涼風に誘われて


第一章 一日目


1.早朝

SUZSKAZE_1_1.JPG - 50,755BYTES




…その翌朝。六時三十分きっかりに、弘希は待ち合わせ場所の高台にやって来た。ここは、弘希の住む家から10分ほど離れた郊外にあって、街に住む人たちの待ち合わせによく使われている場所だ。
この高台には公園や遊歩道が整備されており、公園からは弘希の住む街並みが一望できる。遊歩道には四季おりおりの樹々も植えられているため、季節を問わず天気のいい日には、散歩する人が絶えることのない。
弘希はそこに、バイクでやって来ていた。彼のバイクには、リアバックと振り分けバック、そしてタンクパックが付けられている。そして、リアバックの上には銀のロールマット。リアバックはさして大きなものではなく、数日程度のツーリングにはこれで十分である。ちなみに、彼の通う高校はバイクに乗ることを禁止してはいない。学校に無届けで乗ったり違反を犯したりすれば厳罰は必至だが、そうでなければ学生の楽しみを無下に奪う必要はない、そういう教育方針なのだ。
バイクから降りると、弘希は、眼下に広がる早朝の街並みを見下ろした。この朝の清々しい雰囲気は、その場に立ち会ってみなければ分からない新鮮な味がある。理系人間の弘希だが、そういうメンタリティーはふんだんに持っていた。
ほどなく、一台のバイクがシングル独特の小気味いい排気音を響かせて高台に入ってきた。弘希のバイク同様に、荷物満載である。タンクの両サイドにウイング・マークがプリントされているライムイエローのバイク。つばさのバイクだ(ちなみに、弘希のバイクには同様の場所にディンギー・マークが付いている。こちらは排気筒二本出しだ)。
「お待たせしました〜」
バイクから降りると、つばさはにっこりと弘希に笑いかけた。弘希は、おはよう、と笑顔でうなずくと、前もって買っておいた缶コーヒーをつばさに渡す。普段、紅茶党の弘希が缶コーヒーを持っていたのがよほど珍しかったらしい。今日は紅茶じゃないんですね、といたずらっぽく笑うと、つばさはさっそくフルトップを開けた。
「ふうっ…」
防護柵に寄りかかって一息いれると、つばさは、つい先刻弘希がしていたように眼下を見下ろした。それにつられるように、弘希も視線を街並みに向ける。もう七月も下旬に入りつつあるため、七時前でも太陽は意外に高く上がっていた。その陽光に照らされて、眼下の街が活動を始める。街の息吹とでもいうのだろうか、そんな朝の雰囲気が、街全体に感じられる。
そして、明るい中にも吸うほどに清々しい朝の空気。夏が間近までやって来ている証拠だった。
「久しぶりだな…」
ふと、つばさがつぶやいた。なに、と弘希は怪訝そうに彼女を見やる。
「いえね、こんなに朝早く起きて外に出たのって、この前は何時だったかなって、ふと思ったんですよ。学校に通ってるときなら、普段はまだ家にいる時刻ですから」
「ああ、そうだな。ひょっとしたら、まだベットの中かもしれない」
「でしょ。だから、何だかやたらと新鮮で」
「休みならなおさら、もっと遅くまで寝てることだってあるしね」
朝っぱらからこんな所で、二人して何をやってるんだろ、そう言って、二人はからからと笑いあった。
もちろん、運動部なら朝連などで早朝出かけることもあるだろう。しかし、科学部の二人はこんな時間に外へ出ることなどめったにない。何か特別な予定でもなければ、こうして朝早くからここにはいないだろう。
その特別な予定が、今日、これから始まるのだ。
空になった缶をゴミ箱に捨てると、弘希はタンクバックから地図を取り出した。昨日のうちに目的地は確認してあるので、今は簡単なルートチェックをするだけだ。
「さて、と…」
弘希の広げた地図を、その脇からつばさが覗き込む。
「今日はここにあるキャンプ場まで行くだけだから、全線国道でも問題はないと思う。この 国道は生活道路だけど、道が広いわりにクルマの通りが少ないから、海岸まではスムーズに行けると思うよ」
「途中の休憩はどうします?」
「もちろん、何ヶ所かで取るつもりだよ、ルート上にはコンビニや道の駅もいくつかあるからね。ちょうど峠に差し掛かるころにお昼になるはずだから、そこで昼食を取ってもいい」
「ですね」
つばさはうなずいた。道の大半が山を通るのでかなりのワインディングルートになるが、国道であるためさして急峻なコースでもない。天気もいいので気持ちのいいツーリングが楽しめるだろう。
「夕食の食材は街に着いてから?」
「だな。到着が午後五時ぐらいになるはずだから、食べ物を買い込んでキャンプ場に向かっても、明るいうちに到着できると思う。天気予報の方は?」
つばさは携帯電話を取り出した。さっそく、最新情報を調べにかかる。
「三日間とも快晴です。今日は綺麗な夕焼けが見られそうですね」
「OK。じゃ、出発しようか」
嬉しそううなずくと、弘希は地図をしまってヘルメットをかぶった。つばさも自分のバイクに駆け寄るとヘルメットを取り出す。ヘルメットのDリングを閉めると、弘希はインカムの電源を入れた。最近、マスツーリング用に売り出されている、バイク用の一対一で話ができるトランシーバーだ。これはヘルメットに内蔵できるようになっている。
つばさが電源を入れるのを確認して、弘希は通話状態をチェックした。カタロクデータ上は二十メートルまでだが、オプションのブースターを付けているので五十メートル離れていても通話に支障はないはずだ。
それが終わると、二人はバイクに跨った。
「じゃ、最初の休憩までは俺が先導するから。その後は交代で、ということで」
”分かりました。お願いしますね”
振り返ると、バイザーの向こうで、つばさの瞳が微笑んだ。踵を返すと、弘希はエンジンに火を入れる。
ここから、今日のツーリングが始まるのだ。
 



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