幕末ぶらりんこ  薫風編


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 霊山歴史館と坂本龍馬の墓 (散策日 5月17日)

高台寺見学の後、霊山観音を左手に見ながら「維新の道」のちょうど中間辺りに出てきました。雨、ひどいです。「きっと何十年も音沙汰なし。それにこの頃不義理しているんで龍馬が怒っているのかな?(笑)」そんな事を考えながら、まずは霊山歴史館へ。ここは実は初めてなのです。雨のせいか、ほとんど来館者がいなくて私と娘の独占状態。 西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らの書を見学。また新選組関係の展示も多く、島田魁の「英名録」を見る事ができました。「雨が降っているから龍馬の墓へは行かない。」娘が言うので歴史館の方にお願いして私が墓参りをしている間、娘を館内で待たせていただく事にしました。
さあ!いよいよ22年ぶりの再会です。 護国神社の入り口で入山料を払い、龍馬の墓まで上っていきました。以前上った時はもっと遠いように思えましたが、歩いてせいぜい2・3分の距離、近いのにはちょっとビックリしました。念願のお参りができて本当によかったです。もどってみると娘は歴史館の方とすっかり仲良しになっていて、いろいろな物をいただいていました。私は木村幸比古氏の龍馬の本「日本を今一度せんたくいたし申候」を購入、サインをしていただくため事務室へ行きました。しかし運悪く雑誌の取材が入っていて、ゆっくりお話しする事はできそうにありません。事務の方にここ何十年も疑問に思っていた「龍馬の墓前にある鳥居」についてお話しすると、その事をすぐに取材応対中の木村氏に取り次いで下さいました。 私の「22年前、お参りした時には確かあの鳥居はなかった。」の言葉に木村氏はあわてて「違います。あの鳥居は最初からありました。」と言いながら私のところへいらっしゃいました。木村氏によると鳥居は護国神社ができた当初に明治政府がつくったもの。そしてその当時の墓の様子を記した絵の載っている本を見せて下さいました。当時は鳥居に扉が付いていてその扉には坂本家の家紋が付いていたそうです。過去2度お参りしましたが、どうしてもこの鳥居の記憶がないため「後でつけたものなのか?」とずっと疑問に思っていました。解決できてよかったです。



霊山歴史館



歴史館の事務の方、高木さんとおっしゃるんですが(女性)、私が今年早々木村氏の「新選組戦場日記」(永倉新八の「文久浪士報国之記事」を解説した本)を歴史館に注文した際もお世話になり、それがご縁で歴史館友の会に入会しました。残念ながら5月いっぱいで歴史館をお辞めになるというお話でした。「歴史に携わっている人は心が温かい。」そんな事を感じさせてくださる方でした。


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