涼風に誘われて


第一章 一日目


6.キャンプ場

SUZSKAZE_1_6.JPG - 60,255BYTES




キャンプ場は、スーパーからさらに10分ほど行った海岸にあった。やや小高い崖に囲まれた広い砂地で、管理棟で聞いた説明によると、バイクならサイトの中まで入ることができる。二人が着いたときには、すでに日は西に傾きつつあり、サイト内はいくつものテントが張られていた。といっても、隣を気にするほど混んでいるわけではない。
「へえ…」
バイクから降りるなり、つばさは感嘆の声をあげて周囲を見回した。広い砂地のキャンプサイトの向こうに蒼々とした海原が広かり、その上には雲ひとつない澄み切った空を望むことができる。太陽は中天から水平線へと近づきつつあり、海から吹いてくる潮風も、心なしか穏やかに感じられる。
ふと振り返ると、背後には松林。その中を、一本の道が通っている。ここまで走ってきた国道とキャンプ場とをつなぐ通路だ。そのそばの駐車場には、クルマが何台か。そして、ほぼ同数のバイクがサイト内にあちこちテントとともに散らばっている。
ひとしきり景色を堪能したあとで、つばさは再び水平線の彼方に視線を向けた。
「いい場所ですね、先輩」
「ああ…」
と、それまでバイクから荷物を降ろしていた弘希は、ふとその手を止めてつばさの隣までやってきた。休みに入る前につばさと地図を睨めっこしながら決めたキャンプ場だったが、地図のみを頼りにしたにしてはロケーションは絶好だった。ここならば、水平線に沈む夕陽をテントの中からでも心ゆくまで見ることができるだろう。
「ここを選んで正解だったな」
そう慨嘆する弘希に、隣でつばさが、ええ、とうなずいた。
キャンプサイトの向こうに広がる海をしばらく眺めやったあとで、弘希はつばさを振り返った。
「さて、そろそろテントの設営にかかろうか。外が明るいうちに夕食を済ませたいし、な」
「そうですね」
二人はそれぞれバイクのもとへ戻ると、荷物を解きはじめた。
二人の持ってきたテントは、それぞれ一人用のドーム型のものである。そのため、設営自体には10分もかからない。
まず地面にグラウンドシートを敷く。といっても、二人の場合はただのブルーシートだ。テントの接地面はかなり丈夫なシートでできているが、それを保護するために専用のグラウンドシートやブルーシートを敷くのだ。こうするとテントの接地面の保護にもなるし、テント内の熱が地面に逃げるのをある程度防ぐことができる。
シートを敷いたら、そこにテント本体を乗せる。テント本体は軽いため、この時点では単に乗せているだけだ。そこに二本のポールを通してテントを立ち上げる。入り口の向きなどを決めるのはこの時だ。
二人は隣り合わせにテントを並べると、入り口を海岸に向けた。二人のテントは、底辺の長い面に出入り口がある。本来ならば、対風面積が小さい(つまり底辺の短い)方を風上に向けるとテントは安定するのだが、今日のような風ならばそこまで気にすることはないだろう。
テントが立ち上がったら、二人は中に荷物を入れた。今日はそんな必要はないが、風の強い日などは、中の荷物が錘代わりになってくれる。
二人のテントには前室があるので、そこでさらにポールを一本通してフライシートを被せる。風の強い日などはこの後テントの四隅にペグを打ったりするのだが、今日はこれで終了だ。全行程わずか10分ほど。これでしっかりと寝る場所ができる。
「さて、と…」
一息ついた弘希は、テント内に戻ると、中から食材とたき火セットを出してきた。その隣では、つばさが同じように調理道具を取り出している。
「先輩、じゃ、たき火の方よろしくお願いしますね」
「了解。あ、これ食材ね。こっちの道具は自由に使っていいから」
「わかりました」
笑顔でうなずくと、つばさは調理にかかった。といっても、クッカーでお米を炊いて食材を切るだけである。手間はさほどでもないのだが、クッカーの場合、水加減と時間を間違えるとまずうまく炊けない。今は何の問題もなくなったつばさにしても、この域まで到達するのに、両手の指が必要なほどおかゆとお焦げのべったり付いた煎餅のようなご飯を量産している。
一方、弘希の作業ははるかに大変だ。たき火セットを組み立てると中に炭を入れて着火剤に振りかける。ここに、携帯バーナーで火をつけるのだが、最初のうちは燃えるのが着火剤だけで、なかなか炭にまでは火が回らない。そこで、うちわなどで風を送って炭が燃えるのを助けるのだ。
ところが、これがなかなかの難事業なのである。炭の着火具合を見ながらうちわで風を送る。強すぎれば着火剤についた火が消えてしまうし、弱すぎれば火が広がっていってくれずに、これまたすぐに消えてしまう。15分もやっていればいちおう炭に火はつくが、たいがいの場合はひとつふたつの炭だけである。これを広げるために、火のついた炭を内側に入れてまたまたうちわでパタパタ。ここで失敗すると、作業は最初からやり直しだ。
形容するとこんなものだが、実際の作業ははるかに過酷である。夏の夕方であればいやでも汗だくならざるを得ない。そのせいか、ソロツーリングのキャンプでは、二人ともまずたき火などはしない。
日ごろからキャンプの夕食なんぞ食えるものがあればいいと思っている弘希は、うちわを仰ぎながらさんざんつばさに毒づいた。
それに対してつばさ曰く
「二人でキャンプだからやるんですよ。何なら手伝いましょうか?」
いたずらっぽくそう言うつばさの顔を見やって、弘希は蓋をされたやかんよろしく黙り込んだ。火を起こす作業そのものはたしかに重労働だが、それが楽しくないと言えば真っ赤な嘘になる。隣に、一緒にキャンプをする見知った仲間がいてくれればこその楽しみだ。
30分以上かかって、ようやくものが焼けるだけの炭に火がついた。
「ふうっ…」
軍手を取って汗をぬぐう弘希。そこへ、
「お疲れさまでした。はい、どうぞ」
と、つばさが笑顔でマグカップを渡してくれた。中には、ほどよく暖かい紅茶が入っている。それを受け取ると、弘希はやっと一息ついた。相変わらず、海から吹いてくる潮風が心地よい。
ふと、つばさの方を見ると、きちんと切り刻まれた食材とともに、ラップに包まれたおにぎりが五つ六つ。
「おや…?」
弘希の視線に気づいたつばさは、くすっと笑った。
「雰囲気ってやつですよ。どうせ食べるなら、クッカーにご飯盛るよりこっちの方がいいかな、って」
でも、塩をふって握っただけですけどね、と照れくさそうにつばさは笑った。そんな彼女のさり気ない心遣いが、弘希には嬉しい。
海に目を向けると、太陽は既に西の水平線近くにかかっていた。その光を受けて、波打つ海面が黄金色に輝いている。着いたときには蒼く高かった空も、だんだん茜色を帯びてくる。
「…なんか、ちょっと贅沢ですね」
しばらくして、ふとつばさがそうつぶやいた。弘希は、なに、というように彼女を振り返る。
「ほら、海に来るときなんて、たいがい朝にやってきて一日遊んで、夕方には帰るのが普通じゃないですか。だけど、今は夜の心配なんてせずに、こうして夕日を見ていられますし」
「ああ、それはたしかに」
弘希はうなずいた。夕暮れ時は、誰にとっても気の休まる時間だ。けれども、普段はじっと座ってそれを見ていることなどほとんどない。大抵の場合、それは同時に帰路に就く時間であり、その合間にほっと一息、というのが常だ。
だが、今は違う。これからどこかに戻る必要もなく、ここでこうしてゆったりと見ていられる。昼間のどこかせわしない時間の流れから、螺旋が巻き戻るように次第にゆっくりと流れていく時間を、こうして楽しんでいられる。
「日没を見ることさえめったにないからね。こうして時間をたっぷりと使えるのも、キャンプのいいところさ。さて、と…」
と、弘希はちらっとたき火を見やった。セットに入れた炭の2/3ほどが、ほどよく真っ赤に焼けている。ここまでくれば、後は火力の調節に気を配っているだけでいい。
「じゃ、夕食にしようか。あまり夕陽ばかり眺めていると、せっかく握ってくれたおにぎり冷えてしまうし」
「ですね」
そううなずきつつ、つばさは食材を金網に乗せていく。すぐに、食材の焼ける香ばしい匂いが漂い始めた。
「じゃあ、先輩、どうぞ」
と。つばさはさっそくおにぎりをひとつ弘希に渡す。それを自分のテーブルに置くと、代りに
「ほい」
と、弘希は取り皿をつばさに渡した。
と、その前に、
「お疲れさん」
弘希はマグカップを掲げた。中身は既に半分近く減ってしまってはいるが、これも雰囲気というやつだ。
それに応えて、
「ええ、先輩もお疲れ様でした」
つばさも笑顔で自分のマグカップを掲げる。これから楽しい夕食が始まるのだ。




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