フライにまつわるさまざまなニュースをご紹介します










fishing 125×125

2004/03/16
[解禁とチャーリーパーカー]

 久しぶりに遠出をした。遠出と言っても片道70kmほどの日帰り釣行だったが、解禁から家から30分圏内ばかりの渓ばかりを歩いていたので、やたらとわくわくした。
  遠出するときはいつもより車中での音楽を吟味する。場合によっては3,40分も音楽を選んでることも多い。例に漏れず今日もかなり悩んだ。もともと悩みやすい性格で、ちいさい頃からおもちゃひとつ選ぶのにかなり時間のかかる子供だった。天気は薄曇に時折日の光が差し込む程度。気温は高めで、山に行ってもさほど寒くはないことが予想された。
  6枚しか入らないCDチェンジャーに苛立ちながら、結局はマイルス・デイヴィスとチャーリー・パーカーを数枚、チェンジャーに突っ込んで家を出た。
  国道を脇にそれ、田舎道が始まるあたりでチャーリー・パーカーをかける。そもそもパーカーを聞き始めたのは10数年前、ジャズを聴き始めの頃、すこし背伸びをしたいと思い始めた頃、某ジャズ喫茶でかかっていた「チャーリーパーカーストーリーオンダイアル」に心を動かされたのがきっかけだった。当時はジャズの始まりは1960年代だと勘違いしてコルトレーンやマイルスばかり聴いていたが、40〜50年代にこんな人が居たからその後が続いたという歴史があったことに驚いたことを覚えている。
  パーカーのサックスの音が流れた途端、緩い空気が車中に漂った。ゆらゆらする煙草の煙。決して最近の日本車のようにきびきびとは走ってくれないうちの車のあいまいなハンドリング。今年から新調したオイルドフィッシングバッグの甘い油の匂い。そして強すぎず弱すぎず、ガラス越しに差込む3月の陽射し。そして最近のジャズに比べれば決して器用とは言えないモノラルのサックスの音。すべてがうまい具合に絡み合い、なんとも言えない空気が生まれた。
 思えば3月の釣行の時は、昨年もパーカーをかけていたような気がする。よくよく考えると一昨年もかもしれない。春の昼下がり、柔らかい陽射しのなかで聴くパーカーの音は、わけもなく自分を幸福にしてくれるような気がする。釣果はボウズに終わったが満足の一日だった。


"Now's the Time"
私がはじめて買ったチャーリー・パーカーのCD。1952年から1953年にかけて、死を目前にした演奏は、暗さを感じさせることなく、軽やかなソロを展開する。


"Charlie Parker Story On Dial vol.1"
初めて聴いたのはこのアルバム。絶妙なジャケットのセンスが光ります。

"Swedish Schnapps"
パーカーの最高傑作と言われることの多いアルバム。難解さを指摘されることも多いですが、彼のアルトに溺れられます。


"BIRD"(DVD)
クリントイーストウッド監督のドキュメント。泣けます。

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2003/06/18
[新子山女魚]

 2,3年振りに訪れる渓だった。宮城県のなかでは比較的自然度が高く、水量の豊富な川。観光地としても多少は名を知られており、釣り人も多いが、当たれば美しい幅広の山女魚が釣れる川だった。
  林道沿いの橋から入渓すると、すぐに山女魚が付きそうな小さな堰堤とそこそこの深さを持った流れ出しがある。下流から何箇所かフライを流してゆくと、すぐに当たる。合わせると、5cmほどの新子山女魚が釣れてきた。けっこういい場所でのヒットだったせいもあり、この場所には大人の山女魚はいないと見切り、上流を目指した。
  渓は美しかった。底石はしっかりとしており、透明度の高い水がその上を流れる。6月、緑が最も美しい時期、こんな渓を歩ける自分は幸せだと思った。こんな自分でも、自由に遊ばせてくれる渓に感謝したかった。
  しかし、魚は釣れない、、、
  途中1尾の山女魚をバラした。岩魚のように、ゆっくりとフライを追って咥えた。あまりの山女魚らしからぬ出方に驚き、掛かったがバレた。
 新調したデジカメで、渓の写真を撮りまくった。薄緑色の木の葉があまりにも美しく、自分がここに何をしに来たのかを忘れてしまいそうになる。点在する大岩の上で、煙草を吸った。今日は月曜日だ。土日でかなり人が入ったのだろう。そんな言い訳を考えながら流れを見ていると、荒瀬のなかにほんの小さなタルミがあった。前後においしそうな淵と、瀬が続く中間地点だけに、竿抜けになっている可能性は高い。手前の流れを回避するためティペットを継ぎ足し、アントを投げる。2,3投目で、9寸ほどの岩魚が出た。
  1尾釣ればそれで気は楽になる。確かにここに魚はいた、それが確認できたことがうれしい。そのまま写真を撮りながら、また入渓地点へと戻る。
  帰り道、入渓地点で4,5人の子供たちが網で川をかき回していた。何か採れたか、と聞くと採れたという。一人の少年が透明な昆虫入れを誇らしげに見せる。「ねえ、この魚なに?」水槽の中には、小さなカエルが一匹と、さきほど釣り上げたほどの新子山女魚が入っていた。「これはね、山女魚だね」そう言うと少年は途端に瞳を輝かせた。「網でね、川の中がさがさやってたら、採れた」興奮気味に少年は報告する。私は再度水槽の中の山女魚を見た。くっきりと入ったパーマーク、滑らかな肌の質感は、少年の白い肌と似ている。「すごいね、よく採ったね」褒めてやると少年は嬉しそうな顔をする。そのまま川をかき回している少年たちの邪魔をしてはいけないと、そのまま立ち去った。
  何故かものすごく清々しい気分だった。彼らはキャッチアンドリリースなどとはまったく違う次元で生きている。目の前に魚がいて、ただそれを採りたい、その一心で網を振り回している。その姿は、ある意味純粋なのかもしれない。
 車に戻る。橋の上から川を見下ろす。薄日が射し、堰堤の下、水の飛沫が少年たちを覆っていた。
2003/06/01
[命]

 近頃気に入っている川へ向かった。中流域の山女魚と遊びたいと思った。
 入渓直後のヒラキを狙う。ここは以前に8寸ほどの筋肉質な山女魚が釣れた場所。複雑な流れにドラッグをかけられないように長めのティペットで慎重に流れをトレースする。2投3投、4投、出ない。
  仙台市の中心部からも車で30分ほどの、都市型の河川。自宅からは15分ほどで到着するが、意外に知られていないマイナーな河川だ。先日、こんな良い場所に山女魚の宝庫を見つけた。少し歩けば魚影が走り、型は小さいがそこそこの山女魚たちが遊んでくれる。近頃仕事も忙しくなり、なかなか遠征にも行けない自分にとっては、すぐに恰好の遊び場となった。
 そんなにうまく行くわけもない。同じ柳の下に2匹のドジョウなどいるわけもない。気を取り直して上流へと向かう。先週来た時と比べるとやや水量が乏しいが、それでも山女魚が潜むためには充分な深場が点在する。ここぞと思うポイントを中心に、テンポ良く上流を目指して行く。
  しばらく釣り上るが、まったく魚の反応がない。先週4,5尾の魚が出た大淵でも何の反応もない。水量だろうか、時間だろうか、それともフライに問題があるのだろうか、様々な原因が頭の中を駆け巡る。しかしそのどれもが決定的に釣れない理由とはなり得ないような気がした。そのうちにカワゲラの大量ハッチが始まった。ひそやかに、雪のように薄緑色の光がそこここから舞い上がる。時間はずれていない。パターンもそう大きく外れているわけでもない。しかしどの流れを見ても水面は沈黙したままである。
  おかしい。悩みながらもさらに上流を目指して行く。雑木林のトンネルを抜け、大淵を巻き、岩盤の流れを越えたところで煙草に火をつけた。疲れた。釣れないときは普段感じない疲れを感じることがある。竿を置き、水に足をつけたまま腰を下ろした。
  ふと水面を見ると水底になにか白いものが沈んでいる。草や木ではない、少し不自然な白い物体が水底に沈んでいる。立ち上がり、近寄って見る。今日の釣れない理由がはっきりと見えた。
  それはちいさな山女魚の内臓だった。5,6尾分はあるだろうか、釣り上ってきた魚たちをここでさばいたのだろう。その大きさからして魚のサイズはさほど大きくはない。あっても7,8寸程度だろう。塩焼きにすれば悪くはないが、通常ならキープすることがためらわれるサイズだ。
  想像した。小さな山女魚たちが無邪気に食事をしている姿を、そして何のためらいもなく釣り人の針に掛かり、暗い魚篭の中に放り込まれる場面を。
  魚に感情移入してはいけない、そう思う。しかし、自分はこの川に思い入れがある。こんな人間の生活域と近い場所で、野生の魚が生息する川は、貴重だ。その重要性は釣り人なら充分理解しているはずだ。
  私が魚を釣っても持ち帰らなくなったのはいつの頃からだったろう。正確には覚えてはいないが、誰かに言われたとか、何かに感銘を受けてそうするようになったわけではない。ただ釣りを続けて行くうちに、自然とそうするようになっていった。
  魚が欲しければ魚屋に行けばいい。自分が何のために川に立っているのかを深く考えること、そうすれば今自分がどうすればいいのかは自然に見えてくる。昔はこんなことを考えながら魚をリリースしていた。しかし今は、そんなことも考えなくなった。釣りという行為はこういうものだと思うようになった。
  尺を超える岩魚を釣り上げたとき、それをただ黙って手放すときの寂しさは、私も多少は理解できる。1尾くらい、夕食のおかずとして持ち帰るのもいいだろう。それで家族が明るくなり、また次の日も生きられるのなら。しかし今回は違う。相手は20cmそこそこの魚たちだ、それも1尾や2尾ではない。彼は現在の河川環境のなかで、前近代的な、漁にも近い釣りをしている。それが日本の河川の状態を悪化させてきたとも知らずに。
  キャッチアンドリリースは非常に屈折した行為だということは以前にも話した。そんなに魚を大事にするなら釣りをしなければいい。それだけのことだ。だから他人にそれを強要しようとも思わない。持ち帰りたいなら持ち帰ればいい。ただ、魚を流れに戻すのか魚篭に入れるのか、多少でも迷ったとき、できれば彼らを川に戻して欲しい。釣り人と魚が共存するためには、時にはそれは必要な行為でもあるから。
 そのまま私は竿をたたみ、藪のなかを林道へと向かった。
2003/04/28
{ゴミの山]

 とっておきの川へ向かった。これまでは上流部を中心に岩魚と遊んでいたが、中流部の気になるエリアへ向かった。何故これまでこのエリアに入らなかったかというと、流域にゴミ処分場のようなものがあり、なかなか竿を振る気になれなかったことが上げられる。
 30mほどのガレ場から河原に下りる。上からでは気付かなかったが、河原には巨大なアスファルトの塊や、ビニール片、ホース、プラスチックなどが散乱している。なかなか釣り応えのありそうな流れなだけに、どこか痛々しさと、崖の上から聞こえるブルドーザーの音にかすかな怒りを覚えた。
 荒れた流れを眺めながら煙草を吸っていると、上流に一瞬銀色のライズが見えた気がした。ぎょっとして眼を凝らす。このゴミの中で、しかもあんな日のあたるヒラキで、渓魚が捕食活動をするはずがない。いや、そんなことはあってはいけない。そう思いながら見ていると、すぐに直角に飛び出すようにライズがあった。しかもいいサイズだ。ごくりと喉が鳴った。
 下流から、そっとライズポイントに近づく。フライラインが水面に影を落とさないように、慎重にアプローチする。キャスト、ドリフト、ピックアップ、一連の動作がなかなか思い通りに行かない。1回、2回、3回、キャストを繰り返すがなかなかライズポイントに入らない。ライズも止まった。気付かれたか、そう思いながら再びキャストを始めると、激しい飛沫が水面に弾けた。魚は一気に上流に向かって走る。細くはないラインだがブレイクが気になるほどの強い引き。山女魚だ、そう思った。
 足場が悪く、思ったように動けない。ゴミの山をうまくいなしながら、ようやっと手元まで魚を寄せる。体高のある、筋肉質の山女魚がネットに収まった。
 奇妙な驚きが心を支配する。
 人間が、川を汚した。本来なら河原にはあるはずもないものが、人間の手によってばら撒かれている。また、それを見て、胸を痛めている人間がここにいる。こんなんじゃダメだ、川を荒廃させてはいけない、そんなことを考える人間がここにいる。そんな人間達の愚行を尻目に、そんなこととは全く無関係なところで元気に生きている山女魚がここにいる。彼らにとってはそんなことどうでもいいことなのかもしれない。川が汚れているとか美しいとか、そんなことにはお構いなしに、彼らはただ必死で生きている。
 また、いつも川に来たときに感じる感覚が私を襲う。人間なんて小さいものだ。この山や、川で展開されている壮大な生命の営みに比べれば、出世がどうとか夫婦仲がどうだとか、そんなことは本当に些細なことに過ぎない。
 そのまま2,3時間かけてその川を釣り上った。多くの山女が私の竿を力強く震わせた。土日に人が入った形跡はなかった。河原の岩はびっしりと苔むしていた。私はなるべく草花を踏みつけないように、そっと川を遡った。
2003/04/24
{踏み跡のない川]

 仕事は夕方から、家族もいない、一人だけの休日。家から車で20分ほどの、最近よく行く秘密の川へ向かった
 昨日から降り続いていた霧雨も止み、薄曇の中、車止めから川へ向かった。川の音に向かって歩いてゆくうちに、頭上に漂う巨大な蜻蛉の群舞に遭遇した。サイズにして#8ほどの、クリーム色のモンカゲロウ。そいつが手で届くほどの高さに密集している。徐々に近づく水音とともに、いやがうえにも期待が高まってゆく。
川に下りる。ふた跨ぎできるほどの小さな流れではあるが、透明度の高い水が、適度な落差で小刻みに流れ落ちてゆく。手持ちのドライフライの中から一番大きいアダムスの#10を結び、まずはラインを伸ばそうと1メートルほど先の水面にラインを落とした。途端、水面のフライに向かって黄色い腹が反転した。嘘だろう、と思った。この透明度だ。いかに下流からといっても、普通に歩いてきて、ほぼ足元に落としたようなフライに岩魚が反応してくるわけがない。あまりに予想外のことに、合わせることもできなかったフライを持ち、私は上流を目指した。
 周辺の水源の豊富さを物語るように、岸辺には水芭蕉が群生し、少し山側に行くと無数のカタクリの花が咲き乱れている。先ほどの出来事といい、あまりの風景の美しさに、なんだか狐に騙されているような気がしてくる。
 少し開けた落ち込みが見える。先ほどの出来事を確認するように、おそるおそるフライを落としてゆく。手前の流れから順番に、一投、二投、三投、出た、掛かった、流れに乗って、走る、走る、追う、、、。
 取り込んだのは、7寸ほどの、腹を金色に染めた岩魚だった。いかにも源流の流れに磨かれてきたような、惚れ惚れするような引き締まった魚体。この魚が、必死で生きてきた証だ。私は溜め息をつきながら彼を流れに戻した。
 源流の魚を釣り上げるたびに、私は彼らに畏敬の念を抱かずにはいられない。必ずしも快適とは言えない環境の中で、彼らは必死で生きている。何故自分達がこんなに上流まで遡らねばならないのか、思い悩むこともなく、ただただ本能に導かれるままに川を上り、そこを棲家として生きている。こんな生き方ができたら、常々そう考えながら下流の緩流帯でうろうろしている自分がいる。恥ずかしさと、畏れが湧き上がる。
 紫のカタクリの花に導かれるようにさらに上流を目指す。魚はポイントごとに1尾ずつ、飽きない程度に釣れてくる。どの魚も黄色く染まった美しい魚である。
 5.6尾釣り上げたあたりで、もう十分だと思った。残りは今度来たときにまた遊んでくれればいい。そう思い、もと来た道を戻ろうとしたそのとき、ふと気付いた。この川には、釣り人が歩いた形跡が全く残っていない。通常なら右岸なり左岸なりにあるはずの人間の踏み跡が一切ないのだ。代わりにカタクリの花が、私の行くべき道を示してくれている。
 ここ数年、数々の川を歩いてきたが、踏み跡のない川は記憶にない。どの川も、何らかの形で人間の歩いた形跡が残っていたように思う。
 こんな近くに、豊かな自然が残っていることに、心から感謝した。誰かにありがとうと言いたくなった。
 車止めに戻った。車の窓を全部開けた。頭上を舞う蜻蛉に見とれている向こうで、カモシカが慌てて林道を横切った。雲は切れ、青空が広がった。鳥の声を聞きながら、そのまま私は眠りに落ちていった。
2003/03/23
[原風景]

釣りを始めて間もない頃、何とかして岩魚というものを釣ってみたく、友人とふたりで宮城蔵王の源流域へ向かった。
子供の頃できなかった、釣りというものを始めて体験したのがその1年前。私に釣りを教えてくれた師匠は、岩魚を釣りたいという私に延べ竿を握らせ、まずはハゼを釣ってみろ、と言った。
時期は秋、肌寒い風のなか、試行錯誤しながら私は10〜20cm足らずのハゼをそこそこ釣った。今思えば、そのときの仕掛けはセイゴ針に2Bのガン玉、1.5号の道糸に目印と、師匠が源流で大岩魚を狙うときの仕掛けにそっくりだった。わたしはその3.4ヶ月間、すっかりこの釣りというものに没頭していった。数釣りをしたときは、家で天ぷら突付きながら酒を飲んだ。飲みながら、この釣りの奥深さを少しずつ学んだ。
翌年の春、いよいよ私は渓へ向かった。初めてウェーダーを履いた。流れに立った。その景色は今まで見てきた景色とは全く異なり、墨絵のような、乾いた空気と、雪の中を割って流れる黒い流れがそこにあった。冷たい流れの中のところどころ顔を覗かせる岩と岩との間を飛び渡り歩きながら、師匠はドバミミズで良い型の岩魚をテンポ良く釣り上がって行った。ハゼ釣りとは違う、厳密なポイント選び、正確なドリフト、そして魚との駆け引き、私はついてゆく事が出来ず、しばらくは釣れない日々が続いた。
そしてある日、友人と蔵王へ向かった。昔アルバイトをしていた牧場の近くには、小さな沢が何本かあり、そこに岩魚が棲むという話は聞いたことがあった。まだ雪が残る小沢を、私達は釣り上った。
ドリフトもなにもなく、とにかく少しでも深く、岩魚が付きそうな場所にミミズを放り込む。雪代も出ず、透明な流れのなかに、とにかく糸を垂らしてゆく。
30分ほども釣り上っただろうか、微かな魚影がミミズを追い、すぐにどこかへ消えた。この小さな流れの中のどこかに魚がいる。そして私達が流すミミズに興味を示している。そんなことに、私達は異常なまでに興奮した。訳のわからない叫び声を上げながら、震える手で竿を振った。落ち込みを二つほど遡ったところで、微かに竿先が引き込まれた。慌てて竿を立てる。何かが流れの中から飛び出し、白い雪の上に転がり、元気良く跳ね回った。
転びながら、竿を放り出して駆け寄った。黄色、いや、橙色に近いほどに腹の染まった岩魚が、サビもなく、ピンと張った尾びれを伸ばしそこにいた。あまりにもあやういひとつの命が、そこにあった。
私は写真も撮らず、慌てたまま彼を流れに戻した。少し驚いたように1mほど泳ぐと彼は上流を向き、しばらくそのままじっとしていた。まるで私をじっと見ているかのように、あるいは私に自分の姿を見せ付けるかのように、流れの中に佇んでいた。
顔を上げると青空が広がっている。枯れた木の枝に不規則に切り取られた、蒼い空があった。そのまま寝転ぶ。煙草に火をつける。細い煙が立ちのぼり、枝をくすぐる。目をつぶり、私は掌に残る小さな命の感触を確かめていた。
2003/02/23
[生活と川と]

本日よりTOPにgrayback newsのコーナーを追加した。フライフィッシングに関する情報を、他ページとのリンクも活用しながら紹介してゆこうと考えていたが、一番最初に頭に浮かんだのが、ここしばらく気になっていた、筒砂子川ダム建設に関する話題である。この件に関しては、以前に宮城県知事にメールを送らせていただいたこともあり、個人的にも大好きな川でもあるので、非常に動向が気になる。
宮城県北部に東西に流れる鳴瀬川。以前よりこの川は流程が長い上に、上流部はゴルジュが多く、暴れ川として知られた川でもある。つまり、魚の隠れ家が多く、岩魚の釣りきられることのない川である。しかし、下流域の鹿島台地区では、昨年も床上浸水の被害が続出している。
この川の支流、筒砂子川上流部に、ダム建設の計画が浮上したのが、昭和50年代のことだった。当時、流域に住む人々は地元住民の会を設立し、宮城県側との用地買収などに関する話し合いも、現在までに数百回行われているという。
その計画が昨年、中止されるという話が浮かび上がった。理由は、宮城県の財政難により開発を維持してゆくことが困難となったため、との説明が、宮城県知事浅野史郎氏からあった。
長野県知事の件などもあり、ダム開発は時代の流れにそぐわないという思惑もあったのだろうが、既に買収を見越して他地域に引っ越した住民達は黙っていない。周辺の自治体を巻き込み、論争は論争を呼び、12月には宮城県副知事を会長とした「筒砂子川利水対策協議会」が設立された。
昨年の夏、この話を始めて聞いたとき、単なる釣り人の視点から見れば、地元住民にとってもかけがえのない川を、ダム開発という名のもとに破壊して行くのはどうなのだろうか、という気持ちが強かった。しかし、よくよく話を整理してゆくと、中止によって無意味な転居をし、結果として家を失った家族や、ダム開発が遅れているため、下流域で床上浸水にあった家族など、中止することによる弊害が頻発していることに気が付いた。
土日に遊漁券を買って釣りに行くだけのフライフィッシャーにとって、ただ単に自然保護を訴えることはたやすい。しかし、一度地元住民の立場に立ってみたとき、軽々しく保護を訴えることはできなくなる。そんな複雑な日本の水利事情が、この事件から垣間見ることが出来る。
解禁まであと1週間。今年の3月は、私が始めて毛鉤で岩魚を釣った川、鳴瀬川に足を運んでみようと思う。
2003/02/12
[杉林]

 どうしても川が見たくなった。昼過ぎまで寝ていた。何箇所かにメールを送付すると、どうにも手持ち無沙汰になった。やることはいくらでもある、巻かなければならないフライもあれば、読まなければならない本もある。聴き残したCDも無数に転がっている。しかし、どうにも手持ち無沙汰になった。なにか用事を思い出そうとするが、なかなか良い口実が見つからない。訳もなく、川が見たい、そう思い始めるといても立ってもいられなくなり、慌てて風呂に入ると車に乗り込み、山へ向かった。
 そういえば、近頃は管理釣り場には行っているが、フリーストーンの川の音を聴いていない。
 子供の頃、テレビで流れる川の音が好きだった。大きな川の音ではなく、微かな流れ、芽生え始めたフキノトウかなんかの間をぬって流れる小川の音が好きだった。普段はそんな山奥に行くこともなかったくせに、いや、行けなかったからこそ、そんな景色が私の川に関する原風景となっている。
七北田川へ向かった。仙台市中心部から車で4,50分で行ける都市型の河川。漁協もなく、地元の釣りクラブが放流活動を行っているという話は聞いたことがあるが、他の都市型河川の例に漏れず、本流ではブラックバスが横行している。あまり普段は行くことのない流れだ。
ダムを越え、さらに上流を目指すと途端に道がうねり始める。ダムへの流れ込みを探し、橋の前後になるとスピードを落とし確認するが、なかなか川に降りられそうな場所はない。入渓地点を探してうろうろしているうちに、道に迷ったのか、見たことのない集落に降り立った。さほど大きくはない水田が数枚、厚い雪に埋もれている。徐行しながら、その集落を一周する。人の姿はない。時折吠える犬の声だけがそこに人が住んでいるということをかろうじて教えてくれる。古い民家が4.5世帯、山間の窪みでひっそりと春を待っているような、そんな静けさがそこにはあった。
ふと見ると、左手に深い杉林が広がっている。夕暮れの間際、杉林の中はほとんど太陽の光を拒んでいるようにも見える。そして、その中をゆっくりと蛇行して、一跨ぎで越えられるほどの小川が流れていた。雪の中を流れる、一本の黒い筋、それを覆い隠そうとする、深緑色の杉林。気持ちいい水音が耳を打つ。
車から降り、川の水を手に取る。水はさほど冷たくはない。見上げると、緑の杉の葉が微かに茶色がかっている。彼らは春を待ち、花粉を飛ばし、次の世代へ遺伝子を伝えて行こうとしているのだろう。立ち上がり、周りを見渡す。誰もいないのを確認してから、私はそそくさと車に乗り込んだ。なにか悪いことをしているような気がした。自分なんかが来てはいけないところに足を踏み入れてしまったような気がした。春が来るまでそっとしておくべきだと思った。
エンジンをかけ、車を出す。車はすぐに杉林を抜け、またいつもの道に出た。ダムは蒼く凍り付いていた。そのまま私は帰途についた。
2003/02/05
[カウントダウン]

いよいよ2月、渓流解禁まで残すところ1ヶ月となりました。そろそろ今年の解禁戦略を練る時期です。皆さんは今年の釣り初めはどこへ行く予定でしょうか。
ここ数年、解禁日といえば白石川上流部での山女魚狙いで玉砕する、というのが定番パターンとなっていました。なぜこのような結果になるかというと
@宮城県でもなるべく南のほうに行けばいくらかでも暖かく、活性も高いのではないか。
Aうまくいけばダムから遡上するサクラマスが上がるのではないか。
B解禁日は友人と行くことが多いので、ドライブが楽しい道がいい。
Cそのままだらだらと蔵王を越えて、温泉につかるのもいいのではないか。
等、いずれも解禁日はこうあってほしいという安易な思い込みから生まれた幻影につられ、誤ったポイント選びをしてしまってしまうことが原因だと思われます。
まあ解禁日に大釣りをしたという記憶はあまりありませんが、3月上旬に宮城県鳴瀬川支流での記憶にこんなものがあります。
当日、私は始めて釣りを教えてくれた釣りの師匠と2人での釣行でした。もともと源流志向の師匠は、身長より高い雪の壁の中を、奥へ奥へとランクルで踏み入ってゆきます。
夕方出発で、実際に釣り始めるのは翌日の朝、という強行スケジュールのため、私達は雪中でのキャンプを余儀なくされました。
翌朝、目覚めた我々は、カンジキを履いてさらに上流へと足をすすめました。日が昇り、温度が上がると、水気を含んだ雪は容赦なく足を沈め、山は行く手を阻みます。数時間の歩行の後、ようやくいい感じの堰堤が目に入りました。既にスノーモービルで分け入った跡はありましたが、我々は転がるように谷へ降りてゆきました。
堰堤は2段で、最深部の水深が50cmほど、さほど深い堰堤ではありませんでした。師匠はエサ師なので、少しでも深みを探ってゆきます。それとは反対に、私はやや浅めのところをフェザントテイルで狙ってゆきました。しかし、どうにもアタリを出すことができません。そもそもあまりニンフの釣りが好きではない私は、思い切って#16のパラダンに結び代え、再度キャストを繰り返します。突然、水深30cmくらいの流れ出しでチビ山女魚がヒットしました。そのままリリースし、もしやと思い再び少し上流にキャストをすると、一回り大きな山女魚がヒットします。そのまま徐々にサイズの大きくなる山女魚を追うように、じりじりと上流に迫ってゆき、結局10数尾の山女魚、15〜23cmを掛けることが出来ました。これが私の解禁日の最多記録となっています。
このように、解禁当初や大雨の後、あまりスレていない渓魚たちは、流れの筋に沿って綺麗に並んでいることがあります。普通の時期では考えられないような、純真な魚達が待っている。そんな幻想を抱きながら今年も私は地図をめくり始めています。
2003/01/26
[ウグイ、オイカワとドライフライで楽しく遊ぶ方法]
 (注)この記事は1月26日の掲示板、スナフキン氏からの質問に基づいています。
渓流に行きたいけど行けない、あるいは1,2時間しか時間がないにもかかわらず、どうしても竿が振りたい、そんなフラストレーションを抱えたフライフィッシャーは、疲れた身体を引きずりながら近所の小川に向かいます。
小川といってもチビ山女魚くらいは掛かるくらいのきれいな流れではありません。たいていは市街地を流れる、空き缶や錆びた自転車などが転がっている少しドブ臭い小川です。
最近、仙台ではこういった市街地を流れる小川では、所かまわずバスが横行している傾向がありますが、今日はそのターゲットをウグイやオイカワという、渓流で掛かってくれば思わず舌打ちするような相手に絞ってみたいと思います。
私が良く行っていたウグイオイカワフィールドは、仙台市の中心部、苦竹を流れるU川です。以前は出張の帰り、天気が良くすぐに職場に戻るのもどうかな、といったときが絶好のシチュエーションで、スーツのまま、車に常備している長靴を履いてフライロッドを振っていたものです。100メートルくらい先から見れば、イギリスの紳士的なフライフィッシャーに見えなくもないかもしれませんが、それ以上は近寄って見て欲しくない格好です。
さて、こんな状況でも魚を掛けねば気がすまないのがフライフィッシャーの悲しさです。日頃渓流で慣らした腕前を発揮しようと、キャストを繰り返す、しかし、釣れない、釣れない、釣れない、
そもそもこんな市街地に棲むウグイやオイカワは、日頃から警戒心を抱いて生活しています。そうやすやすと釣れるものではありません。そんな強者達を釣り上げるには
@ロングリーダーティペットは基本。私は12ftにプラス5ftほど継ぎ足したティペットを使っています。
Aそう大物は釣れて来ないので、ティペット径は8.9Xを使う。7X以上だと格段に釣れなくなります。
Bウグイ、オイカワの口は鱒に比べると非常に小さいです。できればフライはファインワイヤーで#18以下のものが望ましいです。
ざっとこんな戦略が必要となります。これはスレた鯉などにもいえることですが、中流域の魚は渓流の魚のようにエサを見つけて一目散に飛びつくようなことはなかなかありません。なぜなら川はゆっくり流れていて、比較的容易に捕食ができるからです。そんなにあせらなくても食べるものはいろいろ流れてきます。その結果、梅田川といえどもイエローストーンのスプリングクリーク並みのデッドドリフトが要求されることがあるのです。また、生息する水生昆虫はユスリカが主体となるため、必然的にパターンはミッジが多くなります。
このように、ウグイ、オイカワと楽しく遊ぶためには、時に渓流よりも高度なテクニックが要求されることがあります。
さあ、あなたもテクニカルフィッシングの世界への扉を開けてみませんか。
2003/01/24
[渓を守る]

昨日、とある漁協の監視員をなさっている方からのメールをいただきました。内容としては「釣行記録を河川の実名表記ではなく、匿名にしていただきたい」との内容でした。現在はまだ河川の遊漁システムが確立されておらず、内水面資源管理の面から見てもかなり多くの問題が山積であり、情報がメディアに公表されることで釣り人が殺到すれば、渓の荒廃はまぬがれない、とのことでした。文面は真っ直ぐで、彼の人柄が伝わってくるようなメールでした。私は彼の管轄の水系では監視員の方に出会ったことはありませんでしたが、このような方が監視員をなさっているのであれば、まだまだ渓の将来は暗くはない、そんなことを考えさせられました。
わたしは一人で渓に立ち、竿を振っているとき、様々なことを考えます。釣りのことを考えているようでいて、実はとんでもないことを考えていたりすることもあります。そのなかで、一番多く考えるのが、自分というものについて、そしてこの人間というものについて、何故この人間は魚を釣るのか、という途方もない問題についてです。
魚が欲しいのならば魚屋に行けばいい。心を休めたいのならやわらかなブナの緑の下で昼寝でもすればいい。なのに何故人間は罪のない魚を傷つけるのか、フライフィッシャーにとっては永遠に答えの出ない問題を何度も何度も反芻しています。
私にとって釣りは、多くのものを教えてくれた数少ないメディアのひとつです。水生昆虫と魚、そして山に棲む動物達との連鎖関係は壮大な宇宙を見せてくれました。産卵期、私の背丈ほどもある堰堤を遡ろうと、何度も何度も岩に叩き付けられながらも川を上ろうとする岩魚の姿に鳥肌が立ったこともありました。そして、自分自身について、これほど深く考えることのできる機会は、釣りをしている時間以外にはなかなかめぐり合えません。
そんな釣りができる渓を必死で守ろうとしている人がいて、忙しい時間を割いてメールを送ってくれたことに感謝しています。
釣り人は誰もが自分だけの秘密の釣り場を持とうとします。釣りをしているときは自分だけの時間で、そこに他者が介入してくることはあまり望みません。自分もそのような側面があり、それは釣り人のエゴであるということも良く認識しています。それでは何故おまえは釣りに行くんだ、と言われてもうまい答えが見つかりません。ただ言えることは、人間の都合で渓を破壊していってはいけない、そして脆弱な人間の力で一度破壊された渓を再生させることは非常に困難である、ということです。
残念ながら、現在の状況ではメディアが渓に与える影響は私の想像以上に大きいようです。
このホームページはある意味、実験的な要素をはらんでいます。もしこの呼びかけに応じて、全国の皆様が自分の釣行記録を公表してみようか、という気持ちになり、多くの情報が流れてゆけば、特定の河川に釣り人が集中することがなくなるのではないでしょうか。人間と魚、人間と渓、そして人間と人間が共存できる世界、これが私がインターネットというメディアを使ってやってみたいと思っていることです。
馬鹿な理想主義者のようなことを言っていますが、結局は少ない魚を奪い合うように釣るよりも、うじゃうじゃいる魚をあれやこれやと考えながら皆で楽しく釣りたい、そう思っているだけです。
本日より河川名の表記に従来より多少匿名性を持たせて表示をしたいと思います。おおまかなエリアは判断できる程度の表記です。そこから先は皆様が試行錯誤して探し出していただければと思います。そして本当に釣り人のモラルが上がり、データ量が増え、表記することで逆にユーザーが釣り場を選べる状態になったとき、河川の詳細を表示してゆきたいと思います。
近頃慌しい釣りが多かったせいもあり、なかなかゆっくりものを考える時間もありませんでしたが、これを機会に釣りというものを見直してみるいいチャンスだと思います。今後とも様々なご意見をお寄せいただければと思います。
2003/01/23
[初アクセス]

昨夜釣り関連のサーチエンジンに登録したところ、1日で70件あまりのアクセスがありました。お越しいただいた皆様、ありがとうございます。このサイトの目的としては、日本のフライフィッシャーの皆様が活発に交流でき、情報の共有ができるような場が欲しい、と思ったのがきっかけでした。最初はフライ好きの親父がいる飲み屋でもやろうかと思いましたが、なかなかそこまで踏み切ることは出来ません。小心者の自分が出来ることといったら、せこせことサイトを作るくらいだな、と思い、このサイトを作りました。そして今日、実際に70名の方々がこのサイトを目にしてくれました。まだ積極的な交流ではないかもしれませんが、こんなサイトがあるんだ、ということを心のどこかに留めていただき、3月の解禁の頃には多くの情報が飛び交っていてくれれば、と思います。今後ともgraybackをよろしくお願いいたします。そして、掲示板にでも一言二言、ここに来たしるしを残して行って頂ければと思います。
2003/01/19
[身内へ開設案内]

徐々にホームページらしい形が出来上がってきたので、とりあえずごく近い釣り仲間や友人に開設を案内。全然広がりのないネットワークではありますが、彼らがいなければこれほど釣りにのめり込むこともなかったかもしれません。これからもみっちり付き合ってもらいますのでよろしく。
明日からは、まだまだ貧弱なデータベースの整理に取り掛かります。落ち着くまでは当分慌しい日が続きそうです。
2003/01/15
[掲示板、送信フォーム開設]

ようやく掲示板と送信フォームが完成しました。ここ1週間、やれCGIだ、PHPだとパソコンの前と本屋との往復を続けていましたが、結局フリーのCGIで落ち着きました。まずはこれで日本中のフライフィッシャーとの窓口がつながりました。次は皆様からのアクセスを待つのみです。お気軽に書き込み、送信、お願いします。
2003/01/05
[開設]

年末からの死闘の末、ようやくホームページのようなものが出来上がりつつあります。このホームページの構想が出来上がったのが約1年前。そのときはなんとか禁漁期間中に完成させ、解禁後には多くの人にデータベースとして活用していただく予定でした。ところが時期は年末から年度末へ、仕事の忙しさにかまけて自宅でパソコンに向かう時間は日に日に減ってゆきました。そして3月、渓流解禁。待ちに待ったシーズンがやってきてしまいました。普段の鬱憤を晴らすべく、休みの日といえばほとんど釣りに行き、仕事の日は家に帰っても死んだように眠るだけ、そんな日々が半年も続き、ホームページのことなどほとんど忘れかけていました。特に今年は春の鯉釣り(近所の池でニンフでいけます)に始まり、5月6月は渓流通い、水温が上がる夏は野池でバス釣り(今年はかなりポッパーも巻きました)。秋はダムで虹鱒とバスの2目釣り、という具合に、休みの日のほとんどを釣りに費やしていたため、パソコンなどには目もくれていませんでした。
2002年秋、ダムに行っても寒くてバスも出なくなってきた頃、ふと今シーズンを振り返ってみるとあまり自分の釣りに変化がないことに気づきました。
そもそも自分も含め、フライフィッシャーはなかなか釣り場情報を人に教えません。何年か釣りをしてゆくと、どうしても釣りがパターン化してゆきます。そしてこれからフライを始めたい人たちは、どこに釣りに行けばいいか判らないままシーズンを終えてゆきます。日本のフライフィッシングはこれでいいのだろうか、そう思ったのがこのサイトを作るきっかけでした。
魚はキャッチアンドリリースすることで、私たちと遊んでくれるチャンスが増えてゆきます。もし釣り場情報をキャッチアンドリリースすれば、私たちと遊んでくれるフライフィッシャーが増えてゆくのではないだろうか。そして彼らが魚をキャッチアンドリリースすることで、ますます魚がシビアになって面白いフィールドが生まれてゆくのではないだろうか。そんな思いが私にはあります。
この意見をすべてのフライフィッシャーに押し付けるわけではありません。自分だけの秘密の釣り場も必要なことも判っています。しかし、皆様が持っているフィールドの記憶や魚たちとの交流の記録を、これからのフライフィッシャー達に少しだけ分けてもらえたら、と思います。
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