーリング・コーチ」として設計されたのが日野RV100Pです。
最高速度120km/h、V型8気筒250馬力、などを謳い文句に作られた、誇らしげなカタログです。

カタログ表紙
日野RV100P

画像:日野自動車カタログ(1969)

ヘッドライトだけでなく、屋根上の標識灯やウィンカーまで点灯させて、流し撮りで表現された高速走行をイメージした表紙です。
一般の観光バスとしては、前面や後面の大型ガラスや側面のメトロ窓は、まだ普及途上の時代です。

横浜地方裁判所(神奈川県)
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日野RV100P

画像:日野自動車カタログ(1969)

横浜地方裁判所

撮影:横浜市(2021.3.27)

茨城交通のバスをモノトーンにしたような日野RV100P
背景の3階建の薄茶色の建物は、横浜地方裁判所。現在では、背後に高層ビルが増築されています。
左手前は日本銀行ですが、現在は建て替えられ、地裁のビルを遮っています。
バスが走る通りは「日本大通り」と呼ばれ、この先横浜公園(横浜スタジアム)で丁字路となります。

開港記念会館
開港記念会館

撮影:横浜市(2021.3.27)

カタログでは地方裁判所の左側に煉瓦色の時計搭が写っていたので、行ってみました。これは、開港記念会館で、大正時代の建築です。関東大震災で焼失したものの、再建し、その後ドーム屋根を復刻するなどで現在に至ります。

みなとみらい線日本大通り駅
日本大通り駅

撮影:横浜市(2021.3.27)

そのすぐ地下には日本大通り駅があります。もちろん、カタログ撮影時には存在していません。
次の聖地に移動するため、ホームに降りると、東京メトロの7000系、それも扉の窓が小さいままの車両が発車して行きました。
現時点では最古参車両。それも、有楽町線用に作られた電車なので、どうして東横線を通って横浜までやって来るのか、1990年代の人ですら全く理解できない現実だと思います。

地下鉄有楽町線7000系
営団7000系

画像:財団法人地下鉄互助会発行絵葉書(1977)

地下鉄路線図
地下鉄路線図

画像:財団法人地下鉄互助会発行絵葉書(1977)

参考までに、この電車の登場間もない姿を、「東京の地下鉄50年」という記念絵葉書からご覧に入れます。
1977年当時、営団地下鉄(現東京メトロ)では最新型がこの7000系で、最新路線が有楽町線でした。写真は永田町駅です。
有楽町線は、池袋〜銀座一丁目間が開通していました。
ちなみに、当時東急東横線に直通していたのは日比谷線です。中目黒から日吉まで直通運転していました。

第三京浜道路(神奈川県)
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日野RV100P

画像:日野自動車カタログ(1969)

日野RV100P

撮影:tomo1960様(横浜市 2021.5.8)

やはり高速バスタイプの車両は高速道路を走らせないとサマになりません。
トヨペットクラウンや三菱デボネアが行き交う3車線の高速道路を走るRV100P
この時代に開通している高速道路は、名神、東名、中央道だけ。その中で、片側3車線というと東名高速の神奈川県内くらいでしょう。V字脚の架道橋もこの区間では多数みられます。
架道橋の下には非常電話帯があり、右にカーブした先は左にカーブしています。
しかし、似たような場所はあれど、ドンピシャの場所が見つからないままページをアップしたところ、tomo1960様から、代理de巡礼のご連絡を頂きました。1965年に全通した第三京浜が三車線道路だというのです。さらに、非常電話帯が破線であることに違和感を抱き、今は閉鎖されたバス停であるとの想定から、小机バスストップ周辺を導き出しました。
V字脚の背の高い高架橋や右カーブの先の左カーブなど、この場所に間違いありません。

ボツ巡礼(東名高速道路)
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港北PA付近
港北PA付近

撮影:横浜市(2021.3.27)

似たような場所を探して、港北PA付近の榎谷戸橋に行ってみました。
架道橋のV字脚は似ていますが、高さが足りないようです。また、左右に車線のふくらみが見えますが、これはPAの合流車線なので、カタログの場所とはちょっと異なります。
三菱エアロエースといすゞガーラが競い合いながら走ってきました。

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東京料金所付近
東京料金所付近

撮影:川崎市(2021.3.27)

もう一つの似たような場所は、東京ICから多摩川橋を渡った先、緑ヶ丘霊園のあたりの下原橋です。
架道橋の下に非常電話帯がある点は共通していますが、残念ながらV字脚ではありません。その高さもカタログ写真の場所に比べると低いようです。
東名高速道路開通時からの老舗路線である東名高速バス(JR東海バス)と小田急箱根高速バスの擦れ違いが撮れたので、よしとします。

東京料金所付近

撮影場所のすぐ近くの自動販売機に、懐かしい缶コーヒーが売っていたので、思わず買ってしまいました。
左のUCCコーヒーは「SINCE 1969」なので、まさに日野RV100Pとは同い年。右のポッカコーヒー(ショート缶)は「since 1972」なのでちょっと後輩です。

山中湖旭ヶ丘(山梨県)
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日野RV100P

画像:日野自動車カタログ(1969)

1960年代の高速バス車両といえば、前面を傾斜窓にした流線形風のボディが特徴。この車両も、金産ボディによる高速バスタイプの試作車だと思われます。
1969年に開通したばかりの中央自動車道富士五湖線で山中湖まで行ってみたのでしょう。湖に背を向けて、駐車中の写真です。

旭ヶ丘

撮影:山中湖村(2021.4.24)

聖地は山中湖の旭ヶ丘です。山中湖に背を向けて、駐車できるスペースが今も存在し、観光に来た車が何台も止まっています。
やってきたのは、このカタログと同じ1969年に運行を開始した中央高速バス富士五湖線の富士急行。トーマスランド号の賑やかなデザインの日野セレガが、平野に向かって走ってゆきます。

旭ヶ丘

撮影:山中湖村(2021.4.24)

カタログ車が止まっていた駐車場側から見ると、ちゃんと富士山がそびえています。
中央高速バス富士五湖線のもう一方のバス事業者、京王の便が来るのを待って、今回の聖地巡礼を終えることができました。

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80s岩手県のバス“その頃”