バスカタログ聖地巡礼

いすゞジャーニーL(1973年)


エルフをベースにしたいすゞのマイクロバスは1973年にモデルチェンジを行い、長く親しまれる川重のボディになりました。ジャーニーLは3tトラックをベースにした長尺モデルです。
併せて、同時期の2tトラックベースのジャーニーMのカタログもご紹介します。


新宿西口(東京都)
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カタログ表紙
いすゞジャーニーL

画像:いすゞ自動車カタログ(1973)

新宿西口

撮影:新宿区(2023.12.2)

カタログの表紙写真は、これから旅立つところを表現しています。
新宿西口の朝日生命保険本社ビルの前です。場所が特定できたのは、カタログでバスの後ろにちらりと見える茶色い高層ビル。茶色いので最初は迷いましたが、外壁を貼る前の新宿住友ビルでした。1971年11月に着工し、1974年3月に竣工しているため、1973年発行のこのカタログでは、ちょうど高層階まで組み上がる状態だったのです。
聖地を訪れてみると、朝日生命保険本社ビルはモード学園コクーンタワーに建て替えられていました。それでも、同じように送迎のマイクロバス(トヨタ車ですが)が停車していました。

モード学園コクーンタワーと新宿住友ビル
新宿西口

撮影:新宿区(2023.12.2)

今度はちょっと遠くから眺めてみます。2008年に建てられたコクーンタワーは、その名の通り、繭(まゆ)のような形をした高層ビルです。
手前にあったスバルビルや明治安田生命ビルも取り壊されました。
カタログ撮影当時に最新(建設中)だった超高層の新宿住友ビルが、最も古いビルになりつつあるなど、新宿西口も大きく様変わりしています。

いすゞジャーニーLM

画像:いすゞ自動車カタログ(1973)

嬉しそうに移動中の皆さん。
新宿西口で地図を確認していた大橋巨泉風メガネと黒ジャケットは前座席に陣取っているので、グループ内ではリーダー格なのでしょう。

泉涌寺大門(京都府)
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いすゞジャーニーL

画像:いすゞ自動車カタログ(1973)

泉涌寺大門

撮影:京都市(2024.1.12)

旅行先がどこかと言うと、「御寺泉涌・・・」の文字の木札がかかる大きな門構え。検索してみると、京都の東山にある泉涌寺(せんゆうじ)の大門でした。
新宿から東名、名神高速を走って簡単に京都まで来られる車両性能をアピールしているのでしょう。
リーダーの大橋巨泉風メガネは、大門の下で女性に囲まれてご機嫌です。

下田港(静岡県)
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カタログ表紙
いすゞジャーニーM

画像:いすゞ自動車カタログ(1975)

いすゞジャーニーM

撮影:下田市(2024.1.13)

同じ時期に発行された2tトラックベースの「ジャーニーM」のカタログも併せてご紹介します。
船を降りてきた男女のグループが、待っていたマイクロバスに乗り込むというシチュエーション。
後ろの船は「あじさい丸」と書かれているようです。YS様によると、あじさい丸は東海汽船の客船で、下田港から新島、神津島、三宅島を結ぶ航路に使われていたとのこと。
下田港に行ってみると、今は神新汽船が運航を引き継いでいました。船も「フェリーあぜりあ」に代わっています。

ペリー艦隊来航記念碑
下田港

巡視船「まつうら」の錨
下田港

「あぜりあ丸」のプロペラ
下田港

下田港では、色々な歴史を振り返ることが出来ます。嘉永7年(1854年)にペリー艦隊の乗組員が上陸した場所であることから、「ペリー上陸の碑」が建てられました。
次の写真の錨は、1960(昭和35)〜1986(昭和61)年の間に使われていた巡視船「まつうら」のもの。
そして、天を仰ぐプロペラは、1988(昭和63)〜2014(平成26)年の間に下田港と伊豆諸島を結んできた神新汽船の貨客船「あぜりあ丸」のもの。カタログ表紙に写っている東海汽船の「あじさい丸」と、現在活躍中の「フェリーあぜりあ」との間に使用されていた船です。

いすゞジャーニーM

画像:いすゞ自動車カタログ(1975)

「ガッシリと設計されたシート」のゆったり26人乗りの車内です。自然と男女ペアになっていますが、下田港で降りたときのペアがそのまま維持されています。
一番前の篠田三郎風の七三分けと、中ほどの松崎しげる風の長髪は、いずれもピンク色のカラーシャツ。仕事なのか慰安旅行なのかは分かりません。

場所不詳
いすゞジャーニーM

画像:いすゞ自動車カタログ(1975)

下田港でマイクロバスに乗り換えたサラリーマン一行が向かった場所は、車寄せの屋根に丸い採光窓がついた建物。伊豆温泉のホテルでしょうか。
男女ペアから外れていたグレーの背広の男性は、荷物持ち兼運転手だったようです。

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80s岩手県のバス“その頃”