北緯40度の風景

青山町線沿線


滝沢村鵜飼

撮影:鵜飼−滝沢ニュータウン入口(1984.9.22)

岩手県交通の青山町線は、盛岡市中心部から盛岡市青山町を経由して滝沢村に至る路線です。路線途中に青山町や滝沢ニュータウンなどのベッドタウンを抱えるため、盛岡市内線の中でも主力路線の一つでした。
写真は、そんな青山町線の末端部である滝沢村の田園地帯を行く風景。雄大な岩手山を望めます。ただし、この場所を走る青山町線は、1時間に1本の上ノ山団地経由便のみ。上ノ山団地経由は、滝沢ニュータウンには入らずに、滝沢村役場方面に直進します。

滝沢ニュータウン
“その頃”の滝沢ニュータウン
滝沢ニュータウン

撮影:滝沢農協前−滝沢ニュータウン南口(1986.5.4)

滝沢営業所を出発した青山町線は、すぐに広大なベッドタウンである滝沢ニュータウンの中央を貫通するバス通りを通り抜けます。
スーパーや銀行、農協、商店が並び、背後には岩手山がそびえるというすばらしい環境です。

滝沢村細谷地(盛岡北高線)
“その頃”の盛岡北高線
細谷地

撮影:細谷地(1984.9.29)

2004年
細谷地

撮影:岩手県交通ファン様(2004.3.30)

滝沢村北西部の細谷地−新温泉間。“その頃”は1時間に1本程度の盛岡北高線くらいしか走らない道だったこの場所ですが、滝沢営業所が移転してからは青山町線や滝沢鵜飼(旧滝沢営業所)への回送便などが頻繁に走る道路になったようです。
車両は、岩手中央バスカラーのBA30から国際興業カラーのU-LV324Kに変わりました。
後ろに見えるガスタンクは一つ増えていて、滝沢村特産のスイカ色に塗られています。もう一つにはチャグチャグ馬っこのイラストが。
周囲の光景は、建物が増えるなど開発が進んでいるようですが、昔日の面影は充分残っています。

滝沢村役場
“その頃”の滝沢村役場
滝沢村役場

撮影:滝沢村役場前(1986.3)

立派な滝沢村役場庁舎と冬の岩手山を望むこの場所は、上ノ山団地経由の青山町線と滝沢雫石線しか通らない場所でした。
地方に行くと、やたら豪華で大きな役場庁舎を見ることがありますが、滝沢村はこの時すでに人口3万人を超える大きな村であり、立派な庁舎に負けない村域を擁していたのです。

一本柳
“その頃”の一本柳
一本柳

撮影:一本柳(1985.4.29)

盛岡市と滝沢村の境界に近い「一本柳」のバス停には、柳ではなく1本の桜の木がありました。春になると、綺麗な桜の花を咲かせて、5〜10分おきに通過する青山町線を迎えてくれました。
盛岡で桜が満開になるのは、ちょうどゴールデンウィークを迎える頃です。

盛岡市西青山(盛岡少年院前)
1981年の西青山
盛岡少年院前

撮影:53様(1981.8.8)

私が撮影した“その頃”とほぼ同じアングルで、53様が偶然にも撮影していました。
写っている信号機は、“その頃”の写真と同じ交差点。
車両は岩手中央バスカラーの岩22か160です。

“その頃”の西青山
盛岡少年院前

撮影:盛岡少年院前(1985.7.23)

「盛岡少年院前」バス停から月が丘二丁目方面を見たところ。
富士重工ボディのいすゞ車は、元京浜急行BU10Dです。
バス停名称はその後「西青山」に変わりますが、“その頃”既に岩手日報紙上にバス停名称変更論が出ていたことを記憶しています。通学定期券の券面が「少年院前」では云々・・・というのが理由だったと思います。

2004年の西青山
西青山

撮影:岩手県交通ファン様(2004.4)

既に「西青山」となっている時期です。
こうして比べてみると、同じ場所とは思えないくらい姿を変えています。なんと言っても道路が拡幅されてしまい、建物がすっかり変わってしまっています。中央自動車学校はどこに行ってしまったんでしょうか。 車両は、同じ富士重工ボディのいすゞ車ですが、元京成電鉄のP-LV314Lに変わっています。

岩手県営体育館
1980年
県営体育館

撮影:53様(1980.8)

盛岡市青山町にある県営体育館前です。53様から現在の写真と過去の写真が届きましたので、ちょっと角度は違いますが私も同じ場所の写真を撮っていましたので、並べて見ました。
車両は元国際興業のいすゞBA741

“その頃”1985年
県営体育館

撮影:県営体育館(1985.4.29)

私の写真は岩手観光バスしか写っていませんでした。53様の撮影した26年の間に、岩手県交通から国際興業カラーが一旦姿を消していたことを説明できる写真を撮っていれば面白かったのですが・・・。

2006年
県営体育館

撮影:53様(2006.8.18)

21世紀になってからも、屋根のある歩道橋や3車線道路、歩道の石敷きなど、風景はあまり変わっていないようです。

盛岡市青山一丁目
“その頃”の青山一丁目
青山一丁目

撮影:青山一丁目(1985.4.29)

2006年
青山一丁目

撮影:岩手県交通ファン様(2006.5.1)

国立病院前−青山一丁目間の桜です。20年前となんら変わらず、いや更に美しく咲き誇っているようです。青山三丁目付近と異なり、このあたりは道路もそのままの幅員なので、雰囲気もあまり変わりません。
走っているバスは天昌寺経由の南青山町線。今では「204」と言う系統番号もついています。“その頃”の車両は県交通オリジナルのBU10。2006年の車両は元国際興業のLVです。

滝沢営業所の変遷

青山町地図

地図・空中写真閲覧サービスを参考に、青山町営業所(→滝沢営業所)の変遷を辿ってみます。

★青山町営業所@は、「青山三丁目」バス停付近にあった営業所です。2016年現在盛岡信金青山町支店のある場所で、道路に向かって10台ほどのバスを置けるスペースがあったようです。1962年・1963年の空中写真に存在します。1963年には道路向かいにも若干広い駐車スペースが増設されています。
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★青山町営業所Aは、「月が丘二丁目」バス停付近にあった営業所です。1968年・1969年の空中写真に存在します。1976年には「ダイエーシティ青山」がオープンしており、それに伴い移転したと思われます。それ以降1982年頃まで「ダイエーシティ青山」の北側に岩手観光バスの車庫は残されていたようです。
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★滝沢営業所@は、「滝沢ニュータウン南口」付近にあった営業所です。1976年の「ダイエーシティ青山」オープンに伴い移転してきたと思われます。ちなみに滝沢ニュータウンは、1976年の空中写真ではまだ造成中です。
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★滝沢営業所Aは滝沢ニュータウン北側にあった営業所です。1979年に移転し、2002年までの長期にわたって使用された営業所です。“その頃”もここが滝沢営業所でした。移転後も2006年まで「滝沢鵜飼操車場」として残されていました。

2002年に移転した滝沢営業所は、この地図にはありませんが滝沢村牧野林にあり、元は岩手観光バスの本社営業所でした。

滝沢村鵜飼にあった滝沢営業所
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“その頃”の滝沢営業所
滝沢営業所

撮影:滝沢営業所(1984.4.2)

滝沢ニュータウンの北側にあった“その頃”の滝沢営業所。短期間で移動を繰り返してきた歴史の中で、この場所は20年以上使用された息の長い場所でした。
営業所全景を見渡した写真がありませんので、車両アップの写真です。帝国ボディを持ついすゞBU10

滝沢営業所(1990年代)
滝沢営業所

撮影:ねこも様

滝沢営業所に待機するサブエンジン冷房のBU04を岩手山を背景にした写真です。
1977年式くらいと思われますが,岩手県交通への転籍は90年代。それが滝沢営業所特有の汚れ方をしている頃です。隣にいる綺麗な車両はK-CLM470のようですので90年代中ごろの光景のようです。

滝沢鵜飼操車場(2002年)
滝沢鵜飼操車場

撮影:岩手県交通ファン様(2002.7)

2002年4月に滝沢営業所は、元岩手観光バスの営業所だった牧野林に移転し、旧営業所は更地の回転場所になりました。もっとも、その運命も2006年までだったそうです。
北村製作所製ボディのいすゞCJM500が発車を待っています。

岩手観光バスの営業所(現・岩手県交通滝沢営業所)
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“その頃”の岩手観光バス営業所
岩手観光バス

撮影:岩手観光バス盛岡営業所(1986.5.2)

2003年の岩手県交通滝沢営業所
滝沢営業所

撮影:岩手県交通ファン様(2003.10.13)

岩手県交通の現在の滝沢営業所。“その頃”は岩手観光バスの盛岡営業所でした。2001年9月に岩手観光バスは岩手県交通に統合され、営業所は岩手県交通の滝沢営業所となりました。
給油所にいる車両は、岩手観光バスの旧塗装車から岩手県交通のP-LT312Jに変っています。調べてみたら、このLT(岩手200か24)は1986年生まれ。ちょうど左の写真を撮影した年に生まれたバスが、国際興業で廃車になって岩手県交通に移籍、中堅どころになっていると言う状況に、時の移ろいを感じます。
なお、背景の整備工場は看板を替えたほか、右側が増築されています。

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80s岩手県のバス“その頃”