-- 2016.05.16 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
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『古事記』(※1)の序文にこう書かれて居ます。「時に舎人ありき。姓は稗田、名は阿禮、年はこれ廿八。人と為り聡明にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に払(ふ)るれば心に靭(しる)しき。すなはち、阿禮の勅語して帝皇日継及び先代旧辞を誦み習はしめたまひき。然れども、運(とき)移り世異(かは)りて、未だその事を行なひたまはざりき。」と(△1のp15~16)。
【脚注】
※1:古事記(こじき)は、現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅で誦習した帝紀及び先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅に依り撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)迄、中巻は神武天皇から応神天皇迄、下巻は仁徳天皇から推古天皇迄の記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含み乍ら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
※3:猿女/猨女(さるめ)とは、神祇官の職の一。大嘗祭/鎮魂祭などの神楽の舞などに奉仕した女。
※3-1:天鈿女命/天宇受売命(あまのうずめのみこと)は、日本神話で、天岩屋戸の前で踊って天照大神を慰め、又、天孫降臨に随従して天の八衢(やちまた)に居た猿田彦神を和らげて道案内させたという女神。鈿女命。猿女君(さるめのきみ)の祖とする。
※3-2:猿田彦(さるたひこ)は、(古くはサルダビコ)日本神話で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)降臨の際、先頭に立って道案内し、後に伊勢国五十鈴川上に鎮座したという神。容貌魁偉で鼻長7咫(あた)(←天狗の原形の説有り)、身長7尺余と伝える。俳優/衢(ちまた)の神とも言う。中世に至り、庚申の日にこの神を祀り、又、道祖神と結び付けた。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『古事記』(倉野憲司校注、岩波文庫)。
△3:『別冊歴史読本 日本「神社」総覧』(新人物往来社編・発行)。
●関連リンク
@補完ページ(Complementary):猿女氏の祖の天鈿女命を
祭神とする菅田比売神社▼
大和筒井城(Ruins of Tsutsui castle, Nara)
@補完ページ(Complementary):大和郡山城について▼
大和多聞城と大和郡山城(Tamon and Yamato-Koriyama castle, Nara)