涼風に誘われて


第一章 一日目


2.午前

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朝の交通渋滞が始まる前に市街地を抜けると、二人はすぐに国道へと入った。土曜日だからさしてひどいとも思えないが、誰も彼もが休みなわけではない。
二人とも朝食を摂っていなかったため、市街地を抜けると、国道沿いの喫茶店で軽い朝食を摂った。
「別にコンビニの弁当でも構いませんよ」
とつばさは笑って言ったものだが、そこはやはり、先輩としてのプライドがあったりするのだ。一人なら別にどうということもないが、後輩の女の子に、コンビニの駐車場で弁当をパクつかせるような真似をさせるのは外聞が悪過ぎる。もっとも、そんなことを気にするつばさではなかったし、彼女とてソロツーリングの時などは、駐車場の前で平然と弁当を広げていたりするのだが。
「なんか、久しぶりのマスツーリングにしてはやたらとエレガントですね」
朝食を食べながら、つばさは苦笑混じりにそう言ったものだった。
喫茶店を出ると、今度はつばさが先頭に立った。ライダー暦は弘希の方が若干上だが、テクニックに関しては二人とも大差がない。そもそも、二人とも運転技術を競ってバイクに乗る質ではないのだ。
その一方で、つばさのバイクの方が非力なため、これから坂を駆け上がるには、よりローパワーのつばさが先頭に立った方がいいだろう、というのが弘希の目論見だった。もちろんそれは一方で、よりゆっくりと、景色とインカム越しの会話を楽しみつつツーリングができる、ということでもあるのだが。
しばらく国道を走っていると、住宅地に代わって田畑が目に付くようになる。緑の絨毯が風になびいたている中を走り抜けていくのは、何とも気持ちがいいものだ。周囲の気温はかなり高くなっているはずだが、信号も少ないため常に風を感じて走ることができる。ここ数日続いた雨が、空気の汚れをすっかり落としていったのだろう、夏が近いにもかかわらず、見上げる空は限りなく蒼く、そして高い。
”気持ちいいですね”
と、インカム越しにつばさの楽しそうな声が入ってくる。
「ああ。今日はクルマもほとんど通っていないから、まるでワンマン道路だな」
”ですね。今はわたしが先導しているから、あんまりスピードは出せないですけど”
「それは気にしなさんな。別に急ぐ旅でもないんだし、さ」
”うふっ。でも、山道に入ったら、もっとスピードが落ちるかもしれませんよ”
「いいさ。その分たっぷりと景色を堪能しようぜ」
”了解”
弾むつばさの声に、知らず知らずのうちに弘希の顔も綻んでくる。マスツーリングの楽しいひとときだ。
山道に入ると、田んぼは棚田に、畑はだんだん畑に姿を変えた。それまでほぼ一直線だった道路も、カーブが多くなってくる。そして、その周りには緑の濃くなった森林。吹き抜けていく風が心なしか涼しくなったのは、必ずしも日陰が多くなったせいばかりではないようだ。
ふと、前を走るつばさがギアを一段落とした。シングルマシンでは、上り坂を駆け上がるのがきつくなったのだろう、それに併せて弘希もアクセルを絞る。
時おり見晴らしのいいカーブに差し掛かると、その度につばさが歓声を上げた。気持ちはよく分かるが、後ろから見ていると少々危なっかしいような気がしないでもない。もちろんそれは一瞬のことで、次の瞬間には、弘希もいきなり広がった下界の景色に目を奪われている。峠に病み付きになるライダーがいるというのも、この景色を見れば納得できるというものだ。
標高が上がるにつれて、空の青さが少しずつ深くなっていく。それ比例して、日差しも少しずつ強くなっているようだ。
バイクに乗ってみて初めて分かったことだが、ライダーという人種は、ほんとうに気候の変化には鋭い。気温の変化、雨の気配、そして、訪れる土地独特の空気の匂い。そんなものに敏感になるのだ。それを感じたくて旅を続けるライダーも多い。
途中の休憩所で一息入れると、今度は弘希が先頭に立った。つばさのバイクに比べてハイパワーなマシンなため、常にバックミラーに注意しつつ走る。
「大丈夫かい?」
”ええ。この程度なら、先輩に合わせていくらでも走れますよ。それより、先輩の方がきつくないですか、わたしを気にしてばかりじゃ、気持ちよく走れないでしょ?”
ふふっ、と弘希は笑う。
「いや、実のところお前さんに合わせて走ってるわけじゃないんだけどね。このくらいが俺にとっては、余裕を持って走れるかな、と」
”言ってくれますね、まったく…”
と、インカム越しにつばさの拗ねたような声が響く。むろん”振り”だ。
”何なら、もう少しスピード上げても構いませんよ”
「ははは、んな事してエンジンが焼き付いても知らんからな」
やはり、そんなものは不要だったようだ。弘希がつばさと一緒に走るのはこれが初めてではなく、彼女のライディング・スタイルは弘希の頭にしっかりと入っている。もちろんそれは彼女も同じことだろう。気の合った仲間同士でのマスツーリングだから、余計な気遣いはいらないのだ。
さらに休憩を何度かいれて、その度に先導を交代する。こういう峠の道には、ここを走るドライバーのためにと、そういうスポットが何ヶ所が設置されていた。
峠にある道の駅には、正午を過ぎて少し経った頃に到着した。
 



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