いろんな処ぶらりんこ03’ 春爛漫編



 京都日帰り・清水寺と島原 (散策日:4月5日)

霊山歴史館の土曜維新トーク「沖田総司の剣」を聴講するため(というのが一応の名目(汗&笑))、日帰りで京都へ行く事になりました。一番頭が痛いのが交通費。まともに新幹線で東京ー京都を往復すると28000円くらいはかかってしまいます。色々調べた結果、素晴らしい切符を発見。「のぞみ・朝一切符」。これは日帰り出張をする人用につくられたもの(らしい・・・)。その中でもJR東海ツアーズの商品、「京都日帰りプラン」、これは東京(もしくは新横浜)−京都間往復新幹線運賃(朝一ののぞみ号利用)+指定のお食事処クーポン券付きで19800円(18800円)!すっごくお得。これを利用する事にしました。我が家から東京駅までは1時間20分はかかります。午前6時過ぎののぞみに乗るのはちょっと無理。なので、ここは新横浜駅に近い実家から京都へ行くのがベスト!と、早速両親に交渉。OKをもらいました。4日に私と娘で実家へ帰り、翌日5日、ダンナと横浜の実家で合流という・・そういうスケジュールに決定。(我ながらベスト・プラン!笑) 

さて前置きはこの辺にして、5日の話。午前5時起床。雨がざんざん降り。(涙)父に車で新横の駅まで送ってもらい、6時16分発、のぞみ1号に乗り込みました。なんとっ!満員。(汗) 驚きました。ぎっしりです。やはり同じような事を考える人がたくさん居るんですね。 新幹線の中で今日の維新トークの予習。木村幸比古氏著作『新選組と沖田総司』を読みました。なんか・・嫌な予感。(汗・・笑) 講演、大丈夫かしら? 少々不安になりました。 午前8時15分、京都着。早いです。2時間で京都へ着いてしまいました。(嬉々) 早速ぶらりんこ開始。 午後1時過ぎに霊山歴史館へ行くとして・・・っと。さてさて・・・。

京都も小雨模様。まずは東山にある清水寺へ。243年ぶりのご開帳、千手観音菩薩坐像を拝観するためです。像が安置されている奥の院の開扉が午前9時。並んで待つ事に。開扉と同時に中へ入り、秘仏の千手観音菩薩坐像他、清水寺の誇る仏像を堪能しました。 舞台からの景色も堪能。下へ下りて行き、「音羽の滝」の水で手を洗いました。とにかく朝早かったので待たされることもなく事が運び、本当にラッキーでした。

清水寺の資料はこちら


清水の舞台から見た前方の景色 清水寺・本堂 音羽の滝



さて、次にタクシーに乗り、島原まで行ってもらいました。島原も27年ぶりです。角屋が美術館を公開していると聞き、心わくわく♪ 少し早めに着いたのであたりを散策しました。 

島原は、元々豊臣秀吉の頃六条三筋町にあった傾城を、御所の近くにこのような場所があるのはよくない・・・と寛永18年(1641)、徳川幕府が現在の場所に移転させました。その移転騒動が九州で起きた島原の乱を思わせた事から、一般に「島原」と呼ばれるようになったとか。正式地名は「西新座敷」といいます。(「島原」の名の由来、この西新座敷に意気込んで行く事を男性達が当時起こっていた島原の乱に例えて「さあ、これから島原征伐だ!」と言ったとかなんとか・・・。それで「島原」と呼ばれるようになったとする説もあります。 ま、どっちでもいいんですけど。汗&笑)

角屋は国内唯一の揚屋(置屋から太夫や芸妓を呼んで歌舞音曲の遊宴を行った場所。現在の料理屋、料亭にあたる)建築の遺構。国の重要文化財にも指定されています。(詳しくは後ほど) 輪違屋は置屋(太夫や芸妓を派遣する店)。元禄年間創業で現在の建物は安政4年に再建され、その後増改築がなされ、明治初めにほぼ現在の姿となりました。現在でもお茶屋業を営んでおり、内部は非公開になっています。大門、島原開設当初(寛永18年)は掘りと塀に囲まれ、出入り口は東北角の大門のみでしたが享保17年(1732)、西の大門がつくられました。現存の大門は当初に設けられた東北角の門が、後の明和3年(1766)に島原の中央を東西に位置する道の東端(現在地)に付け替えられたもの。嘉永7年(1854)の大火で大門は焼失。慶応3年(1867)に立て替えられました。(これが現在の大門) 角屋、輪違屋、大門とよくまあ、これだけの建物が今まで残ったものだと、ただ、ただ感動。京都の人々の気迫を感じました。素晴らしい!



島原・輪違屋

島原・角屋
島原・大門



午前10時を過ぎ、角屋もてなしの文化美術館が開きました。二階は別途見学料と予約がいります。(ボランティアの説明付き) 先ず一階部分、入り口の反対側、新選組(Mr.芹沢らしい。汗&笑)がつけたとされる刀傷を見学。台所から上がり奥の間へ。途中遊客から預かった刀を入れる刀箪笥がありました。



角屋の暖簾

刀箪笥
新選組のつけた柱の刀傷 角屋・台所



「網代の間」、奥座敷「松の間」と見学。庭の松が見事でした。その他庭内には2つの茶室もあり、梅の古木、また八重桜もあって四季折々の風情を楽しめる贅沢な場所となっていました。松の間はこの素晴らしい庭を座敷に居ながらにして一枚の画のように鑑賞することができる、そんな素晴らしいお座敷です。残念ながら床の間部分、明治期に小火を出してしまい、現在は文化財としての扱いからは外されています。(建物は200年以上経たないと文化財指定にならないらしい。Why?)

いよいよ二階。上がってすぐが「緞子の間」。「扇の間」(壁がブルーグレーの浅葱色だった♪)と素晴らしい座敷が並びます。中でも「青貝の間」、一面に青貝(螺鈿)を散りばめた座敷。もう息を飲む豪華さ。そして溜息溜息・・・。壁にはこの青貝の間をつくったらしい左官屋さんの名が刻み込まれていました。よっぽどの自信作だったのでしょうね。(実際の作り手が名を壁に刻んで残すというのは珍しいケースだそうです。) 角屋の座敷の天井や襖絵などは、蝋燭のすすで黒くなっていました。時代を感じます。尚、青貝の間の窓ガラス、幕末当時のぎやまんが使われているとの事。今のガラスと違ってちょっとゆがんでみえるところがまた風情があって・・・。(溜息)

島原・角屋に関する資料はこちら


網代の間 松の間(1) 松の間(2) 主庭(松の間前)



ちょうど昼前、午後の霊山歴史館・土曜維新トークの事もあり、早めに食事を取りました。場所は円山公園前、レストラン・長楽館。此処は「明治の煙草王」村井吉兵衛の別荘として建てられた由緒ある建物です。日本の歴代著名人や外国要人が宿泊。京都の迎賓館として華やかな社交場となっていました。確かに中の調度品、すごかったです。お花見時期とも重なり、円山公園はすごい人。(それでも雨のため、例年ほどではなかったみたい。) ゆっくりお花見をする時間もなく、急ぎ霊山歴史館へと向かいました。

この話は幕末ぶらりんこ・京都日帰りへと続きます。 京都日帰り:霊山と黒谷へ




円山公園の枝垂れ桜
レストラン・長楽館