幕末ぶらりんこ  錦繍編


 この話は「幕末ぶらりんこ・鶴ヶ城周辺」からの続きです。                 幕末ぶらりんこ・鶴ヶ城周辺へ


 「肉体派」運転手さんと行く天寧寺墓参 (墓参日 10月30日)

鶴ヶ城からタクシーに乗りました。ここで午後3時半。本来ならあまり墓参りはしたくない時間です。しかしスケジュールの都合上、しかたありません。「天寧寺へお願いします。」と行き先を告げました。 しばらくして「天寧寺の入り口ですか?」と訊かれたので、「天寧寺の近藤勇さんのお墓なんですけど・・。」と言うと、運転手さんはニコニコしながら「あー、近藤勇さんねー。」と答えたものの、「え?え?・・こ、こんどう・・、近藤勇さん?・・・。」一般の人の墓と勘違いしたようで最初混乱していましたが、やっと墓が新選組局長・近藤勇である事を理解。(笑) この運転手さん、「こち亀」の両津にそっくりなんです。年はたぶん私より上。とにかく、おかしい。(笑) 最初おとなしかったのにだんだん馴れ馴れしくなってきて、「だったらねー、近道があるよー。(もちろん会津弁)」と天寧寺入り口とはまったく逆の飯盛山方面に車を走らせました。 「えー、大丈夫なの?」すっごく不安になりました。 「あれー?どこだっけー。」散々迷ったあげく、タクシーは愛宕神社の階段の下に到着しました。「此処ですよー。この階段を上ってー、どっか曲がるところがあっからっ、そこ行くとー、近藤勇の墓ですっ。」 まったく説明になってない・・。(汗)この愛宕神社の階段、天までそびえるようなすっごい階段、それもまったく整備されていない昔のままの階段なんです。日も落ちかけてきた今、一人でこの階段を上り、近藤さんのお墓へ行く勇気などありません。「ここで降ろしてもらって、天寧寺の入り口まで行こっと。しかし、この運転手、うっとうしい・・。」などと心の中で思いながらも、「あ、有難うございました。此処で結構です。」といい、タクシーを降りようとしました。すると、「えー、今から行くのっ? 危ないよー、山の上だし。そうだっ。俺が一緒に行こう。」「ゲッ!(心中) いえいえ、大丈夫です。」「ダメだよっ、奥さん。(いつの間にか「奥さん」になっていた・・)危ないからっ。よしっ。車を置かせてもらってっと・・。」そういうと運転手さんはタクシーを近くの家の駐車場へ入れてしまいました。「だ、大丈夫なの?(大汗) あとで怒られても知ーらないっと。(すべて心の声)」 運転手さんはその家の玄関のところで「すいませーん。」と声をかけましたが応答はなし。「ま、いいや。後で言えばすむからっ。」

タクシーを降り、愛宕神社の階段を上ります。すっごい階段。一段一段が同じ間隔でない大昔の階段です。きっと会津藩の方々も利用していた事でしょう。真ん中まで来ると両側に道。この段階で私は相当ヘバッっていました。(ゼイゼイ) 「此処かなー?」運転手さんは右の道へ行きました。「あれ?おかしいな?行き止まりだー。」近くにある家へ声をかけるともっと上との事。「はははは、奥さん、あの上みたいだよ。」 また階段へ戻ります。この運転手さん、段の高さのバラバラなこの階段をズボンの両ポケットに手を入れながら鼻歌交じりにスイスイと上っていきます。「俺、高校の時、此処でトレーニングしてたんだー。」 私はと言えば「(あ、そっ。←心の声) ・・・ゼイゼイ・・・」 最後にはもう何十段も差がついて、運転手さんは一番上の神社があるところまで行ってしまいました。「(遥か上から)おーくさーん、だいじょうぶかーい。」「ゼイゼイ・・・だ、だいじょうぶ・・で・す。」 やっとの事で愛宕神社まで上がれました。確かに「近藤勇墓所入り口」と書いてあります。 神社の横道を天寧寺方面に山の中腹をどんどん歩いて行きました。・・ありました。右手には歳三の供養碑もあります。線香を上げ合掌。 この辺は山が墓地になっています。飯盛山の自刃の地もそうでした。もう4時過ぎ。どんどんあたりは暗くなってきます。そうでなくても山で墓地、薄暗い・・。(汗)確かに天寧寺方面から来るよりは距離は短いかもしれませんが、階段上がる大変さを考えると、やはり天寧寺方面から来た方が正解だなと思いました。 急ぎ山を降りました。



天寧寺・近藤勇の墓



無断駐車させてもらっていた家に「ありがとー。」と声をかけ、運転手さんは車に戻りました。「みなさん、心が広いですねー。東京じゃ考えられませんよ。」と言うと、「なーに、声さえかければこの辺は大丈夫っ。」の返事。いいなー、のどかで。人の心もゆったりしていて。すっごい階段の上り下りですっかり汗をかいてしまった私ですが、運転手さんは涼しい顔。「さて、東山温泉ですねっ。」と訊かれたので、「申し訳ありませんがもう一箇所。妙国寺へ行っていただけますか?」と言うと、「あっ、ありがとうございますっ。」そしてタクシーは妙国寺へと向かいました。
妙国寺は日蓮宗の寺。白虎隊士が仮埋葬された場所がある寺です。仮埋葬地は寺の右側、墓地内にありました。




妙国寺本堂
白虎隊仮埋葬の地



お墓に線香を上げて合掌。 そこへ犬の散歩をしている年配の女性が通りかかりました。運転手さん(ここでも車を降りてお参りに付き合ってくれました。)がこの女性に「此処は白虎隊の仮埋葬地だべ?」と声をかけました。(すべて会津弁。)「そうだー。山にあった遺体をを一度此処へ埋葬したんだっ。山の墓には何も入っていないよっ。あー、確か土入れたって言ってたっけ。」 運転手さん、「山の遺体はずっと放りっぱなしだった?」「いや、山はまだよかったんだー。すぐ埋葬できたからっ。問題は城下。ずっと放りっぱなしだったから、遺体が犬や鳥に食われたって聞いてるよっ。ひどかったらしい。おおっぴらには言われないけれど、この辺の人は皆知ってるよっ。」 実際、会津戦争終結後、1ヶ月以上城下に散乱している遺体の埋葬を新政府が許可しなかったという話は知っていましたが、直に会津の方から、それも飯盛山近くに住んでいる方からお聞きして、また胸が痛みました。 タクシーに戻る前、「地元の方の貴重なお話を聞く事ができました。有難うございます。」と運転手さんにお礼を言うと、「なーに、こういう事(地元の人との交流)があった方が旅は楽しいよっ。」 もうとっくに日は暮れていました。午後5時過ぎ。急いで娘の待っている旅館へともどりました。

この「こち亀」・両津似の運転手さん(別名「肉体派」運転手)、本当にいい方でした。残念な事にこの運転手さんのお名前を聞くのを忘れてしまったんですー。(T_T) タクシー会社さえ憶えていない・・。(T△T) 次回会津へ行った時は何としても捜し出したい!しかし・・ほんとに私って大ドジ・・。フゥ


 この話は会津・最終日「いろんな処ぶらりんこ・会津湯川・勝常寺他」へ続きます。  いろんな処ぶらりんこ・会津勝常寺へ