涼風に誘われて


第一章 一日目


4.午後

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昼食を終えると、二人は道の駅を出発した。ここからは下り坂である。
道は相変わらずすいているうえに、峠までの道に比べるとカーブが少ないため、自然にスピードが上がる。ましてや、下り坂ともなればなおさらだ。先を走る弘希は、少しばかりアクセルを絞る。
天高く昇った太陽の陽射しはかなり強いが、まだバイザーはそれを隠してくれるのであまり眩しくはない。
そして、視野の先には、相変わらず蒼と緑に支配された景色。気温は少しずつ高くなっているようだが、昇りよりもスピードがついているため、さほど暑く感じることはない。適度な風を受けて森を貫く道を駆け下っていくのは、とても気持ちがよかった。
「眠くないか?」
インカム越しに、すぐ後ろを走るつばさに問い掛ける。まるで計ったように彼女が後ろをついてくるのは、ちらっとミラーを見ればすぐに分かる。
”大丈夫です。別にお腹いっぱい食べたわけじゃないですし、ね。先輩は?”
「こっちも同様だよ。午前よりもスピード出してるから、風もあるしね」
ふと、つばさがくすっと笑った。
”でも、強烈な向かい風でも居眠り運転しちゃう人もいるって、聞いたことありますよ”
答える前に、弘希はバイクをセンターに寄せる。カーブに差しかかると、どれだけ緩いカーブでもセンターラインにマシンを寄せるのが弘希の癖だ。一本道の緩い下り坂とはいえ、時折見通しの悪い場所があるからだ。
もっとも、あまり寄せ過ぎると、ふくらんできた対向車を見つけて冷や汗をかくこともあるけれど。
それを見てとったつばさは、弘希の真後ろにマシンをつける。
「まあね。いちおう、眠気覚ましのガムは持ってきたけど」
”何なら、歌でもうたいましょうか?”
「…それはよしてくれ」
茶目っ気たっぷりのつばさの言葉に、弘希は笑いを含んだ声を返す。森の中を気持ちよく走るのには、風の音があればそれで十分だ。余計な人工の音はいらない。
もっとも、彼女の歌声は透き通るように綺麗だから、この風景の中を走るのにはぴったりかもしれなかったが。
しばらく下っていると、時おり休憩用の駐車場が目に入るようになる。この道は生活道路でもあるため、長距離を走るドライバーのために設けられたものだ。
一時間ほど走った後、そんな駐車場のひとつで休憩を取ると、今度はつばさが先頭に立った。弘希のマシンよりもタイヤが細いため、トルクに気を配りつつ慎重に走る。
山を下るに従って、カーブは徐々に少なくなり、代わって十字路が増えていく。この辺りはまだ住宅街ではないので、信号も少ない。そんな中を二人は疾走していく。
と、対向車線を一台のバイクが走ってきた。ん、と弘希が気づいた時には、既に間近まで迫っている。見ると後ろは三つのバックに荷物満載、センターには銀のロールマットを積んでいる。
向こうもキャンプ仕様か、と思う間もなく、そのライダーは左手を軽く挙げた。ほぼ反射的に、弘希とつばさも左手を挙げる。
”ふふっ”
すれ違った後で、インカムからつばさのくすくす笑う声が聞こえた。弘希の顔にも笑みが広がる。
これがツーリングライダーなのだ。ライダーは同じツーリングライダーには強い仲間意識を覚えるらしく、時折対向してくるライダーにこうやって挨拶を送ることがある。一瞬の一期一会だが、挨拶されれば嬉しいし、これもまた、ツーリングの楽しみのひとつでもある。
そして、刹那の瞬間に、お互いの道中の無事を祈るのだ。
こうして何度目かの休憩と交代の後、二人は再び市街地に入った。二人の超えてきた山は海に面しているため、住宅街に入っても下り坂が続く。
”先輩、前です。前を見て!”
前を走るつばさが、突然叫んだ。
目をこらすと、立ち並ぶ家々の向こうに蒼い海が見える。少しずつ高度を下げる太陽が目に眩しい。バイザーをサングラスにすればよかったかな、とちょっぴり後悔が頭をもたげる。
弘希はちらっとタンクバックに視線を落とした。タンクバックの上には、透明な軟質ビニールに入ったツーリング用の地図がある。
「もうちょっとだな。この先で海岸沿いを走る国道に出るはずだから、そこを右に曲がるぞ。その先のスーパーで休憩しよう」
”了解です”
目的地が近づいたのが実感できるようになったせいか、つばさの声が明るい。夕刻の近くなった街の中を、二人は海を目指して走った。



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