幕末ぶらりんこ 04’
・・・新選組関係・・・
◆この話は「霊山と金戒光明寺他」から始まります。 |
京島原・輪違屋の夕べ(参加日:3月6日) 岡崎から島原へ移動。午後5時45分、島原、輪違屋へ到着。 みぞれ交じりの雨が降ってきました。中に入り、受付を済ませ、一階奥の座敷へ通されました。そこで全員揃うのを待ちます。ざっと数えたところ、今日の参加者は30名。座敷内はストーブがたかれていて、暖かかったです。 |
たそがれ時の輪違屋 |
全員が揃うと、「これから外の通りで「太夫道中」を致します。外へどうぞ。」 と案内がありました。外で出ると、わっ!完全雪に変わってるっ!(汗) 「この中、「道中」とは、太夫さん、お気の毒だな。」と思っていると、太夫と禿(かむろ)二人が店から出てきました。今日の太夫は花琴太夫(はなことたゆう)さん、綺麗です! 禿が先頭、そして太夫の「太夫道中」を見る事ができました。(本来は若衆が持つ傘、今回は「輪違屋の夕べ」参加者の男性が担当) |
花琴太夫さん(左の女性は輪違屋の方) |
雪の中の太夫道中 | 雪の中の太夫道中(後ろから) |
太夫道中が終わり、先程の座敷へ戻りました。 座敷の隅っこを見ると・・・おおっ、あれは近藤勇の屏風ではないかっ。なんて、無造作に置かれているんだろ。(汗) あとで、二階の見学へ行く前にしっかり撮っておかなければ。 |
太夫入場 | 「かしの式」 |
座敷の電灯がすべて消され、二本のろうそくの明かりだけになりました。そして、太夫による伎芸鑑賞が始まりました。 まず最初は「かしの式」。 「かしの式」とは、いわゆる「顔見せ」。太夫が一人一人、ここでお客と対面するのです。店の方(幕末当時は太夫専属の遣手あたりが担当したのではないでしょうか。はっきりしなくて申し訳ないです。)が「はなことだゆう〜。」と優雅に名前を言います。太夫は右側の台に載っている盃を手に取り、お客に見せます。「かしの式」は、太夫が自分をアピールする時間。せいぜい2分程度です。この短い時間の中で、最大限に自分をアピールする。言葉を発する事は許されません。仕種と立ち振る舞い、まなざしでアピールするのです。太夫の動きのひとつひとつは、艶っぽい「大人」の女性美の粋、見ている者を夢の世界へと誘います。現実の世界とは思えない世界。竜宮城の乙姫様にでも会ったような感じでした。(参加者の殿方の目が、みなさん、ハート型になっておりました。汗&笑) 終わった後、ずんこさんと「今、近藤さんが見ていた同じ明るさで太夫さんを見ていたんだね。」と感無量になりました。 現在輪違屋には5人の太夫、30人の禿が登録しています。禿は近所の小学生さんだそうです。(笑)太夫の頭(おつむ)は鬘(かつら)ではなく、自分の髪の毛で結い上げています。簪(かんざし)は前左右に3本3本、計6本、これは昔の鼈甲。横のびらびら簪は珊瑚、これも昔のものを使用。花簪だけ、現在のものを使っているそうです。頭だけで5〜6キロ、帯は前結び。「心」という字に結んであります。(伎芸を見せるため)着物の分も合わせると約30キロもの重さをつけて、お座敷に出ているそうな。(あんなか細い身体で・・・。汗) 太夫は御所に上がる事の出来る正五位の位を持っています。高貴な人たちのお相手をきちんとできるように、茶道、華道、書道、和歌から琴、三味線、唄、舞踊に至るまでたしなみます。 まさにスーパー・ホステスです。(笑) 禿の着物の袖には鈴がついていて、リンリンと音がし、禿の鈴の音が聞こえれば、太夫が近くにいる事がわかります。現在の某所のように、マイクを使って「え〜、○○さん、三番テーブルお願いします。」なんて、言わないわけですね。(汗&笑) 武士の時代は、やはり「静寂は美」、「寡黙は美」だったのでしょうか。 「かしの式」の後、太夫がお茶のお点前と、胡弓の演奏、舞踊を披露。伎芸鑑賞がすむと、「二階のお部屋にご案内します。」 二階の「傘の間」と「紅葉の間」を見学するため、二階へ上がりました。 |
太夫の舞踊 |
まず、有名な「傘の間」。輪違屋の傘が襖に貼られています。襖の上に書の額がひとつ。「近藤勇の額どす。」 「えっ!?輪違屋さんにある近藤さんの遺墨って額もあったんだ。(汗)」とびっくり。 他に桂小五郎の掛け軸もありました。次に「紅葉の間」。本物(生)の紅葉の葉が部屋の壁に散りばめられています。どういう行程でそのように出来たのかまでは、お聞きする事ができなくて残念でした。 「傘の間」と「紅葉の間」の間には、太夫の打ち掛けが掛かっている部屋がありました。 輪違屋には二階との間の階段が全部で5つあるそうです。お客同士の鉢合わせを避けるためだそうな。(「近藤さんと桂小五郎が鉢合わせ・・なんて事、なかったのかしら。(汗&笑)」などと思いながら、急な階段を下りて一階に戻りました。 |
太夫の打ち掛け | 輪違屋の暖簾 |
大座敷へ戻ると、食事の用意ができていました。 食事をしながらの太夫さんとの歓談。 花琴太夫さんは、本当に綺麗で、細い細い方でした。笑った口元、お歯黒をしていらっしゃいました。昔のままの島原の太夫です。もちろん、今では伝統芸能を継承する大切な任務を背負っていらっしゃいます。遊里には遊女の悲劇が多々ありましたが、今では、「悪しきところ」はなくなり、完全に最高級の接客業。 頑張って島原の、輪違屋の伝統を守って行っていただきたいと思います。 |
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花琴太夫さん(2) |
午後8時、太夫さんは帰られました。 8時20分、「輪違屋の夕べ」はおひらき。夢のような2時間はあっという間に過ぎてしまいました。 本来「一見さん、お断り」、特に観光客に厳しいと言われている輪違屋さんにこうして入る事ができ、太夫の伎芸や貴重な屏風や掛け軸、座敷を観る事ができて本当に幸せでした。 輪違屋さんは接客業のプロ中のプロ。 「ただ」では何も見せては下さいませんが、しかし、一旦、中へ入ったら、写真は取り放題。あれはだめだの、これはいいだのとはまったくおっしゃいません。輪違屋さんの本物のプロ魂に感動。「またの機会」があるかどうかはわかりませんが、この貴重な経験を深く心に刻み込み、輪違屋を後にしました。 この話は、「いろんな処ぶらりんこ 南山城・浄瑠璃寺と岩船寺」へ続きます。 ◆このページを作成するにあたり、『千美生の里』オーナー、野間みつねさんに大変お世話になりました。この場を借りまして、御礼申し上げます。(ゆ) |
壁紙は「十五夜」さんよりお借りしました。 |
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