源平合戦の主役は男たちばかりじゃない!ここでは、常盤御前をはじめ白拍子の祇王妓女や小督など、平家物語に登場する悲劇のヒロインたちゆかりの史跡を紹介いたします。男共の勝手な争乱のトバッチリを受けた女性たちは、ある意味男より過酷な人生の戦いを強いられたことでしょう。彼女らの物語は、どれもこれも理不尽でやるせないものばかり。その胸中を思うとただただドンヨリ暗い気持になっちゃうので、女主役の歴史小説や女視点の歴史ドラマって実は好きじゃないのです。でも、不幸や不遇にひたすら耐えて、愛する者への思いを支えに生き続ける、その静かな力強さは女性ならではのもの。また、黙って耐えるばかりではなく、頼朝に堂々と一矢報いた静御前のように、突如として大胆な捨て身の行動に出るのも、女性なればこその勇敢さが感じられて痛快です。
 あと、清水寺付近の義経にまつわる史跡も少し追加しました。トンデモ弁慶史跡なんかもあったりして、ツッコミ好きな私としてはたまりません。



源平女性ゆかり史跡 2007年2月/10月
嵯峨嵐山・祇王寺
 嵯峨嵐山には、平清盛と白拍子の姉妹・祇王祇女ゆかりのお寺「祇王寺」があります。ライバル仏御前に清盛の寵愛を奪われた祇王と祇女は母と共に髪を下ろしてこの地に庵を結び、やがて後を追って尼になった仏御前も加わって、女四人で念仏三昧の日々を送ったそうです。
 この祇王寺の隣には建礼門院徳子の侍女・横笛との悲恋で知られる滝口入道ゆかりの寺・滝口寺もあります。
祇王寺・拝観時間/9:00〜16:30
拝観料/\300

祇王寺・平清盛供養塔と祇王らの合同墓
 祇王寺の境内には、祇王姉妹と母そして仏御前の合同墓といわれる三重塔が建てられています。そしてその隣には清盛の供養塔も。自分が捨てた女達の真横に立たされ、清盛はどんな気持でいるのやら。(笑)

祇王寺・クマガイソウとアツモリソウ
 境内の庭には、平家物語のワンシーンにちなみ、一ノ谷の悲話で有名な平敦盛熊谷直実の名を冠した植物が植えられています。訪れた時期が冬だったのでその姿は見ることができませんでしたが…。

西行井戸
 閑静で風光明媚な嵯峨野は貴族達のリゾート地であり、また世捨て人達の隠遁の地でもありました。名高い歌人・西行法師も一時この地に滞在したといわれており、その際に喉を潤したとされる井戸が「西行井戸」として、落柿舎のそばの路地に残されています。

常寂光寺(小督の車琴)
 祇王寺にほど近い場所には、これまた平家物語の悲恋のヒロイン・小督(こごう)ゆかりのお寺「常寂光寺」があります。京都屈指の美しい紅葉の参道で知られる名刹です。
 宮中一の美女といわれた琴の名手・小督は、清盛の娘徳子の夫である高倉天皇と恋仲になってしまったことから清盛に追われ、この嵯峨に身を隠し天皇をしのんでひとり琴を奏でたそうです。このお寺にはその小督の琴といわれる車琴が納められています。
拝観時間/9:00〜16:30
拝観料/\300(※車琴は見学不可)

渡月橋(琴きき橋)
 小督の奏でる琴の音を聴いた高倉天皇の使者・源仲国は小督の居場所を探し当て、小督はふたたび御所に呼び戻されますが、またもや清盛の怒りに触れ、無理矢理尼にされて隠棲の身となってしまいます。最愛の人を奪われた高倉天皇は失意のうちに21の若さで崩御し、その御陵は小督の出家した洛東の清閑寺のそばに造られました。
 嵯峨観光のメインスポット・渡月橋は、仲国が小督の琴の音を聴いた場所といわれ、そのたもとに「琴きき橋」の碑が建てられています。ほかにも小督塚小督の経塚(法輪寺)など、小督にちなむ史跡がこの付近には点在しています。

子育常盤薬師(宝樹寺)
 次は洛東へ。ここからは源氏サイドの悲劇の女性代表・常盤御前ゆかりの史跡をめぐります。
 まずはJR東福寺のそば・伏見街道沿いにある宝樹寺。残念ながら一般公開はされていませんが、常盤が牛若のすこやかな成長を祈願したとされる「子育常盤薬師」が祀られており、境内にはかつて、都を逃れる常盤が子等とともに身を寄せた「常盤御前雪除けの松」という老松があったそうです。
 この近くには、平家に捕われて清盛の囲われの身となった常盤が暮らした「常盤御前囲われの屋敷跡」という史跡もあるそうですが見つけられず…。なんというか、こうしてみると清盛という男はまったくもって女をことごとく不幸にする罪なヤロウですね。

清水寺・子安の塔
 京都観光のランドマーク・清水寺にも常盤ゆかりの史跡があります。清水の舞台の本堂からさらに奥の高台に建っている子安塔です。子等を連れて平家の追手から逃れる常盤御前はこの塔に立ち寄り、御堂の子安観音に子等の無事を一心に祈願したといいます。常盤にまつわる史跡は、いずれも子を思うひたむきな母心がしのばれるものばかりで、泣かせます。
 このあと常盤は雪の降る中、子等の手を引き幼い牛若を胸に抱き、伏見街道を南下して知己のいる奈良・宇陀の里へと逃げ延びてゆきました。
清水寺拝観時間/6:00〜18:00
拝観料/\300

常盤井の井筒(御香宮神社)
 ひとたびは身を隠していた常盤ですが、実母が平家に捕縛されたと知り、子等を連れて再度都へと向かいます。その途、伏見桃山付近にて平家の手に落ちたといわれています。
 JR桃山駅を下車して徒歩約5分のところに、御香宮神社(ごこうぐうじんじゃ)があります。古来より香りのよい水が湧き出すことで有名で、伏見七名水のひとつに数えられ、また環境庁「名水百選」にも選ばれています。この近辺にはかつて「常盤井の井筒」という常盤が喉を潤した井戸の史跡があったのですが、現在は解体され(泣)、井戸枠のみがこの神社の末社・弁天社の石橋として姿を変え残されています。
 またこの神社から少し南に下った場所には
常盤御前就捕処碑という史跡があるとのことで地図を片手に探したのですが、なんと!工事中!(07年10月現在)ブルドーザーがゴトゴト行き交うさら地になっておりました。ちいさな石碑の行方など工事現場の人に聞いたところで知るはずもなく…。どこまでも過酷な運命にさらされさまよい続ける哀れな常盤さまでいらっしゃいます…
御香宮神社・拝観時間/9:00〜16:00
定休日/不定期
拝観料/(石庭)大人\200・大学生\150


常盤御前御墓(源光寺)
 今度は洛西へ、東映太秦映画村の近くにある常盤の墓に向かいます。京福電鉄の駅名ズバリ「常盤」を下車、源光寺へ。この境内の一角に「源氏義経御母堂墓」と記された石塔が建てられています。
 この地は一説には常盤生誕の地もいわれ、のちに出家した常盤はこの源光寺に小庵を結び、隠棲したといわれています。常盤の晩年についてはいろんな説があり、はっきりとしたことは今となってはわかりませんが、できればこの地の伝説の如く、愛しい人々をしのびながらゆっくりと心穏やかな時間を過ごしていてほしいものです。

境内自由


神泉苑
 次は洛中、二条城そばにある静御前ゆかりの「神泉苑」へ。平安京造営の際に設けられた苑地で、清らかな泉がこんこんと湧き出すことから神泉苑と名づけられました。天皇や貴族らの遊宴の池であり、また雨乞いや怨霊封じが行われる特別な場所でもありました。
 後白河法皇が白拍子を集めて雨乞いの儀式を執り行った際、百人目の静御前が舞い始めるとみごと雨が降り出したため、法皇より「日本一の白拍子」と称えられたそうです。また一説にはここが義経と静御前の馴れ初めの場所ともいわれています。美しい水辺で出会った運命のふたり…希代の英雄と絶世の美少女の出会いにふさわしい、いかにもロマンチックなシチュエーションですね。
 当時の神泉苑は広大な公園でしたが、二条城築城の際に大部分が壊されてしまい、現在は放生池がわずかに残るのみ。その池には、鮮やかな朱の欄干の橋が渡されています。この橋を願い事を一心に念じて渡ると願いがかなうのだそう。私が訪れた際にも、若いカップルがキャッキャと手をつないで渡るほほえましい姿が見られました。

境内自由

オミヤゲ情報
神泉苑・成就みくじ守(恋みくじ)\300
 義経と静の出会いにちなんだおみくじ付きお守り。かわいい紙人形は柄違いでいろんな種類があります。おみくじは愛情運や縁談のアドバイスのほか、相性のいい星座や血液型なんかも書かれていて、若い女の子向けのポップな内容になってます。

洛東(清水寺周辺)義経ゆかり史跡2007年2月/10月

出世恵美須神社(粟田神社)
 奥州を目指して京の都を後にした牛若丸。その門出にちなんだ史跡は首途八幡宮、かどで地蔵など、京都のあちこちに点在しています。洛東・粟田口にある粟田神社の摂社・出世恵美須神社もそのうちのひとつ。粟田口は京と近江を結ぶ街道沿いにあたり、京を離れる牛若はこの神社に立ち寄って源氏再興を祈念したといわれています。この付近にはほかにも牛若にまつわる史跡・義経大日如来などが残されています。
 このお社に納められている恵美須像は最澄の自作といわれ、現存する寄木造の恵美須像のなかでは最古という貴重なもの。源氏再興を祈った牛若のエピソードにちなんでか、家運隆盛にご利益があるありがたい恵美須様です。
参拝自由


清水寺・弁慶の足跡
 五条大橋で出会った牛若丸と弁慶が再度まみえて戦ったという逸話の残る清水寺、そこには弁慶ゆかりの史跡がいくつかあります。しかしいずれも特に何も表記がされてないので、つい見落としがち。かくいう私も清水寺は何度も訪れているのに、今まで全然気づきませんでした。
 まずはこちら、本堂のそばに唐突に置かれている「弁慶の足跡」。指の関節まではっきりくっきり型のついた、なかなかインパクトのある足形です。しかも超・偏平足。弁慶の足跡という説のほか、平家の武士・景清の足型という説もあります。どっちやねん!どっちにしても危険人物ですが。でも本当はどっちでもなく、釈迦の足型を模した「仏足石」らしいです。ありゃりゃ。


清水寺・弁慶の鉄杖と鉄下駄
 有名な清水の舞台に向かう通路の途中には、弁慶が使った?といわれる大小の鉄杖と鉄下駄が設置されています。大きい鉄杖は90kg、鉄下駄は12kgもあるそう。実はこれらは江戸時代に参拝者が奉納したもので弁慶とは本来何の関係もないものですが、これを怪力の僧兵が持ってたらサマになるだろうな〜…という妄想から、勝手に弁慶のアイテムにされたのでしょう。まあ弁慶にまつわる史跡なんてどれもだいたいコジツケですからね。弁慶がいかに時代を越えた人気者であるかということの証でもありましょう。
 ちなみに男性は鉄杖を、女性は鉄下駄を持ち上げられれば無病息災!!…らしい。(そのへんにいたツアーコンダクターの人談)というわけで小学生からお年寄りまでキャッキャキャッキャとにぎやかに群がって、めいめいにトライしてました。その合間をぬってすかさず写真を撮ったので下の鉄下駄の写真など大いにブレてて我ながら笑えます。

佐藤継信・忠信の墓
 清水寺からほど近い馬町の一角にはかつて義経の忠臣・佐藤兄弟の墓があり、立派な十三重石塔が建っていました。現在塔は京都国立博物館の敷地内に移転されましたが、その跡地には写真のような石碑が建てられています。ふるさとを遠く離れたこの京の地でも、佐藤兄弟の誉れはこれからも大切に語り継がれてゆくことでしょう。

嵯峨嵐山中心MAP 京都洛東付近MAP
てきとう自作マップ


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てきとう自作マップ


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