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残像。“その頃”の風景は今
“その頃”の写真の風景が今どうなったかをお伝えします。
左側は
“その頃”の写真,右側がお寄せ頂いた現在の写真です。
国鉄バス世田米支所
“その頃”の世田米支所(その1)
撮影:当サイト作成者(1985.8.25)
2013年
撮影:左党89号様(2013.4.3)
国鉄バス(後のJRバス東北)の世田米支所です。
2004年3月にここを通っていたJRバスの路線は廃止されていますが、支所当時の建物と敷地はそのままです。
現在、事務所部分は整骨院に転用されていますが、バス待合所としての機能は残されているそうです。
二つの写真は角度がちょっと違いますが、“その頃”の写真の右後ろの建物が、現在の写真の左後ろの建物と同じです。つなげると、ちょうどパノラマ写真風になるかもしれません。
“その頃”の世田米支所(その2)
撮影:当サイト作成者(1985.9.25)
2013年
撮影:左党89号様(2013.4.3)
世田米支所のバス待機場所です。
“その頃”の写真は、上の写真の1ヵ月後。あいにくの雨で、後ろの山はかすんでいます。左にある隣家が、屋根の色まで今もそのままです。
バスが待機していた敷地は、月極め駐車場として利用されているそうです。
盛岡市片原
“その頃”の片原
撮影:当サイト作成者(1985.4.29)
2005年
撮影:岩手県交通ファン様(2005.5.2)
北上川沿いの桜並木になっている「片原」バス停付近を行く岩手県北バスです。
いずれも八幡平、西根方面から盛岡バスセンターへ向かう中距離便です。“その頃”の写真は1976年式のRA50P、現在の写真は1987年式P-RU638BB。下の鱒沢と同じようなことを言ってしまうのですが、左のRAはこの時9歳、右のRUは既に18歳。県北バスもバスを長く使うようになったものです。
宮守村鱒沢
“その頃”の鱒沢
撮影:当サイト作成者(1985.8.10)
2005年
撮影:岩手人様(2005.4.2)
大船渡から盛岡に向かう急行バスが、宮守村鱒沢で猿ヶ石川を渡るところ。
左側は“その頃”に側面大型看板をつけたBU20KPが行くところ。
一方、右側は現在の写真。1985年当時にはバリバリの新車で高速バス「ヨーデル号」に使用されていた岩22か2206が、今はこの急行バスで余生を送っていると言うのは、時代を感じます。
考えてみれば、左のバスはこの時まだ12歳。右のバスは既に20歳。車両の寿命は延びたということでしょうか。
盛岡市安倍舘(厨川中央線)
“その頃”の厨川中央線
撮影:当サイト作成者(1985.4.29)
2003年
撮影:岩手県交通ファン様(2003.11.1)
安倍舘から館坂橋へ下る厨川中央線「茶畑行」。車両はBU06からU-LV324Kへと変わり、ボディカラーも変わりました。
周囲の風景はと言うと、後ろに見えるビルもそのままで、あまり変わっていません。
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