幕末ぶらりんこ 04’
・・・幕末関係・・・



 霊山と金戒光明寺他(散策日:3月6日)

3月6日(土)、東京は晴れ。午後11時13分発ののぞみに乗り出発。今回は私が京都市観光協会主催の「輪違屋の夕べ」に参加するため、家族で行く恒例の春の旅行を、この日程にくっつけました。(いつもいつも私のわがままを聞いてくれる優しい家族の皆様、本当に有難うございます。汗&笑) 名古屋駅までは晴れていましたが、関が原を過ぎた頃から雨(今思えば、雪だったのかも。)午後1時32分、京都着。雪が舞っていました。(汗) 今回のお宿は駅前の新阪急ホテルです。すぐにチェックイン。荷物を置くと、ここから私は別行動。今日一日、ご一緒する事になっている拙サイト・ご常連様のずんこさんに会うため、待ち合わせ場所の霊山歴史館へ行きました。 

霊山歴史館では1月3日から「大新選組展」が開催中。ずんこさんと二人で館内を見学。 昨年秋に新聞等で発表されていた近藤勇の書簡が展示されていました。あれ?手紙の書かれた年が、最初の発表と・・・・違う。(滝汗) 展示資料は常設展示とそれほど変わらず。 印象に残ったのは、島田魁、葬儀の悔帳。 この悔帳には、北海道・小樽から息子さんと葬儀に出席するため、はるばる京都へやってきた杉村義衛翁(永倉新八)の名前が書かれているのです。く、悔しい・・。(涙) どうして、そのページを開けておいては下さらないのですか。(涙涙) 表紙だけ見ても・・・。(号泣) 気を取り直して館内をまわると・・・ありました。フルタ製菓さんが寄贈した池田屋模型。 フィギュアもしっかりと自分のいるべき場所に置かれていました。 池田屋で斬られた尊攘派のフィギュアもありました。やはり、よくできていますね、この模型。 受け付けのところの売店には、フルタのフィギュアがしっかりと売られていました。(汗&笑)

霊山歴史館を出ると・・・ああ、また雪。 今日は本当に変な天気です。 とにかく、天気がコロコロ変わる。吹雪いたかと思うとやみ、そう思っているとあられが降ったり。(汗) たまたまいたタクシーに乗り、金戒光明寺まで行きました。 今年の「京都、冬の特別公開」は新選組に因んだ場所もあり、金戒光明寺(黒谷)もそのひとつ。幕末、5年間にわたり京都守護職、会津藩主松平容保が本陣を置いた場所です。


大河のオープニングで
使われた階段
金戒光明寺本堂(横) 金戒光明寺入り口 金戒光明寺 塔頭・西翁院


金戒光明寺は、1175年(承安5年)、浄土宗開祖・法然が比叡山黒谷別所を下り、自ら修業する場所を探していた際、この場所に一筋の光明が射すのを見、此処は、仏に守られた聖地だとして、草庵を結んだのが始まりと言われています。(「黒谷」の別称は、この比叡山黒谷別所から由来) 本堂で説明を聞きました。 お寺の由来や、仏像、仏画の説明が済んで、新選組の話になりました。すると・・・。(汗) 最後まで聞いているのが辛いような説明。(汗) 「「会津藩預かり」というのは、一種のパートみたいなもの。本採用ではない。」とか、「八木さんの家でごろごろしていた。」とか・・・。悲しくなりました。(涙) その後、京都守護職執務に関係する建物へ移動。 特別公開の「拝謁の間」、松平容保遺墨、容保筆による「会津藩家訓(かきん)」、会津藩日誌等を見学。感無量でした。

その後、塔頭の西翁院へ。こちらには重要文化財に指定されている茶室があります。内部はすべて撮影禁止。(涙) 「この茶室、きっと容保公も入ったに違いない。」などと思いながら、金戒光明寺を後にしました。

平安神宮近くまで歩いてきました。ちょうど、真ん前にある京都市美術館で開催中の「二条城障壁画のすべて」を見学。狩野派絵師の華麗な筆による障壁画を堪能。 そして、平安神宮の駐車場前にある京都守護職屋敷門。 時間が遅かったせいなのか、ラッキーにも一台もバスがいなくて、真ん前から存分に写真を撮る事が出来ました。

時計を見ると午後5時10分。小休憩をし、6時から始まる「輪違屋の夕べ」に出席するため、島原へと向かいました。

この話は、「京島原、輪違屋の夕べ」へと続きます。


京都守護職屋敷門