幕末ぶらりんこ 03’ 仲秋編
・・・新選組関係・・・


この話は「いろんな処ぶらりんこ 京都日帰り・養源院」から始まります。             京都日帰り・養源院へ

 京都国博・「新選組」展 (見学日:9月13日)

養源院から京都国立博物館へ移動。ここで本日のご案内役、Mr,LAWSONさん(遅れてゆかっちさん)と合流。新館の「新選組」展示室と「龍馬」展示室に行きました。



京都国立博物館
京都国博・新館


「新選組」展で印象に残った事(箇条書きにします)

1.近藤勇、土方歳三の書簡で明らかに「代筆」があると感じた。(以前から判っていた事だが、改めて確認。沖田総司に関しても代筆された書簡がある。何故って、明らかに筆跡が違うから。(汗&笑))

2.中島登の「戦友姿絵」、これが今回私の一番見たかった展示物のひとつなのだが、期待していた通りで感動。

3.浪士組廻状留(清河八郎記念館蔵)の近藤勇の名前、別紙に書かれたものが上からペタリと貼られている。下にも名前が書かれているらしく、誰の名前が書かれているのか気になる。

4.近藤勇が井上源三郎に贈った刀(大和守秀国)、この刀を見ていた時、刀マニアのMr,LAWSONさんが、「近藤勇ってずいぶん大きい人なんですね。」とおっしゃった。「えっ!? 164センチくらいですよ。」と言うと、「刀は手に持って下にダランと下げた時、切っ先が地面についたらだめなんです。それだと使えないから。この刀、長いですよ。」と。・・・うーん、確かに。(汗) という事は逆に近藤さんには長いから、源さんにあげたという事も考えられるのでは・・。そういえば源さんの身長って・・・・聞いた事がない。(汗)

5.「伏見鳥羽戦争図」、図録中、参考として新選組二条城入城の図(慶応三年・十二月)があったのだが、隊士は背に「誠」の文字の入ったダンダラの羽織を着用している。手には「誠」と書かれた手旗。笠にもギザギザ模様が・・・。という事は、この時期まで羽織を着用していた事になる。浅葱のダンダラ羽織が派手すぎるので、作ってすぐに着用するのをやめにしたという説があるが、また一部では、後々浅葱ではなく黒を着用していたという話もあり・・・、うーん、何が何だか・・。(汗) ともかく図に色が塗られていないのが残念。

6.拙サイトご常連のtakeponさんがご指摘されていた近藤芳助書簡「新撰組往時実戦譚書」、takeponさんが新選組研究をなさっていた当時、この書簡に付いていたはずの付箋(隊士たちの去就の書かれた)がどこにも見当たらなかった。ただ、隊士に関する記述は書簡の終わりの方に書かれているとの話なので、巻き物部分に巻き込まれていないかなぁとよーく見てみたのだが・・・(汗)。私の目には巻き込まれているようには見えなかった。(この頃、目が悪くなってるんで。(汗) さて、真実は・・。)

7.図録の展示品解説部分で「えっ? ええっ??(汗)」の部分を発見。(汗&笑)

京都、日野、仙台、函館にある新選組史料がこれだけ集まる事は、そうないと思います。新選組ファンとしてこの展示会を見られた事は本当に幸せ。高い電車賃使って、見に行った甲斐がありました。(感涙)


「特別陳列 新選組」図録 (転載禁止)



同時開催の「龍馬」展を見学、そして二条城へと移動しました。(まだ続きます。)

続きは「幕末ぶらりんこ 「龍馬」展と二条城」へ移ります。                      「龍馬」展と二条城へ


                                                            
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