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オペラ雜感

 

 

 

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     舞踏とオペラ

 

西洋のダンス(踊)と日本の振事とを比べてみますると、西洋のは只動くばかりで、日本のは其動作に意味が整つて居るといふ事を申す人がありますが、西洋にもダンスで一擧一動に意味を含んで居るのがありはあります、其一擧一動に意味の在るダンスを以太利式のダンスと申しまして、意味の無いダンスを佛蘭西式のダンスと申して居る、それで二十年ばかり前の雜誌を見ますると、其時分には寄席では以太利ダンスは餘り流行しないで、佛蘭西風のダンスが流行るなどゝいつて居ります、而して佛蘭西ダンスは概して佛國英國などに源を發したもので、例へばスカーツダンス(裳踊)亦はステツプダンス(足踏踊)といふやうなものが、其佛蘭西ダンスの重もなるもので、これらは快活なものであるから當世に向いて居ると書いてある、そして二十年後の今日は奈何であるかといふと、矢張寄席などでは此の種のものが多く喜ばれて居る傾きがある。

で、日本にあります凡ての種類の舞踏に就て見まして、假りに小別をして見ると、全體の上に只一と調子の感情を現はすのを目的とするもの、即ち勇しいなら勇しいといふ感が、全體の動作の上に現はるればよいといふもの、また艶なれば艶といふ情が現はれれば夫でよろしいといふやうなのが此種類である、劍舞の如きは其一例であるが………勿論これはまだ生硬なもので藝術の中に入らないものかも知れない、それからまた所謂振事とか所作事とかいふものゝ一部にも、只艶麗といふが如き感情を主にしたるものなどがある、そこでこれらを抒情的とでも名付けて置きませう。

それから次に全體の形式美を現はすを主意にして居るもの、これは日本の多くの手踊といふ中に屡次見るところのものである、別に感情を瞭然現はすといふでもなく、只手の動き方、躰の動き方、袖の飜り方などに、ギクシャク[#「ギクシャク」に傍点]しないで、一種の圓味を持つて、言はゞ曲線の配合色彩の配合といふやうな形式美の類を現はして、人目を喜ばしむるもの、假りにこれを形式美的と名付けませう、從つて形式美的な舞踏は、其動作は概して優美一遍に流れる氣味である。

で、これらは啻に日本ばかりでなく、西洋のダンスでも、要するに此ニツを中心にして居ります。

次には即ち一擧一動に、或る程度まで悉く意味を持つて居る、言語の役目をする舞踏、それは假りに戯曲的と名付けませう、日本の振事所作事の中にあるのが其例で、前に申した以太利ダンスも即ち此意味を持つて居る。其他今一とつ數へて置くべきは肉體上の自然の要求から來る動作で、これはかの演説の身振りといふやうなものと連絡したものでせう、例へば大きな聲を出すことが必要の場合には、自ら胸を擴げるとか、非常に感情の激して居る時には、不知不識其邉を往きつ戻りつしたりなどするといふやうな意味の種類である、假りにこれを生理的とでも名付けませう、これも亦た舞踏といふには當らぬといふかも知れませんが、併し實際或る程度まで藝の中に入つて居ると思ひますから、茲に加へて置きます。

かやうに舞踏の種類を素人考で別けては見たが、今の歐羅巴で、かゝる方面の藝の頂點と見られるオペラに就て申して見ると、オペラの中にある舞踏の程度は頗る複雜で説明の困難なのが解りませう、能く日本から往つた人が始めてオペラを見て、オペラは能であるといふ、それも無理でないといふ理由もある、ある程度までは能式であるが、亦た決して能一式でないことは明らかである、之れを動作の上から見ますと、能には私の見た範圍でいふと、無論第一の要素として戯曲的動作がある、次にそれが醇化せられて抒情的にもなる、また恐らくある程度まで形式美的にもなつて來て居る、けれども生理的の動作は殆んど入つて居ないやうである、これに反して西洋のオペラには、何しても彼の通り聲を主にして、そして踊る人が凡て自から謠ふのであるし、且つ聲も性質が專門的科學的に判然と區別せられて、男聲部でバスはバス、テノアはテノア、女聲部でアルテはアルテ、ゾプランはゾプランといふ工合に、聲が精煉せられて、そして舞臺も何千人を客れるといふ大劇場の中に隅なく響き渡る量を持つて居なければならぬ爲、聲を出すといふ其事が、既に非常な肉體的の働きである、從つて此働きに應ずる生理上の態度が舞臺の上に出でざるを得ない、即ち此生理的動作を美術化して舞臺上の藝に入れる必要がある、そしてオペラは寧ろ此種類の動作から出發して、抒情的となり、形式美的となり、戯曲的となつて來る氣味がある、之に反して能の動作は、逆に戯曲的から叙情的の分子を加へ、形式美的の分子を加へ來つた趣ではないか。但し此邉のところは尚ほ專門家の教へを待つて論斷すべき點であらう。

眞面目なる方のオペラの動作は、かやうな意味で、戯曲的、抒情的、形式美的及び生理的の凡てを含んで居るのですが、それが漸次拙いオペラになり、若くは所謂滑稽オペラなどになると、一方は戯曲的舞踏を通り越して、舞踏ではない、ただの寫實的動作になり、亦た一方は單なる形式美的の舞踏になり、此二つのものが不調和に混合して出來上つて居るやうな形ちになる。

尚ほ踊りに就いてモー一言を加へて見ると、西洋の寄席亦はお伽芝居、滑稽オペラの類に出て來る舞踏は、いふまでもなく、多くは形式美的な程度なもので、抒情的なものは割合に尠い、またあつても其現す所の情たるや極めて快活な、賑やかな、調子の急なものであるが、それでも近頃優美な、緩やかな情調を現はすもの、即ちより多くシンミリ[#「シンミリ」に傍点]として日本の踊りに近づいて來るものが、漸次多くなつて來たやうに思はれる、而し一方には亦た亞米利加から這入つて來るデモクラチック(衆俗的)の盛んな勢力に壓倒せられるのは、あらゆる方面皆同じことで、舞踏の上に於ても寧ろ俗なものが却て行はれて居る、其最好例はニ三年來歐羅巴の寄席社會を風靡して、一層眞面目な藝に迄多少の感化を及ぼして居る所のケーク、ウォーク(菓子踊)といふ踊りである、先達て川上君が黒人踊りといふものを演じたといふ話を聞いたが、それがケーク、ウォークであるかどうかは私は見ません事故知らぬが、兎に角此勢力は大したもので、亞米利加から英吉利、英吉利から佛蘭西及び獨乙へと渡つて行つて、現に一ニ年前の新聞などを見ると、佛蘭西では此の踊りの侵害を防ぐため是れが撲滅案を一部の藝術家が唱へて居た位のものである。此踊りは確か亞米利加の印度人から出たもので、菓子を前に据えて置て、其前で數人の男女(大抵は男と女と二人)が、男は杖、女は蝙蝠傘を持つて、男はシルクハットを目の上にまで落して冠つて、相共に或は後に反り、或は前に反つて、醜い腰付きをして踊るものであつて、まづ言つたら日本のステゝコなどいふ部類に屬するもので、即ち普通ならば醜い輕蔑の情を催すやうな手振り、體付きなどで、却つて人の注意力を刺戟して、其所に興味を覺えさせるやうなものである。


 

近代文藝之研究終

 


[奥付]

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明治四十二年六月二日印刷

明治四十二年六月五日發行

(正價金壹圓八拾錢)

著 者 島村瀧太郎

發行者 荒川信賢

    東京小石川區音羽町四丁目十一番地

印刷者 渡邊八太郎

    東京市牛込區榎町七番地

印刷所 日清印刷株式會社

    東京市牛込區榎町七番地

發行所 東京牛込區早稻田 早稻田大學出版部

發賣所 博文館

    東京市日本橋區本町三丁目

    其他全國各地書林

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[表紙題言]

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在るがまゝの現實に即して

全的存在の意義を髣髴す

觀照の世界也

味に徹したる人生也

此の心境を藝術といふ

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