いろんな処ぶらりんこ 04’
◆この話は幕末ぶらりんこ04’早春編「霊山と金戒光明寺他」から始まります。 |
南山城・浄瑠璃寺と岩船寺(散策日:3月7日) 京都・奈良旅行二日目。今日も寒いです。京都の朝、どんより雲っています。午前7時半過ぎ、ホテルを出発。京都駅で朝食を済ませ、8時16分発の奈良行きに乗り込みました。今日は、午前中は南山城の浄瑠璃寺と岩船寺、午後は奈良駅周辺をまわる予定です。25分程で、木津駅に到着。ここからタクシーで浄瑠璃寺まで行きました。 |
浄瑠璃寺山門 | 浄瑠璃寺本堂 | 本堂側から三重塔を見る | 三重塔から本堂を見る |
浄瑠璃寺は真言律宗。1047年(永承2年)に僧義明(ぎみょう)によって開山。本堂(九体阿弥陀堂)に、九体の阿弥陀如来坐像を安置している事から「九体寺」とも呼ばれています。平安後期、九体阿弥陀堂が相次いで建てられましたが、ここは現存する唯一の寺。「浄瑠璃寺」という名は、薬師如来の浄土である東方浄瑠璃世界に因んでつけられたとの事。本堂(国宝)と三重塔(国宝)の間には美しい池。特に緑と花に覆われた季節、きっと境内は極楽浄土そのものといった感じになる事でしょう。私が訪れたちょうど冬から春へのこの季節、阿弥陀様を拝むため、本堂の廊下を歩いていると、床板の冷たさがジンジンと伝わってきました。仏教の世界だけでなく、あらゆる事で「春」を待つというのは、こういう事か・・とふと考えました。この冷たさに耐えてこそ、「春」がある。気持ちがピシッと引き締まりました。 本堂内には、九体の阿弥陀如来坐像(国宝)。仏様一体一体が違うお顔をしていらっしゃいます。本堂の中、各阿弥陀様が安置されている場所は柱で区切られています。本堂の建物を見ていただければわかるのですが、正面は阿弥陀様ごとに扉になっています。元来は本堂全体が厨子として扱われ、中には入れなかったという事。 静かな静かな本堂内。一体一体の阿弥陀様と向き合う至福の時を過ごしました。ただ、残念な事がひとつ。秘仏の吉祥天立像(重文)の御開帳が来来週からだそうで、今回お会いする事はできませんでした。(涙) 拝観開始の時間に境内に入ったため、本当に静かな、素晴らしい時間が過ごせました。帰り際、おおっ、来た来た。(汗&笑) バス2台から降りる観光客を目撃。「よかったよかった。ちょっと遅かったら、大変な事になっていた。(ホッ)」と、思いながら、浄瑠璃寺を後にしました。 |
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岩船寺三重塔 |
次に紫陽花の寺として有名な岩船寺へ行きました。 3月の岩船寺は紫陽花も蓮の花も咲いていない・・・ちょっと来る季節を間違いたかな・・と思うような境内でしたが、2001年に塗り直された三重塔(重文)が、鮮やな朱色で萌えていました。(笑)岩船寺も浄瑠璃寺と同じく真言律宗。729年(天平1年)、行基により開山。本堂に上って、ご住職の説明を聞きました。岩船寺本堂のご本尊は阿弥陀如来坐像。(重文)平安後期を代表する宇治平等院の阿弥陀様より、ちょっとお兄様だそうです。(笑) 興味深いお話がありました。「仏様」と「美術品」との違い。「仏様」(信仰の対象)であるためには、花(宗派によって違う)、蝋燭、線香、供物を上げなければならない。これらが上っている場合、その仏像は「美術品」ではなく、「仏様」(信仰の対象)となる。 「なので、写真撮影はご遠慮いただいているのです。」とのお話でした。 三重塔の塗り直しも何十軒しかない檀家から寄付を募って、やっと成し遂げたとの事。ご苦労が伝わってきました。不愉快な事がひとつ。岩船寺内でとんでもない連中と遭遇しました。ご住職がいらっしゃる前、本堂にいち早く入って、三脚を立てて、バチバチ写真を撮っている連中がいました。説明が済んだ後も、裏手に安置してある普賢菩薩騎象像(重文)を、「へんな顔してんなぁ。」と言いながら、またまたシャッターをバチバチ。 本当にあったまに来ました。(怒) なんで「写真は撮らないで。」という、ただそれだけの約束事が守れないのか。こういう人たちが日本をだめにしているんだなと思いましたね。本堂を出ても、まだ治まらないムカムカを、鮮やかな朱塗りの三重塔が和らげてくれました。 浄瑠璃寺と岩船寺の間、「当尾の石仏の道」と言われる山道が整備されています。今回は時間がないのでタクシーでまわりましたが、次回はぜひとも花の季節、両寺を訪ね、石仏の道を歩いてみたいと思いました。 ※参考: 小学館ウイークリーブック「週刊 古寺をゆく17 浄瑠璃寺・岩船寺」 ◆話は「奈良・寺めぐり」へと続きます。(「進む」をクリックして下さい。) |