信州廃バス見聞録


この物語は、CURIOUS【キュリアス】編集長赤木靖之さんが「廃バス見聞録」を次々に刊行するための探索に、私が同行した、好奇心に溢れる遠征日記である。
(写真は一部を除き2018年12月27日撮影)

いつの間にか3冊も

赤木さんが「廃バス見聞録1」を発刊したのは、2017年の11月のこと。そして、次刊のネタを仕入れるために奥静廃バス見聞録の旅をその年の12月に行ったわけだ。
その時は、続刊は「奥静」とか「信州」とかいう地域ごとにまとめられるのだろうと、勝手に予想したのだが、いつの間にか発刊されていた2巻、3巻を見ると、その予想は見事に裏切られた。

廃バス見聞録

西武バスの4台口あり、山梨交通の土止めの3台口あり、過去のコヤマドライビングスクールあり、全く地域に関係なく詰め込んでいるのだ。
多分これは、赤木さんの行き当たりばったりの姿勢がもたらしたのだと思われるが、まるで「おもちゃの缶詰」とか「ピクニック・ランチセット」とかのようなワクワク感という成果を生み出しているのだった。

廃バス見聞録
プレ探索in山梨
山梨

撮影:塩山駅(2018.12.10)

前年の「奥静廃バス見聞録」からほぼ1年後の12月10日、赤木さんから、未だにP-LVLR(若い方にはキュービックとかジャーニーと表現した方がいいのか)が走っていると教わり、山梨交通を見に行くことにした。「やまなしバスコンシェルジュ」の車番検索という便利な機能があるというのも、赤木さんに教わった。
そして行きの「あずさ」の車内で、狙った車両が甲府駅に現われるという情報を確認したのだが、間髪入れず、赤木さんから「私も合流しましょうか?」との申し出が。

山梨

撮影:山梨県(2018.12.10)

山梨交通鰍沢営業所付近で赤木さんと合流し、塩山駅に現われたP-LRなどを撮影しつつ、なんとその先はかの有名な(のは一部のマニアかもしれないが)民生イーグルの廃車体へと直行してしまった。
「道路改良で撤去の危機が囁かれているんです」と言う赤木さんの言葉にドキドキしながら現場に着くと、相変わらずの茶色い塊が佇んでいたのでほっとした。
工事事務所が置かれていたので、立入の許可を頂いて、細部まで撮影する。
赤木さんにとっては、CURIOUSの過去記事のアーカイブのため、現状の確認が必要だったのだそうだ。

本番は小淵沢から出発だ

「じゃあ、年内には信州探索をやりましょう」
山梨での別れ際、そう約束をしたわけで、何とか年内の実施が滑り込みで実現したのは、暮れも押し詰まった12月27日だった。
集合場所は中央線小淵沢駅前。小海線のディーゼルカーで北上するわけではなく、この線に沿って車で行くわけだが・・・。
ちなみにJRの駅名は「こぶちざわ」のままだが、中央自動車道のインターチェンジは「こぶちさわ」と濁らない名前に変わっている。

小淵沢駅
信州廃バス見聞録

山梨県と言えば甲州ほうとう。集合場所に同行者の赤木さんとYSさんを待たせたままで、小淵沢駅の丸政売店に直行。麺と味噌が入った「純生ほうとう」と簡単に食べられるレトルトのほうとうを購入。
鞄の中身はカメラよりもほうとうの体積の方が大きくなってしまった。

信州廃バス見聞録
国鉄最高地点に接近
近づけないフルデッカⅡ
信州廃バス見聞録

信州に入って最初の案件は、農地の奥。残念ながら、バスマニアに対して強い拒絶の意思を感じる看板。
仕方なく遠目に観察。帝産オートの三菱フルデッカⅡ。エアロバスが登場するまでの、ショートリリーフに終わってしまったが、当時多感な10代だった私は、後面の絶壁頭とやたら大きい側窓に度肝を抜かれていた。
赤木さんが望遠レンズで観察すると「Sky Bus」という愛称が見えた。

本日のパジェロ
信州見聞録

ここで、今日赤木さんがもってきたクルマの解説をしておかなければ。
1987年式の三菱パジェロで、ディーゼルの貨物登録で長尺という変わり者。
昭和から平成へのこの時代、「四駆ブーム」が沸き起こり、時はバブルの真っ最中。パジェロも売れに売れたのだが、一般大衆に媚びた重量級のフカフカ仕様に対し、この車はパワステもエアコンもない最廉価グレード。今となってはこれの方がレアで、マニア的には興奮度合いを増すそうだ。
なんでも走行距離はたった13万kmで、機関部分が壊れて解体屋に出すところ、赤木さんがストップをかけてタービンを交換したら、見事復活。今日はその試運転を兼ねての遠征だそうだ。

元東濃鉄道 日産デKK-RM252GAN(2000年)
信州廃バス見聞録

次は生きているバスを。
高原の観光農場に待機する路線タイプの中型バス。東濃鉄道の富士重工8Eボディ。
名鉄グループなのに、日産ディーゼル。前面は名鉄カラーなのに、側面は東濃の貸切カラーもどき。そんなあばずれ者が信州に第二の職場を求めて生き延びた。

以前は元川上村営バスだった
信州廃バス見聞録

撮影:ポンコツ屋赤木様(2012)

この場所を訪ねようと思ったのは、ここには以前、川上村営バスの2代目車両(1988年式)がいたから。
赤木さんが2012年に撮影していた。こいつが今も残っていたら、今回の旅はもっと楽しかったのだが・・・。

信州見聞録

次に向かったのは、八ヶ岳の望める広大な平原。何の意味があるのか。今日のすべての行動には意味がある(多分)。
ここは、33年前の1984年に、放置されている山梨交通のBA01をYSさんが撮影した場所。(「廃バス見聞録3」P.13参照)
野辺山の開拓時代に休憩所に使われたらしいとのことなので、うっかり時空を乗り越えてその時代に飛び込んでしまうことを期待したが、残念ながらそこには何もなかった。
それでも険しい八ヶ岳の山容を背景に、パジェロの画像を捉えようとする赤木さんが、荒野の開拓男に見える。

藪の中のキャブ
信州廃バス見聞録

その途中、運転していたYSさんが「T810のキャブがある」と一言。藪の中に、緑色の生首が一つ。さっそく接近。
帽子を被った赤木さん、どう考えても怪しい。
しかしこんな場所にキャブだけ置くことも十分怪しい。

やはり近づけない山梨交通
信州見聞録

本日は、近づけない物件が多い。事前に調査済みで、難易度の高さは想定の範囲であったが。
窓の数からして、中ドア専用シャーシのBA743。これに近い形のBA741がこの近くにあったのだが、ストリートビューを確認したところ、残念ながら撤去されていた。
ちなみに左にいるのは三菱ローザ、右は日産エコー。この2台が山梨交通をしっかりガードしている。

意味不明の台車オブジェ
信州廃バス見聞録

次の目的地に向かう道をショートカットしている途中で、YSさんがまたも怪しい物件に気づく。
道路脇の整地した区画に2台並んだ鉄道車両の台車。後ろの大きな石と立てかけられた木札、そして周囲の樹木。意図的に配置されたとしか思えない。
YSさん曰く「国鉄の10系客車の台車だ」
いわゆる軽量客車といわれた初期の全金属製客車の台車というわけだろう。さらに、「野辺山の列車ホテルに使われていたのが10系だった」
調べてみると、野辺山の列車ホテルはオロネ10。そうすると台車はTR60。手前に付いている変な出っ張りは車軸発電機をぶら下げていたようだ。動力のない客車が室内灯とかのために付けていた発電機らしい。
その辺のことをYSさんがしゃべっていて、赤木さんが「そーなんだ!」と納得していたようだが、その場では一体何の話をしているのか、私に理解不能だった。

高原野菜の産地へ

いよいよ今日の本丸に突入。まずは小手調べに有名物件を訪ねる。
県道から見えるので、Web上でも多数見つかるが、それだけに以前に比べて破壊が進んでいる。

有名物件はとりあえず安泰
信州廃バス見聞録

フロントガラスは自然現象の影響か全てが失われ、退色の下から元カラーの富士急行のデザインが顔を出し始めている。
しかし、独特の三角フォグは明らかにバーナーで切り取られている。
こうやってWebに載せてしまうことが、盗難を誘発することもあるのかもしれないが、我々だって十分怪しい。

信州廃バス見聞録

運転席を覗いていたYSさんが何かを発見。
「これ教習車だ」
教官用のブレーキペダルがついている。
そういえば「日本路線バス総合カタログ」(日本バス友の会1984)に教習所車両として掲載されていたのがこの外装。富士急行から地元の教習所に譲渡され、その後この場所で余生を送っているのだろう。

信州廃バス見聞録

富士急BT71と並ぶ古パジェロ。
どうやら癖のある長尺パジェロに、二人は古バス的な楽しみを見出しているらしい。
若い頃、パジェロの運転体験に業務側から関わった経験を持つYSさんが自らハンドルを握る。ブームの末に高額グレードがもてはやされる中、アウトドアには簡素で軽量で扱いやすい車こそが本物というこだわりが、30年ぶりに蘇ったらしい。
赤木さんは後部座席に陣取り、乗り心地をチェックする。そんな二人が興奮気味に交わす言葉が、またもほとんど理解できない。

信州廃バス見聞録
本日のメインディッシュ
信州見聞録

薄ピンク色がほとんど退色していない、どころか、このカラーはこんなにイカしていたのか、と息を飲むほどの千曲バスのいすゞBA30
これは30年前にYSさんが発見していたものの、付近に存在した同形車との混同もあり、長らく再訪していなかったもの。

「ちょうどこの場所で30年前に撮ったんです」と写真を手にし、風景を見比べるYSさんと、それを撮影する赤木さん。
現在の廃車体の姿とその過去の姿を比較探究するのも、廃バス見聞録の醍醐味。

信州廃バス見聞録

信州廃バス見聞録

信州廃バス見聞録

信州廃バス見聞録

窓の外から車内を拝見。降車ボタンは原始的な丸い形。「千曲バスは当時こうだった」と赤木さん。
荷物棚には蜂の巣の残骸が。夏に来なくてよかった・・・。
しかし、俯瞰画像を撮ってから斜面を降りるとき、YSさんから「そこに生えてるナギナタコウジュって植物、臭いから気を付けて」と言われたにもかかわらず、赤木さんが臭い植物に突撃してしまい、パジェロの車内がゲロ臭くなってしまった。
そんな臭い車内でも満面の笑顔でBA30を見られた幸せについて語り合う中年男たちを、不審に思う人はいなかった。いや、ここには人自体がいなかった。

岩根山荘
岩根山荘

行程中の車内で、ふと思い出したのが、旅館の送迎バスとして生きている元川上村営バス。
これ、赤木さんから教わったのに、本人が忘れている。
便利な世の中になったもので、車を走らせながら、スマホとカーナビで場所はすぐに特定でき、村の奥地へと進路を進めることに。
坂道をぐいぐいと登っていくと、いた!

岩根山荘

1984年にスクールバスのRE100を置き換えるために川上村が新車で購入した前ドア車。
前面といい後ろ姿といい、この時期の独特の角張り方。それにどこの事業者の影響か、3連テールを備える。
岩根山荘に譲渡されてからは2回に渡る全塗装で、非常に美しい外観が保たれている。意図してではないかもしれないが、どことなくこの車両のカタログカラーに似ている。

アイスクライミングのメッカに、ある危機が迫っていた

信州廃バス見聞録

信州廃バス見聞録

信州廃バス見聞録

赤木さんが社長さんに撮影許可を頂いている間にも、飼い犬のジローが怪しい侵入者に警戒モードを解除しない。
そんなワンコロと睨めっこをしている間に、赤木さんは社長さんから衝撃なことを告げられた。
33年の年を重ねたこのバスも、部品確保が難しくなり、とうとう世代交代するというのだ。奇しくも山荘のフェイスブックに、バスの引き取り手を探す情報を流した直後だとのこと。
スケルトン初期のブルーリボンに手を差し伸べる人を探そう・・・赤木さんにとって、今日のメインディッシュは、予定外に訪問したこのバスになってしまったようだ。

冬の日暮れは早かった
信州見聞録

本日の重点エリアを回るうちに、時計は2時を指している。
既に太陽は西に傾き、方向によってはバリ逆光で、写真にならない。
昨日までの天気予報では曇りだったのに、洗濯日和の快晴になってしまったのは、御家庭の皆さんにはありがたいが、我々には嫌がらせでしかない。
これは、戦時中のものと思われる残骸のような廃車体。ボンネットバスだと思っていたが、諸兄の調査結果では日産のセミキャブらしいとのこと。

私が佐久平から新幹線に乗らなければいけないため、そろそろタイムリミット。
行ける範囲の最後の案件は、ストリートビューが届いていないため、どんなバスなのかは行ってみてお楽しみというもの。
「この辺の左側です。何か見えたら言ってください」と叫ぶ赤木さんに急かされ、凝視していた左側に現われたのは、意外にも川上村営バスカラー。
方向幕が出っ張って、中ドアが折り戸という仕様は、川上村営バスが最初に購入した1982年式ではないか!
ただし、酪農エリアのため、伝染病対策の消毒をしていないバスマニアは立入禁止。遠くからしか拝めなかった。

信州廃バス見聞録

今日の締めが初代の川上村営バスだったので、終わり良ければ総て良し。川上村営バスの歴史を満喫できる旅になってしまった。
「廃バス見聞録4」にどれが載るのかとか、どれが載らないのかとか、そんなことを私が予想するのはやめておこう。どうせ真っ向から裏切られるのだから。
佐久平駅で私を降ろした二人は、またその場で何かを見つけて大騒ぎを始めていた。それにかかわると新幹線に乗り遅れてしまうから、私は彼らを置いてきぼりに、さっさと駅へと歩いて行った。

−完−

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80s岩手県のバス“その頃”