奥静廃バス見聞録

前編のあらすじ
前回のあらすじ 「廃バス見聞録4」の取材をするため、静岡県の山奥にある無人の開拓地に向かうCURIOUS【キュリアス】編集部 赤木靖之さんに同行した私は、富士駅で赤木さんの運転するジープに拾われ、一路、山道を進み、11時ごろには目的の場所に到着することができた。
(撮影は2017年12月2日)




第一の廃車体
大井川鉄道 日野RB10P
大井川鉄道

まず最初の1台がこれです。
大井川鉄道の旧カラーをまとった貸切タイプの1台。前から見ると、あまり変わり映えのしない日野の観光バスですが、後ろを見ると、高速バス用に作られた丸みのある流線形でした。
遠くから甲高いエンジンの音が近づいてきて、燃料を運ぶトラックが通り過ぎて行ったので、個人的にマネキン人形の振りをしてやり過ごしました。

大井川鉄道

大井川鉄道

大井川鉄道

観光バスなら高出力の可能性もある。「エンジンは何だろう」と赤木さんがエンジンルームを覗きます。
さらに、エアサスかリーフサスか、タイヤの裏側を覗きます。
この車両は銘板が剥ぎ取られていたため、こういった方法で型式を考察します。赤木さんによると、運転席の下にある錆びたパイプは、運転手用の暖房吹き出し口だとのこと。
こういうメカ的な観察力は、さすが赤木さんです。

第二の廃車体
静岡鉄道 三菱B905N
静岡鉄道

次の1台がこれ。銀色一色になっていますが、正面の社名表示窓に「静岡鉄道」の文字が残っていました。
リアのエンジン通気孔が左右に開いている初期型。
「V8エンジンの両側に通気孔があるからこういう形になったんですよ」と赤木さんの解説。
また、赤色の3連テールは方向指示器として見づらいからか、窓の両側に縦長の方向指示器が増設されています。
ここでは、白い乗用車が1台やってきて停車したので、廃バス探索の順番待ちかと思ったら、おじさんが山に入ってゆきました。

第三の廃車体
静岡鉄道 いすゞBU05(1967年式)
静岡鉄道

これはGoogle Earthに写らない場所にあった1台。道路からも見えづらい場所にあり、危うく通り過ぎるところでした。一人で来ていたら、前を見ることに必死で、見つけられなかったでしょう。
静岡鉄道の銀色に青帯カラーのワンツーマン車。
銘板から型式・年式が判明。

ここでプチトラブル
静岡鉄道

「プチ」を付けてしまうと、本人は怒るかも知れませんが、いすゞBU05を撮ることに必死になっていた赤木さんが、泥沼にはまってしまい、靴とズボンが泥だらけになってしまいました。
しかし、何があっても困らないように、履き替え用の長靴はもちろん、ジープに水が積み込まれていました。宝焼酎のペットボトルに水を移して、足をきれいに洗い流します。

第四の廃車体
静岡鉄道 いすゞBU05
静岡鉄道

金網に囲まれた農地には、富士重工製のボディを持ついすゞBU05がありました。第三の廃車体とはボディメーカーが違うだけで同期なんだろうと思います。
電気が引かれ、照明器具もついています。
こういうアピールがなされると、我々も容易に近づけません。

第五の廃車体
自家用 三菱B905N
自家用

農地にも建物にも誰かがいそうな感じなのに、周囲はし〜んとしています。
気味が悪いので、赤木さんも早足になります。

自家用

この地帯には同形車がおりますが、これはどうやら自家用バス。三菱B9では末期の車両かと思いますが、フロントマスクは次世代車のものになっています。側面のメトロ窓も黒く塗られていて、デラックス仕様だったことがうかがえます。

第六の廃車体
自家用 日野RE100
自家用

第五の廃車体からふと振り返ると、なんと崖下にひしゃげた残骸を発見しました。
第五の廃車体のこととか、「不気味だからここは早く引き上げよう」と言っていたこととか、すっかり忘れ去って、赤木さんは果敢に崖下に降りて行きます。
恐らく、以前は道路の脇に置かれていたものが、崖が崩れたために崖下にずり落ち、その時に掛かった大きな力により、ねじ曲がってしまったのでしょう。

自家用

自家用

自家用

角度を変えて見ると、確かに富士重工3E型であることが分かります。方向幕とセットになった通気孔がそのアイデンティティです。
前輪の後ろ辺りにエメラルドグリーンのカラーと「自家用」の文字、そして富士重工のバッチが剥がれた跡が残ります。 しかし、後ろの方はどうしてこうなってしまったのか、180度回転して反対側の側面が見えています。
細部の特徴から日野RE/RCと推定しました。

第七の廃車体
静岡鉄道 三菱B905N
静岡鉄道

森の中の広場にたたずむ静岡鉄道の貸切カラーの三菱B9。「第二の廃車体」とはよく似ていますが、1980年代カラーになっていることと、後面のエンジン通気孔の形などが異なることなどから、こちらの方が新しい車両であることが分かります。

梅地

梅地

梅地

第八の廃車体と第九の廃車体
大井川鉄道 三菱MAR490,日野RB10P
大井川鉄道

同じ敷地内に2台のバスがくの字に並びます。
赤白の名鉄カラーのバスも大井川鉄道です。大井川鉄道が名鉄グループになり、グループカラーになったことで、塗替えが行われたのでしょう。
青と黄色のラインの入るバスは「第一の廃車体」と1番違いの同形車。一緒に廃車になってこの地に運ばれてきたのでしょうか。

君は今、何を見ているのか
大井川鉄道

大井川鉄道の廃車体に見入っていると、どこからか、鈴の音が聞こえてきました。
人影のない農地の遠くの方から、誰かがこちらに近づいてきているのかも知れません。

第十の廃車体は発見できず

次の物件を探しに行く途中、崖の下にマイクロバスを発見。日産の二代目エコーです。
ここでは、家畜の臭いが漂っていて、建物から湯気が出ているなど、人のいる気配が感じられました。

自家用

行き止まりの小広場に、何か黄色い車両が置いてありました。多分、私一人だったら気にも留めずに引き返すのですが、赤木さんは食いつきました。
銘板に昭和38年製と書かれており、おまけに「静岡0」というナンバープレートが付いた現役車両でした。
赤木さんによると、マカダムローラーという車種で、小島機械製作所製というのは、かなりレアなものだということ。もしかすると、大変なものを発見してしまったのかも知れません。

ロードローラー

「Google Earthでは、もう1体あったはず」
赤木さんは、藪に覆われた斜面を駆け回ります。もうその時、ククリ罠のことは頭から完全に消えていました。

梅地

うろうろしていたら、猟友会の人に「野鳥か?」と聞かれたので、「写真を撮ってるんです」と薄ら笑いをしながら答えた私です。猟友会の人は、不審げな目をしながらも、去って行きました。ごめんなさい。
後ろ髪を引かれながらも、もう1回だけ周囲を往復して、帰途に就くことにしました。

梅地
帰途へ
富士山溶岩焼弁当

赤木さんに東海道新幹線新富士駅までお送りいただき、「こだま号」に乗って帰ります。
新富士駅の売店で「富士山溶岩焼弁当」という食欲をそそる駅弁を売っていました。溶岩石プレートで焼いた一口大ステーキのような香ばしい駅弁でした。
なにせ廃バス探索の最中にはパン1個を食べただけだったので、空腹だったのです。
もっとも、ずっと運転していた赤木さんは、ちょっとした合間におにぎりを頬張るしかありません。その時間さえ奪うように、被写体に向けて駆け出すことを繰り返した自分をちょっと反省しました。

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80s岩手県のバス“その頃”