北緯40度の風景

盛岡市内丸周辺

盛岡市内丸は、県庁や市役所などの官庁が建ち並ぶ盛岡市の中心部で、盛岡城の内堀の外側に位置します。
盛岡駅はこの中心街から離れた西方にあり、盛岡バスセンターは東側に位置することから、この中心街をは二つの拠点を走るバス路線の多いエリアになっています。
ここでは、そんな盛岡市中心部の光景をご覧に入れます。
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市役所・県庁前
1986年の内丸
市役所・県庁前

撮影:内丸(1986.3.2)

2022年の内丸
市役所県庁前

撮影:市役所・県庁前(2022.12.23)

雪の中央通りを行き交う岩手県交通の路線バス。
背景の盛岡市役所は変わりませんが、右手の盛岡東警察署が新しくなっています。もちろん、バスの姿も変わりました。ただ、都会よりちょっと古めのバスが次々やってくる光景は変わりません。この時点で主力はいすゞエルガでしたが、なぜか古めのいすゞキュービックバスに合わせてシャッターを押してしまいます。

市役所・県庁前

撮影:内丸(1986.3.2)

この場所は、盛岡バスセンター始発で滝沢や松園など郊外に向かうバスと、都南や矢巾から盛岡駅に向かうバスが輻輳するので、このようにたくさんのバスが連行する風景も見られました。
“その頃”の主役は平面ガラスのいすゞBUで、いやでもそればっかりがやってきました。

市役所・県庁前

撮影:内丸(1986.3.2)

こちらもBU軍団ですが、前から3両目は日野車です。
そういえば、当時のバス停名称は、岩手県交通が「内丸」、岩手県北バスが「県庁前」でした。今は両社とも「県庁・市役所前」に統一されています。両社が足並みを合わせようとした時期の産物として、これはいいことだと思います。

2022年に残る路線図看板
市役所県庁前

撮影:市役所・県庁前(2022.12.23)

県庁の前に岩手県交通の路線図看板を見つけました。かつて、盛岡バスセンターの前にあったのと同じデザインです。多分“その頃”から存在した看板でしょう。

1986年の路線図看板(盛岡バスセンター)
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(1986.4)

2016年に残る路線図看板(盛岡バスセンター)
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(2016.7.9)

“その頃”の盛岡バスセンター東側にあった路線図看板です。細いラインが水平と垂直に引かれるデザインは、内丸にあるものと全く同じです。
実はこの看板、2016年に旧盛岡バスセンターとのお別れに訪れた際にも目にしています。もちろん、建物の解体と同時に撤去されましたが、少なくとも30年間は残されていたことになります。

中の橋と岩手銀行
1984年の中の橋
中の橋

撮影:中の橋(1984.10.3)

2004年の中の橋
中の橋

撮影:岩手県交通ファン様(2004.7.30)

中津川を渡る中の橋は、背景にレンガ造りの旧盛岡銀行本店(1984年時点では岩手銀行中ノ橋支店)が望める撮影スポットです。
岩手銀行の後ろに背の高いビルが建ったことと、川沿いの並木が育ったことなどが、20年間の変化です。
バスの方は、国際興業カラーのいすゞキュービックが走るようになりました。

2018年の岩手銀行
中の橋

撮影:中の橋(2018.10.2)

2018年に大迫営業所の最後を見届けに来た際、中の橋のバスセンター側から旧盛岡銀行を撮ってみました。
この建物は、1994年に重要文化財に指定され、現在は「岩手銀行赤レンガ館」と呼ばれています。

岩手公園(盛岡城跡)
1985年の岩手公園
菜園通り

撮影:菜園通り(1985.4.28)

2005年の岩手公園
菜園通り

撮影:岩手県交通ファン様(2005.2.17)

岩手公園(盛岡城跡)の石垣から盛岡駅方面に続く菜園通りを行くバス。
1985年の画像は石垣の上に桜の花が咲いています。バスは厨川中央線の菜園通り経由便。車両は富士重工ボディです。車両、系統ともにちょっとレアな存在。
20年後の写真は中型バスによる循環バス「でんでんむし」。

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80s岩手県のバス“その頃”