北緯40度の風景

江刺バスセンターの謎


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「江刺バスセンター」
それは、今現在でも地図検索すると存在する奥州市のバスターミナルです。
しかし、もともとは旧江刺市の岩谷堂地区に存在した岩手県交通の営業所であり、更に遡ると、岩手県南バスの古びたモルタル造りのバスターミナルが存在したということです。
その「江刺バスセンター」の原形ともいうべき建物はどこにあったのか。そんなことを探求してみました。

江刺バスセンター
1976(昭和51)年
江刺バスセンター

撮影:板橋不二男様(江刺バスセンター 1976.4.19)

1976(昭和51)年
江刺バスセンター

撮影:板橋不二男様(江刺バスセンター 1976.4.19)

この二つの写真は、岩手県南バスの江刺バスセンターの建物です。
構内は鍵形の頭端式ホームを持つ構内。1960年に完成した盛岡バスセンターとよく似ています。当時のバスターミナルの一般的な形態がこれだったのでしょう。奥の方には岩手県南バスがお尻を向けています。これは、道路を挟んで西側にある待機場のようです。
外観写真の方はこの建物を南側つまり鍵形ホームと反対側から俯瞰した写真です。西側の待機場は見えませんが、その間にある道路を県南バスが走ってくるのが見えます。バスセンター南側には、4台のバスが待機しています。南側に拡張された車庫のようです。
この写真を見た限り、「江刺バスセンター」は、江刺市の中心部というべき街中にあるように見えます。

江刺営業所
1976(昭和51)年
江刺営業所

撮影:板橋不二男様(江刺営業所 1976.4.19)

さて、こちらも同じ日に撮影した「江刺営業所」の写真です。
手前には広い道路があるようですが、周囲は田畑に囲まれた広大に開けた土地にある更地の車庫です。確か私が“その頃”に見た江刺営業所も、こんな感じだった記憶があります。
しかし、上にある「江刺バスセンター」とはあまりにも周囲の風景が違いすぎます。バスセンターと営業所は全く違う場所だったのでしょうか。

地図で振り返る江刺バスセンターの変遷
地図・空中写真閲覧サービスを参考に、江刺バスセンターはどこにあったのか、どのように変化してきたのかを探求してみました。
空中写真をもとに、関連する物件のみを抽出した地図を書いてみました。


1962(昭和37)年
江刺バスセンター地図

同Webサイトで見られる江刺地区の空中写真の最も古いものが1962年でした。
これを見ると、江刺市岩谷堂の中町と呼ばれる地区に、江刺バスセンターの建物がありました。西側のバス待機場所、南側のバス車庫も既に存在しています。上の方にある「江刺バスセンター」の2枚の写真と比べてみると、確かにこの場所だということが分かります。
ちなみに、現在の国道456号線に当たる広い道路はまだなく、畦道のような細い道が見えるだけです。

1967(昭和42)年
江刺バスセンター地図

次が1967年です。
江刺バスセンター南側の車庫が、さらに南に拡張されました。
そのほかの状況はあまり変わりません。
ちなみに現在の地図と照合するには、松岩寺と下ノ橋の位置を目印にするとよく分かります。

1968(昭和43)年
江刺バスセンター地図

次が1968年です。
南側の車庫に、建物ができました。上の方の「江刺バスセンター」の右写真で見える車庫の上屋がこれだと思います。

1972(昭和47)年
江刺バスセンター地図

1972年に、さらに南の方に車庫が拡張されたのが見て取れます。そして、まだ工事中のようですが、現在の国道456号線に当たる広い道が出来て来ています。
ここまで見て、ようやく、広大な敷地にあった「江刺営業所」がこの時に拡張された部分であろうということが分かってきました。周囲はまだ田んぼのような未開発の場所です。
江刺営業所は、南へ南へと拡張を続けているようです。

1976(昭和51)年
江刺バスセンター地図

道路南側の「江刺営業所」は、さらに南へ拡張されました。
また、この営業所の西側に、何か大きめの建物が立ちました。これはバスとは関係はない模様ですが、周囲の開発具合を表現するために、地図に入れてみました。
これが1976年ですので、ちょうど上の方の板橋不二男様撮影の風景と合致します。
旧来のバスセンターが街中に、新しい営業所がその南の開発途上地区に、共存している時期です。

1977(昭和52)年
江刺バスセンター地図

1977年、南側の営業所用地の中に、建物が二つ建ったようです。この時、営業所機能がこちらの南側に移されたようです。

1985(昭和60)年
江刺バスセンター地図

ここで8年ほど空白期間が生まれてしまうのですが、その間に、北側の旧「江刺バスセンター」周辺のバス車庫用地はなくなってしまいました。バスセンターの建物そのものは残っていますが、その南側の車庫の所には現在の水沢信金の建物と思われるものが建っています。
バス営業所機能は、すべて道路南側に集約された模様です。

1990(平成2)年
江刺バスセンター地図

1990年には、営業所西側の敷地の開発が進んでいます。1986年に開店した「ニチイ江刺店」です。
私が“その頃”に訪問した時はこれとほぼ同じ状態だったと思われます。しかし、まさか北側に古いバスセンター建物が残存しているなどとは気づきませんでした。

2005(平成17)年
江刺バスセンター地図

ここでまた15年ほどの空白があり、状況は大きく変わります。
岩手県交通江刺営業所は1999年に現在の胆江営業所へ移転します。その跡に同じ場所を使って、2000年に「江刺ターミナルプラザ」が完成します。
西側の大型店舗は、この時期には「イオン江刺ショッピングセンター」に名前を変えているはずです。

2011(平成23)年
江刺バスセンター地図

最も新しい空中写真が2011年でした。これが現在の姿とほぼ同じなのだと思います。
2005年までは残っていた旧「江刺バスセンター」の建物は、姿を消しました。

現在の風景と比較
1976(昭和51)年
江刺バスセンター

撮影:板橋不二男様(江刺バスセンター 1976.4.19)

2015(平成27)年
江刺区

撮影:長谷川竜様(奥州市江刺区 2015.10.11)

江刺バスセンターのあった場所が、どのように変わったのかを比べてみます。
1976年の写真は「江刺バスセンター」を西側から見たところです。建物の左側がバスのりばのホームになっています。そして、右奥に松岩寺と土蔵が見えます。
ほぼ同じ場所の2015年の写真では、右奥の松岩寺と土蔵の位置から、バスセンター跡地がどうなったかが分かります。住宅として分譲されたのでしょうか。

1976(昭和51)年
江刺バスセンター

撮影:板橋不二男様(江刺バスセンター 1976.4.19)

2015(平成27)年
江刺区

撮影:長谷川竜様(奥州市江刺区 2015.10.11)

1976年の写真は、「江刺バスセンター」のホーム側。西北側から見たところです。
ほぼ同じ場所の2015年では、交差点の向こう側に水沢信用金庫江刺支店があります。この場所は、岩手県南バスが車庫として使用していた場所だと思われます。

1976(昭和51)年
江刺営業所

撮影:板橋不二男様(江刺営業所 1976.4.19)

2015(平成27)年
江刺ターミナルプラザ

撮影:長谷川竜様(奥州市 2015.10.11)

こちらは現在の国道456号線南側にある江刺営業所の過去と現在です。
1976年の写真には、広大な敷地に停車中の岩手県南バス。
2015年の写真は、恐らくほぼ同じ位置からのアングルと思われる「江刺ターミナルプラザ」を北側から見た風景です。周囲は住宅などに開発が進み、昔日の面影は全くありません。手前(北側)に一般車の駐車場があり、奥(南側)がバスターミナルになっています。

江刺ターミナルプラザ
2015(平成27)年
江刺ターミナルプラザ

撮影:長谷川竜様(奥州市江刺区 2015.10.11)

岩手県交通の江刺営業所は、1999年に水沢営業所との統廃合により、同じ江刺市内に移転し、胆江営業所となりました。
その後、江刺営業所の跡地は、江刺市により建設された「江刺ターミナルプラザ」に生まれ変わります。この建物の定礎によると、竣工は2000年の3月31日です。2000年4月1日にオープンしたのでしょう。
この建物は、バス待合室、乗車券売り場のほか、店舗、会議室などの施設も用意されており、公共施設という側面が強くなっています。

2015(平成27)年
江刺ターミナルプラザ

撮影:長谷川竜様(奥州市 2015.10.11)

2015(平成27)年
江刺ターミナルプラザ

撮影:長谷川竜様(奥州市 2015.10.11)

本稿では、各施設の年代ごとの変化を明確に表現するため、「江刺バスセンター」は初期のモルタル造りのバスターミナル、「江刺営業所」は道路の南側に造られた広大な敷地の営業所、「江刺ターミナルプラザ」は2000年に江刺市が建設した現在のバスターミナル、をそれぞれ表す名称として区別しています。
入口看板には、「江刺ターミナルプラザ」の文字があります。これが正式名称と考えて間違いないと思われます。
一方、バス停の名称は「江刺バスセンター」のままです。施設が、場所が変わろうとも、バス停の名前は「江刺バスセンター」が綿々と引き継がれてきたのです。従って、現在でもこの施設は「江刺バスセンター」としても通用している・・・というよりむしろ「江刺バスセンター」の方が通りがいいようです。

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80s岩手県のバス“その頃”