幕末ぶらりんこ 03’ 仲秋編
・・・幕末関係・・・


この話は「いろんな処ぶらりんこ・養源院」「幕末ぶらりんこ・「新選組」展」の続きです。


 「龍馬」展と二条城(見学日:9月13日)

「新選組」展と同時開催の「龍馬」展(正式名称は「特別陳列 坂本龍馬」)も見学。龍馬のファンでいながら、なかなか毎夏開催される京都国博の「龍馬」展へ来る事ができず、今回「新選組」展との「夢のカップリング」(汗&笑)で、ようやく見学が実現。(感涙) 龍馬のオーソリティをご案内役(Mr,LAWSONさん)に迎えているので、非常に心強かったです。(笑)


「龍馬」展で印象に残った事(箇条書きにします。) 

1.「近江屋初荷図」、これに描かれている近江屋の店、二階部分の窓が描かれているのだが、ここの部屋に龍馬が隠れていたらしいというご案内役のお話に感無量。

2.龍馬所用の紙入れや鏡・・・こういう物を見ているとつくづく龍馬っておしゃれだなぁと感心。(龍馬を「小汚い」とする小説から出たイメージを私はまったく信じていない。)

3.龍馬の手紙の数々・・・毎年「龍馬」展を見にいらっしゃれる方々には珍しくないと思うが、はじめて見る事ができた私にとっては大感動。筆先いっぱいにつけた墨がなくなるまで一気に書きつける龍馬の筆は、見ている私の胸にググッと迫ってくる。自由奔放。まったく当時の手紙のルールといったものを無視した乙女やおやべ宛ての手紙。気を遣わない相手だとは言え、この時代、こういう手紙を書く人物は龍馬ぐらいなものだろう。新婚旅行の報告を乙女宛ての手紙、あまりにも有名だが、やはり見る者をとりこにする手紙だと思う。

4.数年前に出たおりょうの写真(明治5年に浅草で撮影?)・・・研究家の間では「別人」と言われたおりょうの写真。どうみても・・。(汗&笑)でも、写真の持ち主である方が「おりょう」だとおっしゃるのなら、きっとそうなんでしょう。どっちにしても美人なんだから。これで、いいんです。(汗&笑)

今回、展示されていなかった龍馬着用の紋服、ずいぶん傷みが激しいらしいんです。 それと、これも展示されなかった「血染めの屏風」、この屏風がはじめて展示された時をMr,LAWSONさんはご存知で、狩野探幽の画なども屏風に貼られていたためか、長らく美術関係の方の倉庫に保管され、保存状態は「完璧」。はじめてご覧になった時は屏風についた血痕が、まるで今付いたばかりであるかのように盛り上がっていたとの事。(汗) お聞きしていて、龍馬暗殺当時の様子が私の中でよみがえってきました。(現在屏風の血痕は、薄くなってしまっています。)



博物館を後にし、京阪電車で東山三条へ。ここで昼食を済ませ、地下鉄で二条城前まで行きました。 ずっと博物館の中にいたので、もう外は暑い暑い・・・。(汗) 日差しがほとんど真夏並です。 入場券を買い(1100円・・・汗)、東大手門(正門)より入りました。とにかく、たくさんの人です。(汗)



二条城・東大手門

二の丸御殿
二の丸・唐門


ここでちょっと二条城についておさらいを。 二条城は、1603年(慶長8年)徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として現在の地に造営。3代将軍家光により、伏見城の遺構を移築し、1626年(寛永3年)に完成されました。1750年(寛延3年)落雷により五層の天守が焼失し、また1788年(天明8年)、市中の大火により本丸御殿、同櫓を焼失。城はひどく荒廃しました。230年の時を経て、幕末の尊皇攘夷の嵐の吹く中、1863年(文久3年)14代将軍家茂が、将軍としては家光以来の二条城入城を果たします。そして1867年(慶応3年)10月、二の丸御殿大広間において15代将軍慶喜が大政奉還を発表。明治維新後、二条城は徳川家の手を離れました。1884年(明治17年)名を「二条離宮」と改め、その後、京都御所内にあった桂宮御殿を本丸に移築、これが現在の本丸御殿となりました。 1939年(昭和14年)、宮内省より京都市に下賜され、翌年より一般公開開始。戦後、1952年(昭和27年)文化財保護法制定により、二の丸御殿6棟が国宝、本丸御殿隅櫓など22棟の建物が重要文化財に指定されました。現在二条城は京都・宇治・大津の社寺など17ヶ所と合わせて、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。(参考:「築城400年記念 元離宮二条城」(京都新聞出版センター発行)他)

改めて二条城の歴史を見ると「へ〜。」という感じになりますね。(汗&笑) 最初に二の丸御殿を見学。二の丸御殿は二条城で唯一残る江戸時代初期の遺構です。3万平方メートルを越える敷地に遠侍(《とおざむらい》 家臣が伺候する部屋)・式台(《しきだい》 家臣の為の部屋。二条城では将軍に従って上洛した幕府の老中が詰めていた。)・大広間(将軍が諸大名と対面する部屋)・黒書院(将軍の内向きの対面所(私的な応接室みたいなもの))・白書院(「御座の間」と呼ばれる。将軍の居間や寝所として使用)が連なっています。建築様式は書院造です。

20数年ぶりの二条城・二の丸御殿。立派です。素晴らしい。ただ、名物の鴬張りの廊下が・・・・。かなり磨り減ってしまっていますね。残念です。 その後、特別公開の本丸御殿へ行きました。(ここでも見学料を別途300円・・・・ああ・・。涙)


本丸御殿(1) 本丸御殿(2)


現在の本丸御殿は上記の通り、明治になって京都御所から桂宮御殿を移築したものです。公家住宅の貴重な遺構。御殿内部は玄関と車寄、御書院、御常御殿(《おつねごてん》当主の日常生活に使われていた)、台所/雁の間など。大正期、大正天皇がお泊りになるという事で、はじめて電気を通す工事が行われたとか。三階はよく風も通り、眺める庭園の景色も素晴らしく、大正天皇はこの場所から大文字の送り火を見物なさったという事です。 

ここまでで、かなり私たち三人は暑さのため、バテておりました。休憩所でしばし休憩の後、城外へ。タクシーで壬生まで行きました。(時間の都合上、二条城内その他の場所には行けませんでした。涙)

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